おわりのはじまり
予想は微塵も違われず、陣を抜け出した望美を諌めると共に、連れ帰ったという怪我人を見に陣幕へとやってきた九郎は、問答無用で二人の処刑を口にした。
「でも、敦盛さんは八葉なんです!」
「だからなんだ。奴は平家の、嫡流とは言わないもののかなりの血筋だ。覚悟もできているだろうし、何よりこれが戦というものだ」
「それはそうでしょうけど、八葉が揃わないと、私の神子としての力に影響が出るんですよ!?」
ね、と傍らでおろおろと事態を見守っていた幼い龍神を振り返り、望美は援護を求める。
「そうだよね、白龍」
「うん。八葉は神子を守るもの。八葉が欠けると、八卦が欠けて、神子にも影響が及ぶ」
「ほら、九郎さん。聞きましたよね?」
「……だがッ!」
ぐっと九郎が言葉に詰まったのは、偏に望美の神子としての力こそが今の源氏軍の士気を大いに支えていることを知っていたからだ。これまで手出しができずにずっと攻めあぐねていた怨霊兵にとって、まさに天敵とも呼べる白龍の神子。その存在の重さは、たとえ総大将たる九郎といえども無視はできない。
そういった軍の在り方はどこかいびつなのだと、わかっていても兵の士気には代えられないし、戦力は失えない。葛藤を殺して、それでも反論の言葉を紡ごうとしたところで、穏やかな声が間に滑り込む。
「まあまあ、九郎もとりあえず落ち着いてください。それと望美さん、九郎の言っていることは決して誤りではないのだと、それはわかってくださいね」
「弁慶、しかし――」
「いいですね?」
「……わかった」
「はい」
あくまで穏やかながらも反駁を許さない笑みを添えて念押しをされ、九郎は渋々、そして望美は意外にもあっさりと肯定の返事を紡ぐ。
場の紛糾具合をとりあえず納めてから、改めて弁慶は微笑を浮かべなおす。
「まず、お二人の傷ですけれど、さほど深いものでもありませんでした。敦盛くんは、きっとほどなく目を覚ますでしょう。月天将殿の方はもう少し深かったので、今夜中に、というわけにはいかないかもしれませんが」
「ありがとうございます」
「いいえ。怪我人の手当ては僕の仕事ですからね」
ほっとしたように笑って礼を述べる望美に笑い返し、弁慶は続ける。
「とりあえずの付き添いは朔殿と譲くんにお願いしてきましたが、望美さんと白龍にも手伝ってもらっていいですか?」
弁慶とて暇を持て余しているわけではなく、まして訳ありの相手。ほいほいと雑兵の手を使うわけにもいかない。拾ってきたからには当然ともいえる弁慶の申し出に頷きかけ、しかし望美は不安げな表情で九郎をちらと見やる。
これまでの時空でも、九郎とは同じことで同じように口論を戦わせてきた。だが、これほど食い下がられ、しかも弁慶が間に入ってなお場に留まられていることは初めてである。これまでとの違いといえば、敦盛と共に拾ってきた娘の存在。いまだ推測の域を出ないというのに、それだけ月天将の名は重いのかと、今さらながらに拾った際のヒノエの言葉を思い返すが、それでも引き下がるわけにはいかない。
視線の方向だけで言いたいことを察したのか、弁慶は微笑を苦笑へと変えながら、とりなすように口を開く。
「とりあえず、目を覚ますまでは患者は僕の領分です。手出しはさせませんよ。安心してください」
「おい、弁慶。俺はまだ、」
「弁慶さんがそう言うなら安心です。じゃあ、お願いします」
ものの見事に九郎の口上を遮り、晴れやかな笑みさえ浮かべて望美は言い切る。こうなってしまえば、九郎の説得は望美には不可能に等しい。まずは弁慶を介して、ある程度の懐柔をはさむのが賢い選択というものだろう。
そんな思惑などお見通しだといわんばかりの苦りきった、恨みがましげな視線は突き刺さるようだったが、何ごとも引き際が肝心だということを望美はよく知っている。きょとんとして遣り取りを見守っていた白龍の手を引き、小さく会釈を残して怪我人が眠る陣幕の奥へと足を向ける。
もっとも、望美がいては話を続けにくい、というのは九郎の本音でもあった。その背中が幕の向こうに消えるのを待ってから、苦々しげに己の腹心であり友でもある軍師へと向き直る。
「弁慶、平敦盛は俺でも名を知っているほどの公達だ。見逃すわけにはいかないが、八葉だと、そう言うのなら処断については後に回そう。だが、月天将はそうもいかない」
「わかっていますよ。ですが、処刑はいつでもできるでしょう? とにかく、景時の意見も聞いてから、というわけにはいきませんか」
溜め息混じりに、しかし弁慶は九郎の意見をやんわりと押し留める言葉を紡ぐ。
「まだ彼女が月天将殿と決まったわけではありません。それに、ご当人なのだとしたらなおのこと、処刑の前に尋問に回すべきでしょう」
だが、だからといって情に流された意見を言うわけでもない。冷徹な軍師としての進言に、今度は九郎が眉間にしわを寄せる。
「俺は、そういうことは好きではない」
「好き嫌いの問題ではなく、現実を見てください。月天将殿は、あの平知盛殿の腹心なんですよ?」
それに、女性です、と。続けられた一言は、さほど遠いところにいるわけでもない望美の耳を配慮してか潜められていたものの、過たず聞き取った九郎はさらに苦渋の表情を浮かべる。その身が握る情報はいかばかりかと、弁慶の言わんとすることは、もちろん九郎もよくわかっている。
「仮に知盛殿にとって重い価値を持つ“女性”ならば、それなりに取引の道具にもなります。とにかく、処刑ばかりを急ぐには重すぎる相手です」
畳み掛けるようにその命を繋ぐことの意味を説かれれば、九郎とて一考の必要性を思う。もっとも、冷酷無比にして味方にさえも恐れられると有名な知盛に、そんな生ぬるい理屈が通じるか、というのが正直な感想でもある。
戦上手の異名を取る策士であり、けれど率先して先陣を駆けては誰よりも血に濡れる平家の鬼神。その背を守る、腕利きの術使いでもあるという姫将軍。弁慶の言うような男女の情がたとえあったとしても、戦の只中の、最も過酷な場所を駆ける二人であればこそ、綺麗事や生ぬるい幻想など抱いていないだろうに、と。
Fin.