朔夜のうさぎは夢を見る

やがての従兄弟 〜敦盛さんはちょっと嬉しい〜

 敦盛が梶原邸の庭にやってきたのは、しきりに知盛の様子を気にしていた将臣に対する重衡からの牽制兼、やはり気になってそわそわしていた敦盛に対する気遣いだった。「敦盛殿に様子を見てきていただくので、兄上は諦めて集中なさってください」と言い放つ重衡の姿は、対象が変われば見慣れたものである。すなわち、隙あらば重衡に任せても構わない仕事をすべて丸投げしようとする知盛への防御である。
 ただ守りに入るのではなく、ある程度は妥協して手伝いながらも大半を当人に押し付けるため、共に仕事に取り組み、一線以上の妥協を許さない。後に将臣から聞きかじった言葉なのだが、あれぞまさに「攻撃は最大の防御なり」の具象だった。
「敦盛。どうした?」
「少々、様子見に」
 取り込み中のところを邪魔してはなるまいと、簀子にやってきたはいいものの声をかける機会を見いだせなくてぽつんと立ち尽くしていた敦盛に、気づいて振り返ったのは九郎。珍しくも木刀を手に、まだ肌寒いこの陽気の中で浮かんだ汗を無造作に手の甲で拭っている。
 その正面でこちらはわかりやすく息を上げているのは、敦盛が知らないほど幼くなった知盛である。年齢差は七歳であるため、一応ぎりぎり敦盛が生まれるか否かの頃の姿なのだろうが、そんなに幼い日の記憶など持っていないため、やはり知らないとしか思えない。敦盛にとっては、一番記憶に古い知盛でさえ、その若さゆえに周囲から侮られることをよしとしないほどに文武に卓越し、堂々とした振る舞いを見せる平家嫡流の立派な公達なのである。
「剣を交えておいでだったのか?」
「ああ。さすがにまだ型も何もないかと思ったが、とても筋がいい。うっかり我を忘れそうになる」
 朗らかに笑う九郎の弁に偽りがないことを、敦盛はよく知っている。長じて後、将として軍場に赴くたびに高い賞賛の声を返り血以上に浴び続けた平家の鬼神は、やはり傑出した才能に恵まれていたのだろう。目を耀かせ、どこか興奮した調子で九郎はようやく息が整ったらしい知盛に向き直る。
「やがて、お前に剣で敵うものなど滅多にいなくなるぞ。才に溺れず、鍛錬を怠るなよ」
「ありがとうございます」
 まっすぐな賞賛の言葉は、少年の胸にも過たず届いたのだろう。運動のためか照れのためか、とにかく上気した頬のままぺっこりと頭を下げて、知盛は素直に礼を返す。


 そのまま仕事があるからと立ち去った九郎と入れ替わりに、敦盛はもうしばらく休憩をとっていたいらしい知盛と並んで階に腰を下ろした。
 知盛の居場所を尋ねに誰かしらがいるだろう広間に顔を出した際、居場所を教えてくれたのは譲とだった。見慣れない組み合わせであったが、当人達はいたって楽しげである。ついでに九郎と知盛が剣の鍛錬中であることを聞き、水と手拭いを持たされたのは幸いだったろう。
 自分も同じく病弱の幼少期を過ごした敦盛は、知盛の抱える鬱積もなんとなくわかるし、だからといって放置してはならない部分もわかっている。まずは汗をしっかり拭うよう促し、念のためにと重衡に持たされていた替えの水干に着せ替えさせ、焦りすぎないよう忠告を向けながら水を含ませる。さすがに知盛もそうして世話を焼かれることには耐性があるのか、おとなしく忠告に従って、今はちびちびと竹筒に口をつけているのだ。
「………知盛殿」
 元々饒舌ではないのはお互い様。それほど沈黙が重かったわけではないのだが、どうにも不思議な心地には勝てず、敦盛は目の前の幼くなってしまった遠い従兄に声をかける。
「その、九郎殿との鍛錬は、楽しかっただろうか?」
 見かけというものはどうにも存在感が大きい。常よりは随分と砕けた口調であることを自覚したのは言葉を放ってしまってからだったが、敦盛のことを『知らない』知盛は気にした風もない。というか、そもそも知盛はあまり、自分自身にさえ頓着しないため、言葉遣いも態度も、あまり気にすることはないのだが。
「俺は、武門の子ですから」
 やわらに吐き出された答えは、遠まわしのようでいてあまりにも直截的だった。竹筒から口を離してちらと敦盛を見上げ、けれどすぐに目線を真っ直ぐ庭に戻して、知盛は自嘲と誇りと悔いのない交ぜになった声で紡ぐ。
「役立たずと、長じられるはずがないと。誰にどれほど嘲られようとも、流れる血は変えられません。責も、誇りも、望みも……すべて」
 吐露された思いには、痛いほど覚えがあった。そしてその思いを抱えてもどうしようもない身体に絶望し、自分では持ち得ないすべてを持ち、体現している背中に憧れていた。
 遠くてまるで手が届かないと思っていた存在が、ふと自分の指先にやってくる感触。それは、偶像が虚像であったことを知る失望ではなく、生身の存在であったことを知る密かな喜び。
「知盛殿は、お強いな」
 自分と同じような葛藤に苦しみ、けれど自分よりも強い目で前を見据え、そして今は自分よりもなお深い絶望の底で束の間の夢にまどろんでいると錯覚している子供。この子供が、いずれああも強くなる。垣間見ることのありえなかったそんな事実の一端にこうして触れられたことは、きっと自分の存在が消えるまで大切な思い出になるのだろうと。そう、素直に信じられた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。