さざめくしじま
京から紀伊に入り、熊野路はいよいよ本格化する。その前にと、熊野水軍のものだと名乗ったヒノエの案内によって、一行は龍神村と呼ばれる集落で宿を求めていた。温泉にて疲れを洗い流そうという算段である。
久しぶりの湯を気兼ねなく使える環境は素直にありがたい。汗でじっとりと絡みつく髪を丁寧にほぐし、体を隅々まで洗ってからたっぷり湧き出る湯に浸かって四肢を伸ばす。
「気持ちいいねぇ」
「そうね。疲れが流されるようだわ」
のんびりと頷きあう神子達を微笑ましく見やりながら、はさりげなく位置を男性陣が湯を使っている部位との板仕切り付近に定める。
覗きやら何やらを警戒して、というわけではない。戦場で直にまみえたことはなく、ただ風評を耳にするだけだったのだが、ここまでの道のりにおいて、怨霊を片端から封印して歩く姿を見ていれば、その実力は嫌でも知れる。うら若くたおやかな外見に反して、二人の神子はなかなかどうして手練れである。
八葉の面々がひ弱だとは決して言わないが、精神的な双方の立ち位置からしても、不埒な真似を働けば返り討ちにあうのは明白。そして、そんな危険を冒してまで不埒な真似を働くには、彼らの中にはきちんと抑止役になる人物が存在するということまで把握するに至っている。
その上で、あえて場を定めるのは、偏にこの龍神村に至ってから合流した、最後の八葉の存在ゆえに。
「将臣、お前、すごい傷跡だな」
「そうか? そういうお前も、相当なもんじゃねぇか」
「いや、俺のものなど大したことはない。お前の、これなど、相当な深手だったろう?」
「あー、どうだったか。いちいち覚えてらんねぇからな」
耳をそばだてるまでもなく、ぽんぽんと飛び込んでくるのは物騒極まりない、けれど決してそうと感じさせないどこか暢気な会話。当事者となっている九郎はあまり相手の素性に不審を覚えている様子がなかったが、取り巻く弁慶と景時の視線はあからさまに警戒を刷いており、ヒノエに至っては訳知り顔。
実弟である譲が一も二もなく信を寄せているのはともかく、何もかもを超越した風情で見守る姿勢のリズヴァーンは、にとっては異様。敦盛との自己紹介のくだりなど、あまりの白々しさとたどたどしさに、いっそ顔面から血の気が引いたものである。
叶うなら、問い質したいことが山のようにある。告げたいことも山のようにあるし、何より、こんなところを一人でふらふらなどさせはしないのに。忸怩たる思いを抱えながら、しかしには知らん顔を取り繕うことしかできない。どれほど怪しかろうとも、弁慶にしろ景時にしろ、その不審を確たるものとさせる決定打はまだないらしい。ならば、ここでその不審を後押しするような真似はできないのだ。
何をすることもできない。けれど、せめてその言動をできる限り把握することでフォローに回り、無事に彼をここから一門の許へと送り返すこと。それが、自分にできるせめてもの役回りと見定めたのだ。
そのままどうやら互いの体に刻まれた傷跡を見てはああだこうだと刀の振るい方について熱く語り合いはじめた天地の青龍の会話を、望美と朔も聞いていたのだろう。痛ましげに眉根を寄せ、そして「殿方はこれだから」と目を見合わせて溜め息などついている。
「そういえば、さんは熊野に来たことないの?」
「初めてですけれど……?」
ふと思い立った風情で問いかけてきた望美に素直に返し、は小首を傾げてその疑問の根拠を問い返す。熊野に関する薀蓄など、一言も語った覚えはなかったのだが。
「あ、ううん。深い意味はなくてね。ただ、敦盛さんは熊野で育ったって言ってたし、平家の人は熊野が好きなのかなぁ、って思って」
「縁が深いのは事実でしょう。清盛公の弟君にあたられる忠度殿は、奥方共々、熊野の方だとうかがっています」
「平忠度殿とおっしゃると、薩摩守の?」
「お会いしたことはありませんが、歌人として名を馳せ、武人としての腕も高く、まさに文武両道を体現なさる方と聞いています」
軽やかな調子で投げかけられる問いには、軍事的な要素や政治的な要素を含まない一般論を返す。平家方の話しをするのはまずかろうと思ってはじめのうちは言葉を濁していたのだが、源氏軍の筆頭である九郎や景時ですら、微塵も気分を害した様子はない。
小娘同士の他愛ないおしゃべりの範囲であれば構わないらしいと判じ、以来、はこうして日常の側面としての平家の姿を、ぽつりぽつりと紡いでいる。自分の気づいたことを、自分の祈ることを、どうか知ってくれ、どうか気づいてくれと願いながら。
きっかけは褒められたものではないが、こうして傍で過ごすようになってみて、は知りたくなかった現実を嫌でも直視せざるをえない状況に置かれている。それは、ごく当然のこと。が己の生きる場所、還る場所として平家を守りたいと願ったように、源氏に属する面々にも生きる場所、還る場所があり、誰もが守りたいと願ったそこを守るために戦っている。穏やかで他愛なくて、そのなにげなさこそが愛しい日常を紡いでいる。その姿は、冠す名の別になどよらず、何の違いもないものなのだ。
一方的な善はなく、一方的な悪もない。そう、かつて教え諭してくれた住職の言葉が、胸を静かに締め付ける。
平家を滅ぼそうとする源氏は憎い。その筆頭に立つ義経は決して好きになれない。けれど、捕虜の身であるがその立場ゆえに働かれた狼藉に眉を顰め、不器用ながらもこれ以上の被害にあわないようにと庇護してくれた九郎の実直さに偽りがないことはわかる。一人の人間としての彼は、決して憎んだり嫌ったりする対象ではないのだ。
源氏の軍奉行たる実兄を持ちながらも、朔もまた望美に感化されたのか、実に気安い調子でに接している。どうやらがこうして九郎の傍に置かれるようになった理由を正確には理解していないらしい望美に対し、朔の気遣いはあからさまにその全容を把握しているがゆえのそれだった。
それぞれが高い地位を持ち、また八葉という神の選定を受けた身でもある彼らからそういった不穏さを感じたことはなかったし、むしろそれぞれの遣り方で気遣われていることがわかる。それでも時折、どうしても彼らの中に雄の気配を感じ、反射的に身が竦むことがある。そういった際にそっと、さりげなく間に立って距離をとらせるなど、細やかな配慮には頭が下がる思いである。
たかが敵方の捕虜と、あるいは憎き敵将と。そう思うだけならば決して取れないだろう彼らの態度に、絆されている自覚はある。だからといって平家を売ることはできない。それでも、ただひたすらに刃を向けることでしか守り方のわからなかった胸中に、そっとあまやかな願いが蘇るのを感じる。
このまま、双方が手を取り合って、武器を置くことですべてが終結すればいいのに。
それは願いであり祈りであり、覚悟であった。そこに向かってひた走る青年を、の愛する人々は戴いていた。だから、はただ将臣を無事に帰すことのみを考え続ける。
いらぬ諍いは見たくない。こうして他愛ない会話を重ねる彼らは、よい友人であり仲間なのだ。その関係を壊して欲しくないし、壊したくない。そして、その祈りを未来に繋げられる道を知っている。ずっと和議の道を願い続けていた彼を無事に送り帰せれば、きっとその可能性を現実にしてくれるはずだと信じているから。
Fin.