朔夜のうさぎは夢を見る

彼らの覚悟

 思いがけない展開に、将臣ほどあからさまに反応は示さなかったものの、うっかり目を見開いたのはヒノエも同じだった。大筋としては同じ方向を向いているものの、細かな部分では大分差異のある二人の主張をどこでどう擦りあわせるつもりなのかと疑問を抱いていたのは確かだが、まさかこんな場で披瀝に至るとは思いもしなかったのだ。違う意味で声を失っている二つの視線を一身に浴びながら、しかし知盛はうっすらと笑みさえ浮かべてみせる。
「御身は生ける存在ゆえな、お忘れやもしれぬが……我ら一門に、霊地たる熊野が肩入れするのは、矛盾にすぎるというものだ」
 淡々と、放たれたのは自身の身をも切り裂くであろう嘲りと揶揄の口上。
「熊野は隈野。生者と死者の行き交う国。なれど、稀なる霊地でもあるゆえ、外法を操る我らと馴れ合っては、その権威が堕ちてしまう」
 それでは困るのさ。言って流された視線は、ヒノエの双眸を捉えてすっと細められる。
「稀なる霊地なればこそ、熊野の動向を誰もが無視できぬ。……平家も、源氏も。他の豪族連中も、寺社仏閣も……あるいは、」
「――朝廷や、法皇様でさえも、ね」
 意味深げに断ち切られた言葉をヒノエが継げば、はっと音を立てて息を呑んだ将臣が訳知り顔の二つの顔を順繰りに見比べる。
「まことに和議を成されたいのなら、その権威を穢すような真似をしてはならん……」
「けど、源氏方につかれたら意味がねぇぞ」
「ゆえ、表沙汰にならぬ繋がりを保ったまま、中立でいていただけるのが、一番ありがたいのさ」
 口の端を吊り上げて笑う独特の表情で締め括り、知盛は硬い表情を保つヒノエをひたと見据える。


 知盛の主張と理屈とに納得したのか、将臣からのそれ以上の反駁はなかった。同じくヒノエの反応を待つ姿勢に切り替え、黙ったまま視線を注いでいる。
「さっきも言ったけどさ」
 しばらくの逡巡の後、紡がれた声は切れ者として名高い別当のものではなく、ヒノエという一人の青年のものだった。
「アンタ達のその話には、乗ってみたい。総領直々のお話なんだ。平家がこの話を裏切るとは思ってないよ。それに、朝廷に話を通すのに間に立つのも、やぶさかじゃあない」
 むしろ、そのぐらい派手な立ち回りをしなければ、熊野の存在感を売り込む機を逸することになる。和平の立役者であるという看板を得てはじめて、熊野にとってこの源平の争いとその後の平和が大いなる益となるのだ。
 だが、不確定な話に乗るわけにはいかない。平家はいい。たとえ反対派の人間がいたところで、今の平家に目の前に座す二人が一致させた意見を覆せるだけの力がある存在はないだろう。あまりにも聞き分けの悪い連中は、恐らく知盛あたりが“穏便に”処理をしてくれるだろうから問題ない。
 平家と源氏が互いに相争うことをやめると確約するなら、その二大勢力にさらに熊野や平泉といった各地の自治集団が肩を並べる勢力図が出来上がる。その上で和議の後の治世に対する形式を整え、外堀を抜かりなく埋めた状態ではじめて、後白河院に対峙することができる。逆に言えば、そこまでの見通しが立たないままでは、下手に話に乗ることもできないのだ。


 還内府に鎌倉殿の名代、熊野別当が雁首を揃える集団を見て、楽しげに笑う向こうでその瞳が抜かりなく集う面々を検分していたことを、ヒノエはきちんと観察していた。朝廷の存在は大きい。院宣の価値は重い。義仲追討の令旨が出たと思えば、次は平家追討の令旨。ころころと掌を返し続ける朝廷が、いつ熊野に牙を剥くかなどわからない。
 今はまだ、令旨だけ。だが、これが院宣ともなればもはや間に合わない。力をつけすぎた平家が邪魔になり、源氏に追討を命じて、もしこれが院宣という後ろ盾を得たなら、今はまだ拮抗している二つの勢力は、一気にひとつの勢力に絞り込まれるだろう。そうして強大になりすぎた力を、いずれ朝廷が疎むのは遠からぬ日の話。その際、次に手駒として利用されて切り捨てられる筆頭に熊野があることも、ヒノエはわかっている。
 だからこそ、知盛の提案は魅力的だったのだ。和平という意味ではなく、多数の勢力が互いに牽制しあう状況を作り出し、それを御す立場にあると見せ付けることでその自尊心を満たし恐怖心を宥め、朝廷という厄介な権力から身を護るという仕組みが。
「けどさ、肝心の源氏はどうだろうね。それと、あと押さえるべきは平泉かな。そっちと話をつけた上じゃないと、どうせ法皇様にいいように利用されておしまいだ」
 恐らく、これが最後の好機。まさか源平の重鎮の熊野訪問が後白河院の御幸に重なるとは予想だにしなかったが、これもまた天の采配というものだろう。遠回りを提案することで多少の時間稼ぎはしたが、本宮をおとなわれれば、あの一行を見ていた後白河院は必ず何らかの探りを入れてくるはず。そこでどう伏線を張るかを、ヒノエは早々に決さねばならない。


 慎重に可能性を提示し、ヒノエは理想と現実とを天秤にかける。熊野別当として提案に頷くには、あと一歩が足りない。昨晩、九郎達にそれとなく道を示した段階では、鎌倉勢の動向はまるで読めなかった。こういう手合いの面倒ごとは、言い出した人間が最も苦労すると相場が決まっている。
 どこまで根回しがすんでいるのか、どれほど現実味のある話なのか。探れる限りのことを探って、それからでなければ返事はできないと。雄弁に語る視線を真っ直ぐ受け止め、対峙する知盛は嗤う。
「鎌倉には、還内府殿から和議を申し入れる書状を送ってはいるが……音沙汰がなくてな。院宣にてのごり押ししかあるまいと、諦めているところだ、な」
「そんなことしてたのかい?」
「……この前の三草山で、敦盛と月天将が行方不明になったからな。捕虜交換を主題に、ちらっとにおわせてたんだ」
 ひょいと眉を跳ね上げて見やった先には、苦虫を噛み潰した表情でそっぽを向く将臣がいる。苛烈な源氏と、雅やかな平家と。正反対の性情と称される両家ではあるが、身内への情の深さは群を抜いている。捕虜交換の提案が出されている話は知っていた。だが、だからといってまさか和議まで働きかけているとは、ヒノエの常識にはない発想である。
「つくづく甘いヤツだね」
「うっせぇ」
「拗ねるなよ。悪いとは言ってないぜ?」
 しみじみした感想には、さらに苦味を増した声が返された。だが、切り返した言葉のとおり、別にヒノエはそういう情の深さが嫌いではない。むしろ、在りし日の平家の、あのどこかおっとりとした気性が今なお失われていないことに、郷愁と安堵さえ覚えるくらいだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。