朔夜のうさぎは夢を見る

いつかは師弟? 〜譲くんはくすぐったい〜

 気合も十分に袖をたすきがけにし、結い上げた髪をさらにどこからか調達したらしい手拭いで作ったちょっと歪んだ三角巾の向こうに押しやり、即席エプロンの代わりに湯巻を首からかけ、腰元をおそらくは弁慶の居室辺りから発掘してきたのだろう包帯とおぼしき布で留め。は、真剣な表情で土間の上がり口に向き合っていた。
「殻を入れてしまっても、取り除けば大丈夫ですからね」
「はい」
 なぜそんなに中途半端な場所に陣取っているかといえば、単純に、ではあらゆる場所に対して背が届かなかったためである。
 九郎の鍛錬の様子を知盛と並んで見学するのは楽しかったらしいのだが、その二人が鍛錬するのを一人で見学するのは淋しかったらしい。たまたま通りがかった譲が遠い記憶をくすぐられる複雑な空気を醸し出して背を丸めているに声をかけたのは、だからきっとちょうどよかったのだ。彼女はこうして、蜂蜜プリンの制作助手として台盤所に立っている。


 源平両軍にその勇名を轟かせた月天将だったが、さかのぼってみれば何のことはない、将来の夢を「パティシエ」と言ってくれるぐらい、ごく普通の少女だった。ケーキ屋さんではなくパティシエという役職名が出てくるあたり、時代の変遷をうっかり感じてしまった譲だったが、そこは言葉を飲み込むのが大人というものだ。ちょっとした話題提供のつもりで話しかけた「プリンは好きですか?」の一言が、まさかここまで発展するとは予想外だったのだが。
 譲は夕食の仕込みも兼ねている。やる気も十分に台盤所にやってきてくれたため、プリン作成はすべて彼女の手に委ね、自分の作業の合間にちょくちょくのぞいては進行状況を確認し、ごく真剣な表情で卵に向き合っている姿にうっかり口元が綻んでしまう。
 どうやら元々料理の手伝いなどをしていたようで、手つきはやや危ういものの、致命的な危険性は感じない。ひとつずつ、卵を慎重に割り、そのたびに安堵やら焦燥やらをわかりやすく振りまく背中が微笑ましい。何とかノルマを達成し、そのまま脇に用意してやった小鉢と箸を手にしたということは、いくらか殻が混じってしまったのだろう。そこでもう少し時間を潰してくれるとちょうどいいので、譲は少女の矜持を尊重する方針で、自分の作業に精を出す。
「できました!」
「じゃあ、次ですね」
 悪戦苦闘の気配が満ち溢れた喜びの気配に変わってそのまま、かけられた得意満面の声に、譲はなるべく平静を保つよう意識しながら振り返ってさりげなく小鍋の中身を確認する。とりあえず、殻の除去は無事に完遂できたらしい。
「そこに牛乳があるので、鍋の半分くらいまでゆっくり入れてください。流し入れてもいいですし、重かったらひしゃくで掬って入れれば大丈夫ですから」
「はい、センセイ!」
 続く作業を指示すれば、ぴしっと敬礼してはかしこまった様子で牛乳を汲んである甕にゆっくりと手をかけて、そしてすぐに諦めた様子でひしゃくを取りに踵を返す。


 手際よく調理をする姿にきらきらと憧れの視線を真っ直ぐに向けていたの中では、どうやら譲は尊敬すべき師としてでも認定されたらしい。そのまま作業を続ける間中、呼びかけはすべて“センセイ”に統一されていた。
 武将としての卓越した武術と、一流の公達付きの女房を勤め上げるほどの流麗な振る舞いに雅事の知識。この時代の女性にしては型破りだと思いきや、実は現代から来ましたといわれた時にはいっそう驚いたものである。器が違うと思い、覚悟が違うと思い、その生き様に尊崇の念を抱いた。言葉を交わしたことはごくわずかにしかなかったが、もっと語り合ってみればよかったと思ったし、だから、こうして和議が成った今、これからまた新しい関係を築き、保てればいいとも願っている。
 兄然り、幼馴染の少女然り。譲はこの時代で積んだあまりにも濃密な時間を経て、周囲に対して驕ることなく卑屈になることなく自分の実力を認識することを覚えた。だからこそ、その中で思った“目指したい姿”のひとつである彼女に、こうして仰ぎ見られることがなんだか面映い。
「また今度、もっと色々作ってみますか?」
「お願いします!」
 長くこちらで過ごしているというが、幼い頃に刷り込まれた食体験の記憶を拭い去ることなどできまい。ならばぜひ、自分が編み上げたレシピを共有してもらいたいと思っての申し出には、満面の笑みが返される。もしかしなくても彼女はこの約束を忘れてしまうのだろうけど、そうしたらまた、改めて申し出てみよう。そんなことを考えながら蓋を開けた蒸し器の中には、実においしそうな蜂蜜プリンがずらりと並んでいる。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。