朔夜のうさぎは夢を見る

かつての義兄弟 〜九郎さんもいつもどおり〜

 怖いもの知らずにも散々弁慶の居室で楽しみつくしたらしい知盛とは、昼の小休止をはさんだ後、庭に面した階に腰を下ろし、鍛錬に勤しむ九郎の観察をするところから午後の部を開始した。一通りの素振りを終えてから生真面目な調子で型をなぞり、それから九郎はどこか怪訝そうな表情で階に仲良く並んで腰を下ろしている幼子達を振り返る。
「面白いのか?」
「はい」
「全然」
 率直な問いには、飾らない答えがそれぞれに返された。目をきらきらさせているのはで、どこかむくれた様子なのは知盛である。
「……知盛殿は、面白くないのか?」
「見ているだけではつまりません。……せっかく、相手をしてくださるとおっしゃっていたのに」
 どうやら、昼頃になってやってきた使いの人間に急きたてられてどこかしらに去ってしまった将臣の口約束を律儀に覚えていて、それが反故にされたことを拗ねているらしい。
「………こんなところまで、重盛兄上にそっくりでなくてもいいのに」
 地面に視線を落としてぼんやりと何かを見やりながら、こぼされた呟きは寂しい。九郎のおぼろげな記憶には、この頃よりもいくらか長じた知盛が残っている。その彼は、幼いながらも既に官位を得て出仕していたはずだった。もっとも、本格的に仕事を任されるにはやはり幼く、それなりに時間を持て余してもいたのだろう。気紛れのように、邸でも外れた場所でぽつんと佇む九郎のところにやってきては構ってくれていた、非常に大人びた義兄だったという印象しかないのだが。


 もしかしたらあれは、自分が構ってもらえないことから学んだ教訓ゆえ、あるいは埋め合わせのための行動だったのかもしれない。
 時に邸を抜け出してはそれなりに遠出をした経験からも、長じるまで、九郎は知盛が病弱であることを知らなかった。いや、知ってはいたが、信じていなかったのだ。当人に口止めをされていたことも手伝い、遠目に見ていて、どうやら見かけがそっくりで兄に比べて社交的な弟君が遊び相手だと思っていたらしい周囲がそんなような噂をしていることはあったが、九郎の目に触れる知盛は、いつだって敵わない、“完璧なあにさま”だった。
 平家を離れた後も、知盛の噂はいつだって輝かしいものばかりで、その裏にある陰など思いもしなかった。だからこそ、の手を払って立ち去ろうとした背中には驚いたし、その隣で寛いでいる微笑には安堵した。名を言祝がれて笑っている姿には胸を衝かれて、こうしてうなだれている姿には、気づかされる。
「俺はまだ未熟で、何かを教えられるような立場ではないが……。打ち合いの相手ぐらいなら、務められると思う」
「本当ですか?」
 手にしていた刀を鞘に納め、距離を詰めて膝をついて九郎は少年の視点でまっすぐに向き合う。
「ああ。ただ、こういった経験はしたことがない。だから、はじめは具合を測るために、いろいろと試させてもらうことになるが」
「構いません! 変に加減をされるのは嫌いだけど、力量の差はわきまえています」
 矜持の高さは知っている。ゆえ、加減を誤解されてはなるまいと思って入れた前置きには、思いのほか謙虚な言葉が返された。あっという間に興奮に目を輝かせて、腰を上げた知盛はわざわざ地面に降り立って綺麗に腰を折る。
「お願いします!」
「……ああ、こちらこそお願いする。だが、その前に木刀を探しに行こう」
「いいです。俺が探してくるので、九郎殿はそれまでは続きをなさっていてください」
「あ、知盛くん。わたしも行く!」
「わかった。行こう、揚羽」
 きゃっきゃとはしゃぎながらあっという間に簀子を駆け抜けていった軽い足音に、口元が緩むのを自覚しながら九郎は言葉に甘えて鞘を払いなおす。彼の背に仄かな憧れを抱いた自分が、彼にあんなにも憧憬を宿した瞳で見つめられる。それはくすぐったくも嬉しい違和感だ。

Fin.

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