朔夜のうさぎは夢を見る

おわりのはじまり

 心配そうに呼びかける声を振り払って、ようやく帰りついた馬瀬の本陣を離れた望美は、勝手知ったる足取りで夜の森に分け入る。案じてもらえることは素直にありがたいと思う一方、その必要がないことを『知っている』身としては、少々煩わしくさえ感じてしまう。無論、それは自分と師のみに通じるごく特殊な事情ゆえと知っているため、せっかくの厚意にそんな文句を言ったりはしない。
 毎度のこととはいえ、場所までぴたりと一致するとは限らない。相手は重傷者。移動距離を毎度正確に保てと要求するのは筋違いだと、早々に学んでいる。
 きょろきょろと周囲に目を走らせ、目指す人影を探す。この辺りにいるのは間違いないはずだ。
 平家側の情報の中に、これまで耳に馴染みのない武将の出陣はあったが、つまるところ、おおまかな流れに大差はなかった。山道の途中で火に撒かれて味方を失い、振り切って進んだ鹿野口で経正の言葉を信じて兵を退いた。さらに川辺にて怨霊に襲われているという部隊を助けに戻り、片端から封印して歩いた。
 本当ならばヒノエの案に乗じて福原を一気に落としたかったのだが、斥候による福原周辺の警護の厚さを聞いた途端、言い出したヒノエ自ら意見を撤回してしまったのだから、実現できるはずもない。そういえば、提示した策を撤回するなど、そんな事態に陥るのもはじめてのことだった。


 知っているのに、知らない流れが見え隠れする。いっそまったく新しい流れならばわかりやすいのにと、いささかずれた不満を抱きながら、望美は木立の合間へと目を凝らす。
「あ、いた!」
 低木の陰に朽葉色の衣を見出し、声を弾ませて望美は足を早めた。白龍は神子と八葉は引き合うものだと言うが、気持ちはロールプレイングゲームでポイントを拾って歩く感覚に等しい。常駐できない事情を抱える将臣を除き、これでようやく全員とめぐりあえた。
 もう何度も繰り返しているため、深手は負っていてもじきに回復することを知っている。それでも、目の当たりにすれば痛ましさを覚えずにはいられないし、手当ては早いに限る。
 状態を確認し、きっと後を追ってきているだろう譲を呼ぼう。それから陣に連れ帰り、さて今回は九郎をいかに説得するか。そんなことを考えながらひょいと木陰に回り込めば、そこには予想を裏切る光景が広がっている。
「え、うそ……!」
 絶句したのは、そこに二つの人影が伏していたからだった。朽葉色の水干を纏う傷だらけの青年と、そしてその腕に抱えられている、同じく傷だらけの娘。
「先輩? そこにいるんですか?」
 思いがけないところでの想定外の事象との遭遇にしばし自失してしまった望美が我に返ったのは、背後から耳馴染んだ声が届いたからだった。はっと息を呑んで足を踏み出し、慌てて怪我人の傍らにしゃがみこむ。
「大丈夫ですか? しっかりしてください!」
「先輩?」
 無傷と思われる肩を軽く揺するものの、反応は返らない。口元に手をかざせば細いながらも呼吸を感じるため、生きてはいるのだが。


 足音が近づいて、次いで息を呑む音が聞こえたが、頓着しているゆとりはなかった。恐らく、ここまで娘を抱えてきたのだろう。しかと回されていた青年の腕を、双方の傷に響かないよう苦心して外し、そして望美は隣にやってきた青年を振り仰ぐ。
「譲くん、お願いがあるの」
「……この人達が誰だか、知っているんですか?」
 幼なじみゆえの察しの良さか、望美が最後まで言いきらなかった“お願い”に、譲は実に的確に言葉を返す。その声の固さは、相手の身分を正確に推測しているがゆえだろう。よく気づくものだと思う一方、それでも自分にはとことん甘いその性格を、望美はありがたく衝かせてもらう。
「この人は八葉だよ。天の玄武」
 宝玉があるでしょう、と。血の気を失っている掌を示しながらさらりと言ってのけ、しかし譲は誤魔化されてくれない。
「では、そちらの女性は?」
「……平家の人、かな」
 ならば曖昧な返答は逆効果だろうと、素直に、望美は確信にまみれた推測を告げる。
「でも、放ってなんかおけないよ。お願い。運ぶのを手伝って」
「平家の人なら、助けても助かるかはわかりませんよ?」
「うん、わかってる。でも、だからってここで見捨てられない」
 譲の指摘はもっともである。八葉という言い訳のできる青年でさえ、連れ帰った後の顛末に一抹の不安を拭いきれないのに、腰に刀を佩き、鎧を纏ったいかにもな娘を、九郎が見逃すはずがない。最悪、即座に首をはねられることも考慮に入れるべきだろう。甘いことをしているという自覚もある。それでも、目の前の怪我人を助けたいという純粋な動機の裏で、静かな声が囁く。

Fin.

back --- next

back to 遥かなる時空の中で index
http://crescent.mistymoon.michikusa.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。