朔夜のうさぎは夢を見る

さざめくしじま

 旅支度についての打ち合わせを詰めていく景時達を横目に、ヒノエは己の隣で俯いている敦盛を小さく呼ぶ。
「顔を合わせづらい?」
「あ、いや……。そういうわけでは、ないんだが」
「それにしては、沈んだ表情ですけれど」
 もごもごと言ってさらに俯いてしまった後頭部にさらりと声を被せ、はたとヒノエと敦盛が振り返った先では、弁慶が小さく手招きをしている。いつの間に席を外したのか、既に九郎の姿はない。一応とばかりに話し込んでいる景時らに「お先に」と声をかけ、ヒノエは腰を上げて敦盛の腕を引く。
 案の定というかなんというか、招かれるままに足を進めた奥の部屋では、むっつりと唇を引き結んだ九郎が待ち受けていた。低められた声で座れ、と促され、腰を下ろすのを待つ時間さえ惜しいとばかりに、九郎は口を開く。
「率直に問おう。ヒノエ、お前は月天将を陣に拾ってきたと聞いている。その時、何か、そういう片鱗は見受けられなかったか?」
「見ていたら言ってるよ」
「そうか……。いや、すまない。疑っているわけではないんだが」
「はいはい、わかってるよ。アンタも混乱してるんだろ?」
 さらりと受け流して逆に宥めてやり、ヒノエは敦盛を振り仰ぐ。
「お前の口が堅いのも知っているけどね。これは、八葉としての質問だ。答えてくれよ。――月天将の力は、我らが神子姫様に仇となるものなのかい?」
 紡いだのは、恐らく九郎や弁慶が聞きたかったのとは微妙にずれた、しかし重なる部分も存分に孕むだろう、問い。ここが妥協点だと、そう判じるのはヒノエが源氏にも平家にもよしみを持つ身であるから。そして、紛れもなく龍神の神子を守護する八葉であるから。


 しばし逡巡する様子をみせはしたものの、敦盛は小さく息をついて首を振る。
「……弁慶殿には何度もお話しているが。月天将殿は、還内府殿でさえその指揮を知盛殿に仰ぐ、知盛殿の腹心。素顔さえ存じ上げなかった私が、噂以上の情報を持っていようはずがない」
 ただ、と。小さく小さく言葉を継ぎ足し、深呼吸をしてから敦盛はゆっくりと唇を動かす。
「知盛殿は、一門の中でも怨霊を厭われることで有名な御方だ。その知盛殿が背を任せていらしたのだから、月天将殿が、そういった穢れた力をお使いになられるとは、私は思わない」
「怨霊使いとは違う、と?」
「ああ、それだけは断言できる」
 確認口調の弁慶に頷き、敦盛は静かに言い切る。
「これは、あなた方もご存知かもしれない。だが、知盛殿と月天将殿が出られた軍場では、死者の一切が怨霊として還らないと聞く。ならば月天将殿は、むしろ怨霊使いとは真逆の性質の力をお持ちなのだろう」
「そうですか……。話してくれて、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ。その、私が言うのもおかしいとは思うのだが、月天将殿の扱いを改めていただけて、とても嬉しく思う」
 穏やかに微笑んだ弁慶にぺこりと頭を下げ、敦盛もまた仄かに微笑む。
「南都が炎に呑まれんとしたのを救ったのも、かの御方と聞く。きっと、神子の清らかさにもお気づきになられるだろう。仇となるようなことはなさるまい」
「そうですね。我々の正しさに、きっと気づいていただけると。僕も信じていますよ」
 微妙に噛み合わないまま終結した二人の会話の間、一言も口を挟まず腕を組んで何ごとか考え込んでいた九郎がやはり黙ったまま腰を上げるのを気取られぬよう見やり。ますます混沌としてきた先行きに、ヒノエは小さく唇を吊り上げた。


 日が傾きはじめる頃に帰邸した望美を待ち構えていた弁慶に託された相手を前に、どうすれば良いのかと途方に暮れていたのは、振り返ってみればそう長い時間でもなかった。むさくるしい男ばかりでは色々と不都合もありまして、などと、勾留して一月以上が経ってから言い出されても、白々しいばかり。それでも、目を見交わすだけで何がしかを諒解したらしい朔にとりなされてぽつりぽつりと言葉を交わしてみれば、勇将と名高い平家の姫将軍は、実は意外に普通の娘であることが知れた。
 どうやら随分と気力を消耗することがあり、さすがに牢の中で寝かせるよりは、女手に託してしまう方が手っ取り早いと判断されたらしい。枕辺に寄り添ってかいがいしく世話を焼く朔を手伝いながら、望美は呼吸も静かに眠り込んでいる娘をじっと見つめている。
「ねえ、朔。こういうのってさ、普通なのかな?」
「……私達の目には触れないようにしてくださっているようだけど、きっと、捕虜の扱いは、そういうものだとは思うわ」
 弁慶が調合してくれた薬湯が随分と効いているらしい。様子見を兼ねて簡単な事情の説明にやってきたのが少し前のこと。ちょうど望美が席を外すのを見計らっての訪問だったのだろう。彼女には言わないでくださいと前置かれた。けれど、誤魔化すことなく明かされた事情に、朔は静かに視線を伏せていた。
「合戦後は、決して無断で陣幕から出ないように、と言われているでしょう? それには、まかり間違って“そういう事態”に巻き込まれないように、という配慮も含まれているのよ」
 あえて説明をぼかしていたため、先日の三草山では望美が気分転換にと散歩に出てしまった後、それに気づいた朔は真っ青になったものだ。言わなくてもわかるだろうと、それは既に幾多もの戦場を連れ歩かれたからこその感覚だったのだと知った頃には後の祭り。結果的には何事もなかったのだが、いい機会だから説明をしておこうと、ずっとそう考えていたところに、まさか実例が飛び込んでくるとは。さすがに予想外だった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。