朔夜のうさぎは夢を見る

えらぶみち

 そのまま、ああでもないこうでもないと振り出しに戻って知識の総整理を繰り返す将臣との許に邸の主人がやってきたのは、日がすっかりと落ちてからのことだった。
「……何をやっておられるのか」
「お、お疲れ、知盛!」
「お戻りなさいませ」
 邸の北面に設けられた知盛の曹司は、庭に向くと部屋の入り口に当たる渡殿には背を向ける形になる。衣擦れの音で既に察しをつけていた二人は、当然のこと断りも入れず御簾を持ち上げて登場した知盛を振り返り、それぞれに帰邸を迎える挨拶を送る。
「お前を待ってたんだよ。酒を貰ったから、一緒に飲もうと思ってさ」
 すっと腰を上げて円座を取り出し、主のための席を整えたは、将臣と向き合っていた時よりもさらに下座へと位置をずらす。ほら、と揺らされた将臣の手元の瓶と、さらに移動して部屋の隅で何やらごそごそと動いているの後頭部を順に見下ろし、そして知盛は半眼になっていた瞳に愉悦の笑みを滲ませた。
「それは、ありがたい」
「だろ?」
「知盛殿、替えのお衣装をこちらに」
 男同士で笑いあう声が一区切りするのを見計らってかけられた声に振り返れば、几帳の脇に控えたが狩衣を膝に抱えていた。それに小さく目で頷き、知盛は口を開いて指示を追加する。
「着替えは構わんから、何か適当に摘むものを。……有川、お前、夕餉は?」
「こっちで貰うつもりだった。いいか?」
「悪いと言っても聞かぬくせに」
 からりと笑う将臣にわざとらしく溜め息をつき、そして知盛は続きを待つへと改めて振り返る。
「どうせ、有川の相手をしていてお前もまだなのだろう? ならば、三膳だな。酒の追加もだ」
「承知いたしました」
 本来ならばありえない指示だが、将としての側面も持つは、食事のついでに簡単な情報交換をする知盛や将臣に同席することも多い。ならば一緒に食べようと、言い出した将臣に知盛が悪乗りし、今ではさほど珍しくもない夕餉の席の光景である。


 主の帰邸に備えていた台盤所にが顔を出せば、それほどの時間もおかずに温かな食膳が調えられた。それなりに夜も深まってきた時間ではあったが、まだ衣装を崩していなかった女房を捉まえて配膳の手伝いを頼み、気さくな夕食会が幕を開ける。
 知盛と将臣による簡単なその日の情報交換が主な話題であり、その間、口を開くこともなく黙々と食事を進めるが真っ先に箸を置くのはいつものこと。さっさと膳を脇に除け、続く酒宴のためにとやはり脇に置いてあった高坏の上に、瓶子やら杯やらを調える。
「ところで、還内府殿」
 ようやく食事が終わった二人の前から膳を片付け、酌と聞き役に専念するがそれぞれの杯を既に三杯満たし終えた頃、ふと知盛が将臣に向かってそう呼びかけた。
「……その呼び方は、最低限にしろって言ってんだろ」
「そうは申されますが、“還内府殿”に、お伺いしたいことがございますゆえに」
 凄みさえ帯びた低音での切り返しにも微塵も怯まず、いっそ嗤い混じりに知盛は続ける。
「俺を福原に閉じ込めて、ご子息には宇治川への遊山をお許しになられたとか……?」
「お前、どこでそれ聞いたんだよ!?」
「はて。情報なぞ、集めんと思えばいくらだとて集まるものさ」
 呆れと驚愕を半分ずつ混ぜ合わせた将臣にくつくつと嗤い、そしてふと知盛は声を改める。
「俺は、聞いてないぜ?」
「………ちょっとごたごたして、結局事後報告になっちまったんだ。悪い」
 神妙に俯いて、将臣は素直に謝罪することから説明をはじめた。


「福原に戻ってから、惟盛が京に出たいっつってんの、ずっと抑えてたろ? 我慢の限界だったところに、宇治川の話を聞いたらしくてさ。準備万端で宣言しにきやがって」
 苦りきった表情でぽつぽつと言葉を継ぎ、将臣は状況を明かす。
「木曽も鎌倉も、源氏勢を一気に叩くいいチャンスだし、木曽には恨みがあるって言われたら、こっちとしては理詰めは厳しい。しかもそれで相当怨霊を煽った後だったから、もう収拾つけようがなかったんだ」
「それで、ならば多少は発散させた方が良い、と?」
「ああ。幸い、って言っちゃいけねぇんだけど、手勢は怨霊だけだった。それに、ここで義経の戦い方を見ておくのは重要だし、あっちにダメージを与えられるんなら万々歳だしな」
「なるほど……」
 ふう、と溜め息をついて酒を舐め、しかし知盛はちらちらと様子をうかがってくる将臣に釘を刺すことを忘れない。将臣は確かに還内府として全軍を動かす権限を握っているが、だからといって郎党を抱えているわけではない。そのため、兵を動かすにはそれぞれの郎党達の仰ぐ主である知盛達といった各将に挙兵を打診しなくてはならないし、総領という役責を表裏で担う知盛には、すべての情報を共有することで合意している。そういった各所の協力があって初めて成り立っているのが、還内府という危うい立場の実情なのだ。
「此度の件は、理解した。……惟盛殿のご決断となれば、そうそう止められまい。妥当なご英断だったと、申し上げよう」
「本当に悪かった。もう報告遅らせることはないようにするから」
「是非に、頼みたいものだな」
 罰の悪そうな顔でしみじみと頭を下げられ、知盛はもう一度溜め息をつくことで話題の終結を伝える。


 そもそも、将臣に悪気がなかったこともわかっているし、間が悪いとしか言いようのない今回の一件において、言葉通り将臣は妥当かつ適確な判断を下したと考えている。ただ、怨霊のみを率いていったという惟盛ならば、その血筋からも怨霊としての在り方からも独断専行が容認されるが、それはごくごく極端な例である。
 還内府を信奉し、あるいは妄信する末端の兵ならともかく、逆に胡散臭いとばかりに見やる面々もいまだ絶えない中、上意下達が滞りなく行われるよう調整を行なうのは知盛の仕事の中でもかなりの上位に位置する要職。情報の漏れがあっては、その調整にひずみが生まれかねない。そのあたりをもう一度、確認する必要があると思っていただけなのだ。
「惟盛殿も、いま少しお心を安らげてくだされば良いのだが」
「……しかたねぇよ。惟盛の気持ちは、まあ、わかる。面白くねぇよな。俺みたいなどこの誰とも知れないガキが、敬愛していた父親の蘇りだ、ってちやほやされてるんだ」
 ゆるりと視線を庭に遊ばせ、生前とはすっかり気性の変わってしまった年上の甥の狂気を知盛が嘆けば、将臣は苦い声を振り絞る。
「悪いとは思ってるんだ。惟盛にも、他のやつらにも……もちろん、お前にも」
 平重盛の名は、将臣にとっては有効な手札であると同時に、ひどく重い幻影であった。清盛に拾われた頃に感じていた違和感が、今では重責となってのしかかってくる。誰に聞いても決してそしりの言葉が返らない、理想の総領であった小松内大臣その人。平家の希望の代名詞でもあるその名を負うことへの覚悟は決めたつもりだったが、その意味の深さは、将臣の予想の遥か上空をいくものだったのだ。
「でも、この名前のお陰でみんなが俺の言葉に耳を傾けてくれるって言うんなら、俺は最後までこの名前を利用し続ける。それが、勝手に名前を借りてる重盛さんへのお詫びにもなるって、信じてる」
 ぎりぎりと空いた手を握り締め、虚空を睨んでから将臣は振り返る。
「今回の件は、本当に悪かった。止められたとは思わねぇけど、報告が遅れたのは俺の落ち度だ。もう二度とやらない」
 だから、もう少し付き合ってくれ。そう言って深く頭を下げる将臣に、小さく目を見開いてから知盛はゆるりと目尻を和ませる。
「無論……お前が嫌だと投げ出すまで、きっちり付き合ってやるさ」
「誰が投げるか。最後までやりぬくぞ、俺は」
 笑い混じりの声にぴしゃりと言い返す強い眼光を真っ直ぐ受け止め、今度こそ知盛は小さくもはきと笑む。
「その眼に道を示されるのは、悪くない」

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。