朔夜のうさぎは夢を見る

彼らの覚悟

 誰もがあえて口を噤み、巧妙に目を逸らしあっていた時間を共有していればこそのしんみりとした沈黙を破ったのは、それまでひたすら黙して話の進行を将臣に任せていた知盛だった。
「して、源氏と、我らと。双方の言い分を聞かれた上で、別当殿はいかな道をお選びになられるのか」
 ゆったりとした口調はいまだわざとらしいほどの慇懃さを保ってはいたが、興味深げに細められた双眸は、礼儀などどこにも感じさせない。面白がるように、試すように、向けられる視線はただ静かに状況を俯瞰している。誰よりも渦をかき回すことのできる位置にいるくせに、誰よりも遠い、それは諦観の瞳。
「あー、めんどくさいからオレもこのままで通すけど。アンタは結局どうしたいわけ?」
「さて……? どうしたい、とは?」
「今さらとぼけるなよ、白々しい」
「とぼけてなど、おらぬつもりだが……」
 くつくつと喉の奥で声を転がす独特の笑みを添え、知盛はゆるりと、その意外に長い睫を上下させる。
「俺の意は、既に伝えているはずだな。その上で、別当殿があまりにも還内府殿のことを気にかけられるゆえ、こうしてはるばるお連れ申し上げた次第だというのに」
 つれないことだ。そういかにも哀しげに視線を伏せ、悲哀を滲ませた、しかしどう聞いても笑みを孕ませている声が飄々と嘯く。


 突きつけられた言葉には、確かに覚えがあった。還内府の考えを知りたいと、そのような旨を告げた覚えはあるし、それに応えてでは直接話してみろとも言われた。だが、だからといって知盛の思惑の一切を知らない還内府に対峙するとは思いもしなかったのだ。
「おわかりに、なられたろう? コレが、還内府殿だ。なればこそ、俺の夢想も……あながち絵空事ばかりとはいえぬのだと」
「オレとしては、アンタがあんなこと言い出すってこと自体が、信じられない絵空事だったんだけどね」
「まあ、否定はしないな」
 深々と吐き出された溜め息に肩を竦めて返し、知盛は静かに言葉を継ぐ。
「俺とて、こんなことのためにかくな面倒を拾い歩くようになるなどと、まるで思いもしなかったさ」
 独り言にも等しい呟きは、ぽつりと零れ落ちてヒノエと将臣のそれぞれの表情に憂いと翳りを齎した。単調であればこそ、滲むのは悲哀の深さ。その悲哀を正確に拾える二人だからこそ、余計な言葉をはさみはしない。
「で? 一体いかがなされる?」
 どことない気まずい沈黙が蟠ってしまった座において、しかし気にした風もなく知盛はすっと視線を持ち上げるとそれまでとまったく変わらない調子で口を開きなおす。
「協力の是非は、急かしはせぬが……我らの示したこの道を、受け入れるのか、拒絶するのか。それだけはお聞かせ願いたいものだな、藤原湛増殿?」
 突き返されたのは、ヒノエが先に将臣と知盛とに要求したそれと同じ問いかけ。その真情をここに明かせと、刃のごとき鋭い瞳が、虚飾を許さぬと雄弁に語りながらひたとヒノエを見据えている。


 別当の座に就いてより二年。水軍のあらくれものどもを束ね、老獪な神職達を捌き、参詣に訪れる貴族の相手もそつなくこなしてきた。そうして熊野を危なげなく導いてきたという自負があればこそ、ヒノエは己の実力を過小評価するつもりはない。だが、年季だの器だの、敵わない相手はいるものだと。しみじみ目の前の相手に思い知らされる。
 その視線に曝されてなお偽りを述べることはできない。それは、本能にも近い直観だった。彼はすべてを見抜き、見逃すことをよしとせずに暴くだろう。なればこそ、虚言を弄するのは駆け引きにさえならない。相対するに値しないものという烙印を捺されるだけの結末しか齎さない。
 そして、その評価をよりにもよって知盛から受けることは決して受け入れられない。自分が認め、一目置き、素直に敬意を抱く数少ない相手なればこそ、せっかく対等の舞台に立って向き合おうと言ってきた相手に、さっさと見切りをつけて舞台を下りられるのは我慢ならない。そんな屈辱、認めるわけにはいかないのだ。


 静かに息を吸い込み、遠く響く蝉時雨に背を押されるようにヒノエは紡ぐ。
「乗ってみたいと思ってるよ。アンタ達の示す、道とやらにね」
「じゃあ、」
「ああ、逸るなよ。これはオレ個人の意見。さっき知盛も言ってたろ? 協力の是非は急かさないって」
「――けど!」
「控えられよ、還内府殿」
 思いがけない返答だったのだろう。肯定的な言葉を返したヒノエに慌てて身を乗り出した将臣は、出鼻を挫くような念押しに、もどかしげに拳を握り締めている。


 まったく調子の変わらない気だるげな声がヒノエの援護に回り、眉間に皺を寄せた将臣は、ぱっとその声の主を振り返る。
「逸るな……。別当殿が源氏への加勢に乗り気というわけではない、と。今は、それだけでもよしとすべきであろう?」
「でも、それだけじゃ足りねぇ。お前もわかってんだろ? 何としてもここで熊野の協力を取り付けないと、和議を結ぶのなんて、それこそ夢物語になりかねないんだぜ?」
「だが、あいにくと。俺はぜひとも、熊野には中立を保ってもらいたくてね」
「――ッ!?」
 やけに穏やかに宥める言葉を送ったかと思えば、次には将臣をはじめとする、恐らくは平家の総意とも言えるだろう願いに真っ向から対立するようなことを言い出す。唖然と目を見開いて声を失い、将臣はそこが交渉の場であることも忘れて、知盛の平静どおりの、表情がほとんど浮かんでいない顔を見つめ返す。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。