朔夜のうさぎは夢を見る

えらぶみち

 それは、ごく単純な問いかけであり、がすっかり失念していた可能性の示唆であった。
「……わたしならば、何としてもソレを殺します。ありとあらゆる、すべての可能性を含めて、徹底的に」
「で、あろうな。俺もそうする」
 あっさり頷き、知盛は「俺が何を言いたいか、もうわかろう?」と続ける。
「今まで以上に、この力を秘せ、と」
「然り」
 慎重に紡いだの言葉に、知盛は満足げに口の端を吊り上げた。
「そも、軍場においては必要なき力よ。これまでのお前が、その力を無駄にひけらかしていた、とは言わぬ。……お前は、実によく心得ている」
 とろりと瞳の奥の光を滲ませ、低い声がやわらに紡ぎあげられる。
「だが、かつてお前は言ったな? その身を守るため、お前ではない意識がお前の身を操り、お前の身を守らんがためにお前の力を揮うことがあった、と」
「はい」
「悪いとは思わん。それこそはお前の力。身を守るために持てる力を最大限に振るうことを、俺は決して否定しない。だが、それによって神子が操るであろう“神の力”を殺すことがあれば、それは即ちお前の身を滅ぼすことへと繋がろう」
「そして、その場でわたしを殺したとしても、“同じ力の可能性”を排除するために、一門に関わるすべての人々を根絶やしにする動機と根拠になりましょう」
「そういうことだ」
 溜め息混じりにうんざりと肯定し、知盛は遠くを見やる目をする。


 どこを見ているのだろう、と。それは、折に触れてが疑問を覚える、遠く透明な眼差しだった。将臣には彼岸を見る目をする、と言い、には恋い悼んで焦がれる目をする、と言う。だが、その知盛の眼差しが見つめる先、見つめるものこそが、にはわからない。
「ゆえ、きつと秘せ。その力を真に必要とする時まで、決して、なんぴとにも洩らすな」
 そうしてしばしわだかまった沈黙を割ったのは、ただ静かな諦観の声だった。微塵の感慨もなく世界を見据え、知盛はひんやりと嗤っている。
「例外はない。力の存在そのものを、ただひたすらに、秘す必要がある……さもなくば、真にその力を振るうべき局面にて、その力の真価が損なわれよう」
 ゆるりと差し伸べられた指先が、湯による湿り気を残す髪を梳き、うなじを辿って腕を指先へと落ちていく。動作はひどく緩慢で、声音はひどく穏やかだった。だが、紡がれる言葉は深く、遠い。の知らない何かを見据え、知盛は辿りうる未来の可能性を、憂えている。
 不透明ながらも内容の不穏さを感じ取り、緊張によって熱を失った指先を、ごつごつした無骨な手が掬い上げた。抜けるように白い肌で覆われているくせに、長く剣を握り続けたために皮膚が厚く盛り上がり、いくつもの傷跡が残る、まごうかたなき武人の掌。興味深そうに冷え切った指先をもてあそんでから、知盛は小さく苦笑して宥めるように、繕うように言葉を継ぐ。
「その力に限らず、お前の纏う加護は、お前を確かに守ろうよ……。ただ、神の加護を声高に叫ぶことは、決して大義となるばかりではない、と、いうこと」
「………強大に過ぎる力は、妄信と、そして恐れを生みましょう。わたしは、そんな得体の知れないものに呑まれるような道は、選びたくありません」
「わかっているじゃあないか」
 憂えの先は結局はぐらかされたものの、代わりに与えられた根拠はの理解と納得を存分に促すものであった。そもそも公にするつもりのない力ではあったが、刺された釘に素直に頷くには、十分な理由である。


 満足そうに細められた深紫の双眸をまっすぐ見つめ返し、は背筋を正して凛と声を張る。
「いかな状況に置かれても、この力をこそ必要とする場面でない限り、必ず抑え、秘し続けると誓います」
「その言、しかと聞き届けた」
 可能性を示唆された段階で、それは既に決めていた覚悟。知盛を、そして知盛が護らんとしている一門を、みすみす危難に曝すような愚は犯したくない。その願いの深さと可能性への恐怖心は、きっといかな場面においても誓いを守りぬくための枷となり楔となるだろう。の紡いだ誓いの言質を受けて軽く掲げた杯を干し、知盛は証人となることを宣する。
 神子という力を得、神が味方したという大義を得、以後の源氏勢が士気を上げることは想像に難くない。だが、同じように神の加護を持つ神子である身だからこそ、は知っている。その大義は、決して神の理屈ではなく、人の解釈によるものなのだと。
 怨霊を用いる平家の在り方を正しいとは決して思わない。だが、ならば怨霊を用いていないから源氏が正しいとも思わない。からしてみれば、親王令旨を勝手に発布してまで、発端となった戦を仕掛けてきた源氏勢とて、存分に横暴で間違っているとしか感じられない。
 知盛も言っていた。所詮、大義など建前。たとえ神を掲げようとも、勝ち抜かない限り大義は正義とならずに潰える。なればこそ、平家も源氏も、自分達の正義を証明し、自分達の安息の未来を得るまでは負けることができないと戦い続けるのだ。


 それまでの厳粛な空気を拭い去り、だらりと姿勢を崩して再びの酒宴に戻ることにしたらしい知盛は、瓶子をの方へわざわざ押しやり、空になった杯を突きつけて酌を要求する。
「さて、これにて彼我の戦力はほぼ互角……還内府殿の画策は、どうなることやら」
「そういえば、そろそろ京に入られる頃ですね」
 ちびちびと酒を舐めながら囁かれた言葉に、三日前の夕刻に出立した背中を思い出し、は小さく応じる。経正による散々の詰め込み教育の成果か、たった一月ほどで、将臣の知識量と行儀作法は格段の上昇と改善をみせている。そもそも頭の回転の速い、会話の切り返しも絶妙な将臣である。宮中をそつなく渡り歩いていた重衡らを中心に舌戦も鍛え、評価は上々。ならば、院との交渉も、その成果を期待できないことはなかろうというのがの見解である。
「いずれにせよ、まだ面倒は続こうよ。……人に、神に、怨霊に。かほどに様々な力の入り乱れた戦なぞ、そうそう見られたものでもあるまい。せっかくその只中にあるのだ。何ひとつ、見逃すなよ?」
 どこか気楽とさえいえる様子で、勝敗やら戦の帰結やらといったしがらみを超えた視点で状況を俯瞰しながら紡がれる知盛の声は、愉悦と嘲りに揺れている。
「見逃さず、見届け、そして未来へと繋ぎましょう。そのためにも、まずは還内府殿の交渉の成功を、及ばずながら祈りたいと思います」
「まあ、それで終わってくれるに越したことはないから、な」
 言葉にわずか滲んだ憂慮の色を瞬きひとつで霧散させ、黙って飲みかけの杯を天に掲げ。知盛はぐいと、渦巻く思いのすべてを干すかのように、杯を傾けた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。