彼らの覚悟
ふと、脳裏をよぎるのは幼少時を共に過ごした平家の公達。病弱な性質ゆえに熊野に預けられたことをずっと気に病んでいたあの少年を、代わる代わる訪れてはそれぞれの遣り方で慰めていた一門の者達の姿を、ヒノエはごく近くで見ていた。その中には、わかりにくいことこの上ない慰め方に、時に怯えた敦盛が泣き出すのを見た経正や重盛に、逆に窘められていた在りし日の目の前の青年も含まれている。
裏切ることになったと、心苦しげに眉根を寄せていた敦盛をこうして気遣う優しさを彼らが忘れていないことが嬉しかった。そして、ああ、なんだ、と。すとんと胸に落ち着いたのは納得だった。
わからない、わからないと思っていたけれども、結局彼がわかりにくいのは、今も昔も変わらない。ただ彼は、そのわかりにくさゆえの誤解を、別段気に留めることがないというだけのことで。
「平泉からは、とりあえずの静観を取り付けている。……平泉に戦の累が及ばぬ限りは敵対せぬゆえ、好きにせよ、とな」
「その物言いだと、話をつけたのは泰衡の方かい?」
「かような突飛な話は、ご老体には刺激が強すぎよう?」
まあ、総領殿から話は通していただけたようだしな。構わんだろう。けろりと言ってのけて肩を竦め、知盛はにたりと頬を歪ませる。
「別当殿、こうは考えられぬか? 鎌倉は、引き入れるべき手駒ではない。むしろ、我らが結託して抑え込むべき相手である……と」
遠く、高みからすべてを見透かす表情を瞳に浮かべて、嘯く知盛は唖然と見やってくる将臣とヒノエの困惑の表情など歯牙にもかけない。
「なぁ、熊野は本当に、我らを滅ぼした後の鎌倉に、並び立てるのか?」
「何が言いたいんだよ」
「黒白の龍の神子は、鎌倉殿の“御家人”である義経殿の庇護下にあるそうだな? なれば、鎌倉殿は神をも凌駕するお立場にあられると、そういうわけだ」
剣呑な声を返したヒノエにうっそりと嗤い、知盛は喉の奥でくつくつと嗤う。
「神の名は重い……まして、京のみならず、各地にて絶大な威力を振るう、龍神伝説。あるいは帝や院のご威光さえ、かの伝説の前には、霞みかねん」
その大義の許に成った勝利は、いかほどの重みであろうな。その勢いに抗しきれる勢力が、はて、存在しうるとでも。
とつとつと紡がれる知盛の言葉の意味の重さを噛み締め、ヒノエは眉間に皺を刻んで小さく息を呑む。
神の加護を掲げるとは、すなわちその寵愛の筆頭にあると謳うということ。人々の信奉を集められるということ。それは、現人神であるはずの宮筋と拮抗することも可能であり、勢い次第では呑み込むことさえ可能になる絶大なる大義。
霊地という、人ならざる力の存在に支えられて繁栄の基盤を築いた熊野であればこそ、知盛の言葉は耳に痛く、そして荒唐無稽だと切り捨てることもできなかった。
「鎌倉殿は、慎重な御方だ。敵と、仇と。なりうる相手を見逃すことが、一体いかな結末に繋がるのか……。それを、最もよくご存知なのは、ご当人であられよう」
「………熊野も、その対象だって言うのかよ」
「あくまで、可能性の話ではあるがな」
これまでの書簡での遣り取りではちらとも触れなかった可能性を次々に披露しながら、畳み掛ける知盛はしかし、ちっとも調子を崩さない。必死に頭を働かせてその言葉の裏を、その言葉の示唆する未来を考えるヒノエや将臣と違い、既に考えつくしてあるのだろう。
本当に厄介な相手だと胸中で口汚く罵りながら、一方で背筋を這う空恐ろしさを殺す。この男が、真の意味で敵に回る可能性は、考えたくもない。
「院宣を取り付けてしまえば、こちらのものだ。今ならばまだ、源氏の神子殿の勇名は、御伽噺以上の力を持たぬ」
「乗れないと、そう言ったら?」
「それは、俺の決めることではないからな。お好きになさるがいいさ」
熊野の未来は、別当殿の選択次第。そう含み笑い、知盛は視線を持ち上げていることさえ疲れたといわんばかりの気だるさを撒き散らしながら、目を落とす。
「音に聞く神子殿との、血の宴での逢瀬は……、魅力的だから、な? 舞うような、実に美しき太刀筋であるそうじゃあないか」
「知盛!」
「おや。兄上は、俺の仇敵を討たんとするこの志が、お気に召さぬか?」
三日月の形に吊り上げられた口元は、凄艶さと凄絶さを同じほど刷いていた。ぎょっとしたように名を呼ぶ将臣にからかうような笑みを流し、そして知盛は再び視線を持ち上げる。
Fin.