夢見ること
「表情ひとつ、動かしもしないか」
嘲っているのか、感心しているのか。いまいち感情が読めない声だなと将臣は場違いな感想を抱き、けれどようやく口を開く。
「兵が将を守るために、命を張るのは武家のものにとって当然のこと――違うか?」
既に捨てた、いや、剥ぎ取られた名ではあるが、これまでの中でもこれ以上はないほどに“還内府”としての己を意識して紡いだ声に、頼朝は実に満足そうに口の端を吊り上げた。
「なるほど、違いない」
声は深く、言葉は強く、微塵の揺らぎもみえない音はやはり感情の読めないものだけれども、将臣の紡いだ理屈を真っ向から肯定している。その現実だけは、とても真摯で。
「貴様ほどの器を仰いだのなら、その命を守るため、命を賭したことも誇りだったろう」
「上に立つ以上、従う連中を悔やませるわけにはいかねぇ。それはアンタも同じだろ」
言って見据える双眸には、後悔など滲ませない。悼んでいる暇はない。今はその時ではない。きっと、彼らがここにいればそう口を揃える。その声が脳裏に響く。
「その二人の命の上に立つ俺を、俺は悔いたりしない。そうあることを二人に嘆かせるような、無様は曝さない。だから、」
にぃっ、と不敵に笑い、将臣は堂々と宣言してみせる。
「アンタもせいぜい、無様を曝さないよう気を引き締めろよ? 新中納言も、月天将も、“還内府”も。アンタが踏みしだいた名前の重さは、アンタにのしかかる評価の厳しさだってこと、忘れるんじゃねぇぞ」
仮にも拾われ、首の皮一枚で繋いでいる命であることを忘れたかのような物言いに少なからずぎょっとした空気が流れるが、言われた当人である頼朝は面白そうに眉を跳ね上げ、思いのほか穏やかな表情で目を伏せる。
「心しておこう」
そのまま場は開かれ、既にいい頃合いだという白龍の言葉に従って、将臣はついに世界を渡るための関に足をかけた。物言いたげにし、しかし言葉が見つからない様子の九郎や景時の姿は逆に痛ましく、やはりこの慌ただしさはありがたかったなと小さく笑った将臣は、ただ静かに「元気でな」とあっさり手を振るに留める。
「“還内府”」
宙に光の渦巻く底が、時空と時空を繋ぐ架け橋。人知を超えた領域に呑みこまれることへの本能的な躊躇いによって生まれた空白の一瞬を、埋めたのは面会の場から去ってそれきりだと思っていた、意外な人物による呼びかけ。
ぎこちなく、それでも必死に笑って「将臣くんも、元気でね」「恥じることのないように生きると、約束する」と応じてくれた傷だらけの声とは真逆の、誇りと威厳に満ち満ちた声音。
「証を残すとすれば、何を望む?」
「……残ってンなら、太刀だな」
「承知した」
短い問答の間にも光は強さを増し、将臣を容赦なく世界から切り離す。その中でも訝しさを殺しきれずに思わず振り返った将臣に、声の主は静かに口の端を吊り上げる。
「共に、弔おう」
思いがけない言葉にうっかり目を見開くものの、もう光の向こうの表情は見透かせない。
「その命を存分に悔やめ。しかしその生を責めることは許さぬ」
力及ばなんだ“還内府”の菩提もまた、敬意を払って弔うのだ。筋違いのことはするな。光に呑まれる言葉に耳を必死に傾けて、ついに堪え切れずに頬を滑り落ちた涙はけれど意地で袖に吸わせる。
まったくもって悔しいことこの上ない。しかし、こればかりはどうしようもなかったのだろう。生まれは変えられない。生まれ持ってのしがらみは変えられない。知盛の抱えていた血のしがらみは、きっと自分よりも頼朝の方が正しく理解できて、共感している。それこそが現実。だから、手向けられたそれは、言葉として残されることのなかった知盛からの慈悲の代弁。
気紛れなのかなんなのかは知らないが、本当に心憎い。決して好きにはなれない相手だったが、歴史の潮の中枢を担うにふさわしい器であることが嫌でも知れる。自分では及ばなかったと、最後の最後になってまで、さらにと自覚させられる。
それでも、たとえ誰が何と言おうと、あの世界に自分は涙を残さないと決めた。光によって視覚も聴覚も奪われ、ついには意識さえ朦朧とする中では無駄な足掻きだったのかもしれない。しかしそれは、“還内府”であった将臣のどうしても譲れない意地であり、誠意でもあったのだ。
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