いとしいとしと言ふ心
「………泰衡殿らしからぬご冗談とお見受けいたします」
「冗談ではないぞ。平家が誇る月天将殿とあらば、俺の正室に据えるにも見劣りせん。両家の繋がりをより強固なものにする上でも、なかなかに良い案だと思うが」
彼が守る地の気候を思わせるような、凛と徹った玲瓏たる美貌に、艶やかな笑みが載せられる。知盛が男としての美貌を誇るなら、泰衡は人としての美貌を誇るのだろうとは思っている。種類を異にする、けれどどちらも同じく息を詰めて思わず見入ってしまう、絶対的な美。類は友を呼ぶ、とは言うが、美丈夫は美丈夫を呼ぶのだろうかと、そんな埒も明かぬことまで考える。
「女だてらに太刀を握ると、そんなことは気にならん。むしろ、一門を守るために何が必要か、何をなせるかを知る聡明さは、好ましい」
「泰衡殿でしたら、いかな姫君とて選り取り見取りではありませんか」
「ただ飾りに据えるだけの姫など、いらん。俺が欲しいのは、俺と共に平泉を守れる女だ」
くらり、と。眩暈がするほどに真っ直ぐな、羨ましいほどの口説き文句だった。口は悪いし目つきも悪い。きっとあらゆる方面において損をすることの多いだろう性格を察してはいたが、まさかこれほどに女心の扱いに長けているとは思いもよらなかった。
この人に求められ、愛される女性は、きっとこの上なく幸せになれるのだろう。そんなことをぼんやりと考えていたためか。どこか粗い所作で背後から肩を引かれ、はなす術なく上体を後ろへと倒してしまっていた。
泰衡の訪れがあることはあらかじめ聞いていたため、今日の装いは常よりも少しばかり上等である。気に入りの袿の中でも少々値の張るそれに、うっかり手の中の酒をこぼすわけにはいかない。ぎくりと背筋を凍らせながら必死に瓶子に意識を向けていたためか、ふと漂う伽羅香の存在に気づくのに遅れてしまった。
背後から伸ばされた朽葉色の狩衣の袖からのぞく白い指先が、ひょいと瓶子を取り上げて高坏へと戻す。そのまま袖のうちへと閉じ込められてしまえば、腕の持ち主など察するまでもない。
「お客人の前です。お放しください」
「人の邸で、人のものに手を出そうとは……随分と、大胆なことだな」
訴えが聞き届けられることはなく、いっそう力の篭められた腕の中で、はいかにも不機嫌な主の重低音を耳許に聞く。
「まだ嫁に出した覚えもないゆえな。その娘は俺の“義妹”であって、知盛殿のものではない」
「では、兄妹では婚姻を結ぶことができぬ、ということを、改めてお教え申し上げるとしよう」
「同母兄妹でないのだから、可能だがな。それに、まだ公にはしておらぬゆえ、先に婚姻を表してしまっても、俺は構わんが」
「……八つ当たりか?」
「この程度、甘んじて受けられよ。父上に、いっそ横から攫ってしまえと散々にたきつけられた俺の苦労をそれで流してやろうというのだ」
「それは、申し訳ないことをした」
くつくつと、喉の奥で笑声を転がす息遣いが耳朶をくすぐる。なんだかとんでもない遣り取りが左右の耳をすり抜けていったが、この場にはその委細を説明してくれる人物など存在しない。
小さく息を吐き出す気配があり、唐突には自分を捕らえる腕から解放された。姿勢を崩しかけるのを慣れた調子で支えられ、背筋を正すのと同時に、隣に座りなおす気配を感じる。
「梅雨が明ける頃には父上もこちらに参られる。それまでは俺の邸に預かるゆえ、せいぜい、これまでの関係を清算なさることだな」
言いながら泰衡は袂に手を入れ、丁重に折りたたまれた書簡とおぼしき紙を床に滑らせる。
「父上をはじめ、親族一同の同意は取り付けた。あとは、ご当人を口説かれるがよろしかろう。……当家の女房は、なかなかに手強いぞ?」
「お預けするにあたっては、こちらからも幾人かつけたいと思うが」
「承ろう。それと、迎えはいかがする? こちらとしては、明日にでもお引き取りするには構わんが」
「しばし、猶予をいただきたい、な。……母上にお話を通してからでないと、さすがに何かと都合が悪い」
「なんだ、また隠し立てしていたのか」
飄々と嘯く知盛に呆れきったとばかりに溜め息を返し、そして泰衡は手の内の酒を飲み干す。
「どうやら、我が愛しの“妹君”も顛末をわかっていないご様子。用向きは終わった。今宵はこれにて失礼しよう」
「……世話を、かける」
「何、大変なのはこれからだ。父上は義娘ができることにいたくお喜びだったからな。せいぜい、舅の扱いに苦労なさるがよろしかろうよ、婿殿」
すっと立ち上がる泰衡に、混乱の極致ながらも帰邸するのなら見送りを、と、そう思って立ち上がりかけたを、横から知盛の腕が、上空から泰衡の淡い苦笑が引きとめる。
「誰ぞ、おらんか」
「ここに」
「お客人のお帰りだ。お見送りを」
知盛が声を張ればすぐさま応じる気配があり、御簾の向こうに控える影が映る。命じる言葉に短くいらえた影の主に先導され、泰衡はあっという間に御簾の向こうへと姿を消してしまった。
Fin.