朔夜のうさぎは夢を見る

さざめくしじま

 あんなにも果敢に最前線で太刀を振るっていたが、やはりそのあたりはまだあどけなさを残す少女でしかないのだろう。真実を告げることもできず、けれど説明をしないわけにもいかず。当たり障りのないところで暴力を振るわれた、と告げただけだったのだが、随分と深く衝撃を受けた様子で、望美はずっと、預けられた敵将の枕元で膝を抱えている。
 もっとも、当の眠っている娘は、そのあたりの覚悟の度合いが違ったとみえる。疲労を隠し切れずに今はこうして深く呼吸を繰り返しているものの、弁慶に連れられて姿を現した際には、穏やかに微笑んで挨拶をしてきた。古着で申し訳ないと断りつつ小袖を渡せば、女物であればなんだってありがたいと笑ってさえみせた。
 所作は流麗にして洗練されており、言葉遣いも粗野な部分は見受けられない。一方で、敵兵の面倒を見ることなど業腹ではないか。だったら、自分は大人しくしているので、見張りの兵でもつけて下がってもらっていて構わないと静かに言っていた。たおやかな女性としての側面と、冷徹な将としての側面を併せ持つ姿は、矛盾を孕んでいるようでいてひどく自然。
「終わらせたいね」
 とつとつと、回想に耽っていた思考回路に、唐突に飛び込んできたのは、静かで切実な声。はたと瞬いてから視線を持ち上げれば、変わらず膝を抱えて眠る娘を見つめながら、望美がゆらゆらと背を揺らしている。
「刀を振るうだけでも辛いのに、こんなことにも巻き込まれちゃうなんて……きっと、とっても悲しいよ」
「……そうね」
「こんな酷いこと、考えてごめんね。でもね、もし朔がこんなことされたら、って思ったら。私、すごく辛いし、絶対に相手のことを許せない」
「私だって、あなたがこんな目にあうかもしれないと、それを思うだけで許せないわ」
 意味合いの違う、けれど願いだけは同じ言葉を交わしあい、そして思う。敵だ味方だという以前に、あれほど穏やかに微笑んでいた娘に、同じ性を持つ女として。
「きっと、想う方だっていらっしゃるでしょうに」
 深く意味を篭めた言葉に、神妙に返された同意には仄かな微笑を浮かべていた。朔の愁いは通じていないのだろうが、それでこそ清らかなる神子なのかもしれないとも思う。


 揺らしていた背をぴたりと止め、床に手をついて上体を捻り、振り返った望美は朔の双眸をじっと覗き込んで唇を動かした。
「ねえ、朔。一緒に熊野に行く間にさ、仲良くなってもいいんだよね?」
「………そう、ね。こうして私達の手に預けられた、ということは、処断されることはないんだと思うわ」
「なら、おしゃべりしても九郎さんに怒られないよね」
「まあ、あなたそんなことを心配していたの?」
「だって、九郎さん怒ると怖いんだもん」
 怒られても、でも多分あんまり気にしないけどね。そういたずらっぽく笑って切り返し、望美は改めて眠る娘の顔を覗き込む。
「敦盛さんもだけど、できるなら、帰してあげたいから」
「望美?」
「全部終わらせて、それで、みんなが帰りたい所に帰れたら、それがきっと一番だから」
 ふと床に落とされた視線は、朔に敵将の身に降りかかった真相を語るのを躊躇わせたあどけなさからは程遠い、どこか老成したとさえいえる深みを湛えている。


 ああ、まただ、と。出会ってから半年ほどの間で、もう幾度胸に迫ったかもしれない感慨をそっと噛み殺す。この対なる神子は、朔の知らない何かを知っている。それは、異なる世界から召されたから、という理由によるものではない。もっと深くて、もっと切なくて、もっと絶望的な何かを。
 刀を握る手は、あまりにも馴染んでいた。その身のこなしは、九郎や弁慶をしてことさらの注意など喚起しないほどの経験を滲ませていた。戦場に立つ凛とした背筋は、その手を血に染め、その背に誰かの命を負うことへの覚悟と悲哀を知り尽くしていた。
 そして、こうして戦場を離れてなお、望美は何かを愁えている。何かを欲し、何かを探し、そしてそこに手を届けられないと、何かにひたすら歯噛みしている。
「あのね、こんなこと、言ったら怒られちゃうかもしれない。けど、ずっと考えていることがあるの」
 聞いてくれないかな。それは、この半年ほどで聞き分けることができるようになった、望美が朔に甘える時の声だった。白龍の神子として、源氏軍の御旗印として。誰にも弱音を吐くことなく、誰にも迷いを見せることなく歩んでみせるその一方で、朔にだけみせる、年齢相応の一人の少女としての側面。
「ええ、聞かせて?」
「うん。……あのね、平家の人達と、和議を結べたらいいなぁって、そう思うの」
「……それは、」
 ほろりと、零れ落ちたのはあまりにもやわらかな願いだった。


 源氏と平家は相容れぬもの。それは、朔が生まれるよりずっと前から続く戦乱が証明し、そして今もなお続く戦乱が証明する厳然たる事実。いずれかが勝ち、いずれかが滅びるまで、決して終わることがないのだと。
 それは揺るぎない事実として朔の中に植え付けられていた真理。その真理さえ軽々と飛び越え、夢のような祈りを、望美はあまりにも悲痛な声で紡ぐ。
「難しいって、わかってる。そんなに簡単に和議が結べるなら、きっと、もっと前に結んでいるよね。わかってるよ、でもね――」
「願わざるを、えないのね」
「……うん」
 再びくるりと褥に向き直り、膝を抱えて望美は背中で続きを語る。
「必要なら、戦うよ。だって、私はみんなが大切だから。だけど、なるべくなら戦わずに終わらせたいよ」
 小刻みに震える背中と声に、朔は黙って手を添える。
「そうするのがきっと、みんなにとって一番幸せだって思うのは、間違ってるのかな」
 それは、あまりにも当たり前に馴染みすぎた戦乱の只中で、誰もが口にすることを憚り、あるいは願うことさえ忘れてしまった切望。
「そうできればいいと、私も思うわ」
 思えば、それを誰よりも願い、実現するよう尽力すべきは自分達なのだ。白龍に選ばれた神子だからと、それだけの理由で世界さえ超越させられた、本来は何の係わり合いもないはずの少女に、戦場の前線に立つことさえ要求している。そう言えばきっと、望美は「自分で決めたことだから」と笑うだろう。けれど、それを選ばなくてもいい世界で、彼女たちは生きていたと聞くのに。
 宥めるようにそっと撫でさする肩が沈み、腕の合間に埋められた頭の向こうから小さく「ごめんね」と謝罪の文句が繰り返される。誰に、何に、何を謝っているのか。湧き起こる、問いただしたいという欲求を胸の奥底に沈め、朔はひたすらに、見えない傷を負っている怪我人達を癒すことに没頭する。紡ぎたい謝罪を、音にしない代わりに。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。