朔夜のうさぎは夢を見る

おわりのはじまり

 そのままつらつらと物思いに入り込んでしまった九郎を読めない表情で見やっていた弁慶は、陣幕の入り口からかかる声に「どうぞ」と軽やかに返す。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「いいえ、ちょうどいい頃合でしたよ」
 九郎の頭も、大分冷めたでしょうしね。そう小さく苦笑を刷けば、現実に戻ってきたらしい当人から非難がましい視線が降ってくる。無論、弁慶はそれをいちいち気に留めたりはしない。
「で、望美ちゃんが相当な大物を拾ったって聞いたけど?」
「平敦盛と、月天将だ」
 不満げな九郎にとりなすように笑い、近寄ってから口を開いた景時に、すぐさま冷静さを取り戻した声が告げる。
「敦盛くんは八葉です。僕も宝玉を確認しました。ついては、処断を見逃して欲しい、と」
「俺は反対だがな」
「九郎」
 目を丸くした景時に、付け加えるように弁慶が説明を継ぎ足すが、九郎はすぐさま反論を付け足してぷいとそっぽを向く。どうせその提案は受け入れられないのだと、薄々感じ取っての拗ね方だろう。理屈はわかった。だが、軍紀に照らして、そして武将としての武勲を前にして、穏やかならざる心持ちなのはむべなるかな。
「うわぁ、それはまた、複雑な」
「景時、どうでしょう。軍紀には反しますが、八葉の選別は神の理です」
 隠しもせず苦い表情を浮かべた景時は、畳み掛ける弁慶にふと真顔で振り返る。
「軍紀違反は重いよ。八葉ってことだけじゃ足りない。敦盛くんだっけ? 彼に源氏に忠誠を誓うっていう誓書を書いてもらっても、厳しいと思う」
「だから、俺は処刑をするべきだと――」
「ですが、八葉が欠ければ望美さんの力も欠け、怨霊に対抗する手段を失いかねません」
 軍奉行の言葉に我が意を得たりとばかりに九郎が便乗するが、弁慶も譲らない。
「神子を御旗印に掲げる以上、その神子を損なうような真似は避けるべきです」
「うん、それもわかる。だから、誓書に血判ぐらい捺してもらえれば、何とか言い訳は繕えるかもしれないけど」
 問題は月天将かな。そう小さく呟き、景時は眉を顰めながら陣幕の奥をじっと見透かす。


「それで、月天将の方は? 俺は見たことないんだけど、本物だった?」
「そこまではまだ。何せ、噂にある仮面がないんです」
 思案を振り払うように頭を振ってから問いを紡いだ景時に、弁慶もまたゆるりと首を振る。
「ただ、蒼黒の鎧に白木の鞘、そして何より、敦盛くんが庇うようにして倒れていたという女性ですからね。可能性は限りなく高いでしょう」
「あー、それは当たりっぽいなぁ」
 ですが、気になることが、と。さらに弁慶は言葉を継ぎ足す。その先は初耳だとばかりに九郎が目を見開いて何ごとかを言おうと口を開きかけるが、鋭い視線で遮り、指先で顔を寄せるよう二人に示してから弁慶はことさら声を潜めて続ける。
「先ほど手当てをした時に見たのですが、あの手は太刀を握る手ではありません」
「何?」
 訝しげに眉根を寄せ、九郎は反論を口にする。
「だが、それでは矛盾する。月天将は、それこそあの平知盛にさえひけをとらない剣の使い手だと聞いているぞ」
「だから、気になることが、って言ったじゃないですか」
 呆れたように言い返し、そして弁慶はどう思うかと、思案に沈む景時に目を向ける。
「妥当なのは、身代わりを立てたってとこだけど……」
「男性ならともかく、女性に武将の身代わりを務めさせるのは無理があります」
「そうだな。鎧を纏っての動きなど、そうそう身につくものでもない」
 示された可能性はもっともだったが、思いつく反論もまた理に適っている。だからこそ、どう扱ったものかと弁慶はこうして首脳陣が揃うのを待ってから相談を持ちかけたのだ。
「ですが、鎧も太刀も、相当の品でした。平家の中枢に繋がる人物だということは確かですね」
「景時、俺は処刑すべきだと思う。今回の戦功は無いに等しいが、月天将の首ともなれば、兄上も少しは溜飲を下げてくださるかもしれない」
 弁慶の総括に、九郎は早速自分の考えを口にする。当初の目的どおり三草山から平家の兵を退かせはしたが、それだけなのだ。何より、味方の被害の大きさが重く肩にのしかかる。


 軍を預けられ、名代を命じられてはいるものの、九郎は常に兄である頼朝との隔絶に葛藤していた。何とか認めてもらいたい、役に立ちたいと焦りばかりの募る心に、両軍に名高い月天将の存在は降って湧いた幸運とも映る。だが、しばらく難しい表情で唸っていた景時の出した結論は、期待からずれたものだった。
「とりあえず、処刑は待った方がいいと思う。九郎、覚えているでしょ? 平家の主要な将は、なるべく生け捕りにするようにっていう命令」
「……ッ、だが!」
「頼朝様の命令は、源氏の名を負う以上絶対だよ」
 なおも反駁しかけた九郎を静かに遮り、思い詰めたような表情で景時はさらに声を落とす。
「あとね、これは前に鎌倉に戻った時、政子様からついでみたいに言われたことなんだけど」
「………なんだ?」
 ぎりぎりと拳を握り締めながら、それでも九郎は問う。軍奉行として、また頼朝の腹心として、兄夫婦の絶大な信頼を寄せられている景時の姿に心持ちは決して穏やかではないが、その言葉を通じて兄夫婦に自分の思いを伝えられるならと、切実な願いこそが勝るのだ。


 痛ましげに九郎を見やり、ひたと自分を見やっている弁慶を見やり、そして陣幕の奥をもう一度見てから景時は息を吸う。
「月天将が平家の公達、あるいは嫡流の姫君ではなく、真実姫将軍であるなら……鎌倉には送らなくてもいいから、その、兵達にでも与えて、うまく使いなさい、って」
「な、それは――」
「なるほど」
 苦味を押し殺した声で淡々と紡がれた内容に、九郎は赤面しながら絶句し、弁慶は冷笑を湛えて低く吐き出す。
「あ、でも、お酒の席の話だから、わからないよ? けど、そういう話もあったから、やっぱり沙汰は鎌倉に問い合わせてからの方がいいと思うんだ」
 慌てて言い繕う景時に、いまだ言葉を取り戻せない九郎の代わりに弁慶が静かに応じる。
「そうでしょうね。生け捕りにして鎌倉に送るのであっても、今の傷では長旅は無理です。どちらにせよ、鎌倉殿の沙汰を待つ、というのが妥当でしょう」
「うん。それまでは、牢に入ってもらうことになるけど……」
「女性にひどい仕打ちはしたくありませんが、将を名乗る以上、彼女も覚悟はできているでしょう。手配を頼めますか?」
「あ、それは任せといて。えっと、九郎。そういうことでいいかな?」
 終結に向かう議論の内容を確認するように振り返れば、ようやく顔面から熱を引かせた九郎が、冷静な総大将としての表情に戻って短く頷く。
「そういうことなら仕方あるまい……。わかった。兄上への書状は俺がしたためる。後で、内容について話し合いたい」
「うん、京に戻ったらすぐに纏めちゃおう。そしたら、俺がまた持って行くから」
「ああ、頼む」
 思うところは様々にあるだろうが、こうと決めてしまえばきっぱりと割り切って即座に行動に移せるのは九郎の美点のひとつである。さっと表情を切り替えて残る庶務についての話し合いに移行した横顔を見やり、景時は結局解決からは程遠いままになってしまった難題の数々に、小さく、しかし深い溜め息をこっそりと落とした。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。