夢見ること
そして唐突に、将臣は意識を取り戻した。
はっと息を詰め、目を見開き、反射的に身を起こして周囲を見回す。目に映るのは、既に見慣れた調度品。都を落ちた身ながらも決してみすぼらしいものではない御簾に几帳。それから、使いこまれて程良く持ち主の纏う香の移った、肌触りのよい絹の衣。
さてこれはありえない現実か、現実味のありすぎる夢想か。混乱に苛まされながらも今度は自由になる手足を盛大にばたつかせて、まろぶように几帳をすり抜ける。蒼黒い室内に目が慣れ切らないうちに、御簾を潜れば薄黄色の月明かりを浴びて、見知った主従が月見酒を楽しんでいる。
「……どうした?」
手中の杯に酒が満たされているか否かなど、考えもしなかった。目の前に広がる光景が、残酷な夢でもかまわなかった。恥も外聞もない。ただ、縋りつきたいと思った。理由づけや言い訳が後回しでも、この男はこのやりきれない衝動を、とりあえずと受け止める度量があることを知っていた。
後ろ手をつくことで、上体の姿勢を崩しながらも首筋にかじりついた将臣を受け止めた知盛は、予想通り、いつも通りの淡々とした声で詰るでもなく問いを差し向ける。隣に控えていたも、驚愕の気配を振りまくものの、特に咎めの声は上げない。
「月に、惑わされでもしたか?」
風に吹き散らされる雲のように、この短い時間で詳細はおろか、大筋さえもすっかり忘却の彼方へと霧散した夢の残滓は指先を掠めもしない。ただ、言いようのない不安にばかり駆られて唇を噛み締めるのを見透かしているように、武骨な指がひどく愛しげに将臣の髪を梳く。
「今一度、眠るといい……悪しき夢なぞ見ぬよう、我らが夢路を守ろうゆえに」
幼子をあやすように降り注ぐ言葉を追いかけて、抑えられながらもよく徹る透明な声が、どこか遠いところで踊っている。その向こうで、低い声が呪言らしきものを紡ぐのを聞いている。それらすべての底で、規則正しく力強い心音が拍を刻んでいる。
忘れてしまった夢を含め、きっとこの夢か現か知れない儚い時間を、自分は忘れてしまうのだろう。その確信を含めて無意識のさらに底へと沈められた記憶を将臣が思い出すことはなく、再びの夢に見ることもまた未来永劫ないという事実を知っていたのは、贖罪を秘めて佇む男と希望を懸けて見守る娘。綻びかけた桜の蕾。確かな現実を夢想の色に染める月明かりに照らされた、青年の愛刀だけであった。
Fin.
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