そんな実情 〜招いた覚えのない賓客〜
早々に子供を寝かしつけて大人の時間を確保して、けれど彼らにできることは酒を飲んでこの珍妙な事態を笑うことだけである。
「あ、そういえばさ、ちゃんすごく落ち着いていると思ったけど、あれ、俺達が行く前に知盛殿に言いくるめられてたらしいよ」
「ここは眠りの合間に迷い込んだ夢で、夢だからこそ必ず醒めるから心配はいらない。醒めるべき時は天が見定めているから、もう醒めてもよいと早く判じてもらえるよう、己を貫き凛とあれ――ですって」
「さん、半分くらいしか理解していませんでしたけどね。それにしても、この世界の子供はみんなあんなに早熟なんですか?」
「あんなに達観したガキがそうそういてたまるかよ。アレはアイツの特性だろ」
恐らく、夕餉の仕度のさなかにでも聞きだしたのだろう。景時と朔による情報提供に譲が状況証拠を添え、そしてヒノエは呆れたように深々と溜め息をつく。
「こう、ひねくれた性格の素質は元々ってやつ? オレ、あんぐらいの歳の時には、もう少し素直なガキだった気がするんだけど」
「君は十分、生意気なガキでしたよ。ひねくれ具合はともかく、生意気さに関しては君の方がひどかったですね」
年少者が年長者に決して勝てない分野というものを見事に体現してみせた天地の朱雀に、座は笑いにさんざめく。
そのまま一日の間にそれぞれが得た情報やら見かけた様子やらを肴に酒を愉しむ席に、ふらりと小さな影がやってくる。
「お、どうした? やっぱ昼寝のしすぎで、目が冴えてるんじゃねぇの?」
「それはない。コレの眠りは深いよ。なにせ、記憶の彼方に戻らねばならないのだから」
真っ先に気づいた将臣がからりと笑って差し招くように手を伸べるが、応じて持ち上げられた瞳はあまりにも深かった。
声が発された途端に場に満ちた緊張感は、玲瓏たる清浄な、涼やかな気に貫かれている。
「それとなく察しているモノもいるみたいだけれど、何も言わずにおいては混乱を招こう? ゆえ、説明にきてやったのだよ」
かろうじて腹の辺りで左右を合わせている単衣をずるずると引きずり、知盛は手を引っ込めてしまった将臣の膝にすっぽりと納まった。
「語ってやるから、語っておあげ。この子らは何も憶えてはいない。名を奪った上での記憶として埋もれた過去だ。だが、こうして未来へと繋がる、過去になった」
くつくつとおかしげに笑い、知盛のうちにいるのだろう神はあっけらかんと続ける。
「カンナギがこの世界に魂を還すことを望んだゆえな。還れるように、ヒトとカミとの狭間の時間の魂をつれてきて、この世界の五行に馴染ませたのさ」
だけど、ひとりでは寂しかろう? そう、コレがかつて私を詰ったからね。
「せっかくだし、コレにはあまり早くに潰えてもらっては困る。ちょうど此岸からほとんど切り離された状態だったからね。ついでに拾ったのだよ。あんな、希望の欠片もない心では、黄泉の空気にこそ馴染むのは当然だ。少しは光を与えてやろうと思ったのだが」
「想像以上だった?」
「ああ、そうだね。本当に、ヒトの子の絆とは強いものだ。我らの思惑をも凌駕する。こればかりはまこと、天命としか称しようのない」
子供特有の高い体温を両腕で抱きこんだ将臣が笑い混じりの声で問えば、それを不遜だと非難することもなく、神は深く微笑む。
「もうしばし時間がかかるかとも思ったが、名を結び、絆を結びおった。こと、コレが真名を許し、それにカンナギが意味を与えたものだから、もはや断ち切れぬ契り。戻しても、遠からずカンナギはこの世界に魂を定着させるだろう。ゆえ、うたかたの器も今宵限り」
「明朝には、元に?」
「戻るよ。あるべき姿に、在るべき時間に」
そっと問い返した弁慶に意味深げに笑って、神を宿す知盛は静かに睫を伏せる。
「お前達は世界が常闇に鎖された姿を知らぬだろう? だけれどもね、ヒトがその心から一切の希望を失ったその魂は、あの常闇に似たるモノ」
独り言のような声の大きさで謡うように紡ぎあげ、知盛は口の端を吊り上げる。
「闇になど染むでないよ、ヒトの子らよ。生きるために足掻き続けるその麗しき醜悪さもまた、我ら神の愛でるヒトのヒトたる耀きなのだから」
言ってゆるりと胸に手を添え、その小さな身体を慈愛の気配で一杯に満たしてから、神はことりと頭を将臣の胸に押し付け、振り仰ぐ。
「預けるよ。褥に運んでおあげ……“義兄”なのだから」
「って、オイ!」
どこまでもからかいに満ちた瞳で最後に声を笑わせて、知盛少年はくったりと全身から力を抜いて将臣の腕の中に崩れ落ちる。
「………神様って、あんなにお茶目なのか?」
「よかったですね。天に坐すいと高き方のお墨付きですよ」
「小松内府は相当な人徳者だったって聞くぜ? 遠慮なくあやかればいいじゃん」
「こんな手のかかる弟なんかいらねぇよ」
胡乱な表情を隠しもせずに呻き、けれど将臣の手は知盛を抱きなおしてより深く眠れるようにと背を撫ぜてあやしてやっている。
「とりあえず、明日の朝が楽しみってコトか?」
「覚えていないってあたりは、面白さ激減だけどね」
眠りが深いことを確認してから腰を上げ、言われたとおり寝間に運ぼうとしたらしい将臣の性質の悪い笑みに、ヒノエが遠慮なくぼやきを投げかける。まあそれでも、今朝皆で楽しみにしていたことに関しては明朝改めて楽しみなおせるだろう。きっと迷いなく少女の隣に少年を寝かしつけてくるだろう将臣の背を見送り、残された面々はどこかで見たような表情で並んでいる。
Fin.