えらぶみち
気に敏いからこそ感じる、溢れんばかりの眩い陽の木気。木気が象徴するのは春。地で眠っていた龍が天へと駆け上り、命が芽吹き、あらゆるものがはじまる季節。それらが人の形を取ったのかと錯覚させるほどの将臣を見て、この人の往く道を見てみたいと感じた。憂いに曇っても決して先を見据える光を失わない瞳に、この人に道を託すのもひとつの生き方だろうと感じた。
ちらちらと様子を垣間見ていただけのでさえそう感じたのだ。馬術を仕込み、剣術を指南し、時に酒を交わしながら言葉を重ねただろう知盛は、きっとそれ以上の何かを将臣に感じたのだろう。だからこそ、知盛は将臣を一門の頂へといざない、往くべきはどちらか、と問うているのだ。それを、滅びを視てしまった自分では見出せない、もうひとつの往く道とするために。
「きっと、知盛殿はその、将臣殿が照らすだろう道に希望を託したのだと、そう思っています」
言われた内容が照れくさかったのか、衝撃だったのか、耳に血を集めながら絶句していた将臣は、小さく目礼して口上の終了を告げたに、ゆっくりと瞬きをしてから問い返す。
「だからって、明け渡せるもんか? 総領の立場だぞ? 俺みたいなのに、表向きの演技とはいえ、頭下げなきゃいけなくなるんだぞ?」
「それよりも、将臣殿の示した道を往くことに、重きを置かれたのでしょう」
「裏方で苦労してるのは知盛なのに、知ってるやつはごくわずかだし」
「元より、ご自身の労苦をひけらかす御方ではありません」
「見返りも何もない。俺は、だって、期待されてもそれに確実に応えられるか、自信はないんだぜ?」
「ですが、将臣殿はやり遂げるおつもりなのでしょう? “歴史を覆す”という偉業を」
返した声に向けられた揺るぎない眼光こそが答だと、気づかないのは本人だけだろう。そう内心で淡く苦笑を零し、は口の端を吊り上げる。きっと、この瞳をどこかで見て、それで知盛は将臣に総領という舵取り役を譲ったのだ。導きたい先があるのなら、見せてみろと。
きつとを正面から見据え、将臣は深く言葉を紡いだ。
「ああ、やってやる。それは、誰にも譲らない、俺の信義だ」
その声は強く、聞く者を無条件に従わせる何かを孕んでいた。それは、きっと人の上に立つ器とか、そういう類のものなのだろう。惹きつけて放さない、光。この素質だけでも、きっと知盛は存分に将臣という器を活用しただろうなと、はぼんやり考える。
「だから、その上で改めて月天将にお願いしたい。将として、兵を預かって動いてほしい」
「それがひいては知盛殿のためとなるのならば」
深く下げられた頭に対してゆったりと額づき、は言葉を継いだ。
「承りましょう、還内府殿。あなたの往く道を知盛殿が道と定める以上、私の道は、あなたと共にあります」
「……ありがとう」
暫しの間を置いて頭を上げた先で、それを待ち構えていた将臣はさらに深々と礼を送ってきた。その声の震えの要因は問わないまま、は笑んだ声で「大丈夫ですよ」と繰り返しては、苦悩多き総領の癖の強い髪をそっと撫ぜてやっていた。
その後、現代出身者ならではの今後の方針と大まかな流れの打ち合わせを経てから、将臣は慌しくあてがわれた邸へと帰っていった。いくら裏方の仕事のほとんどを知盛が担っているとはいえ、状況判断の多くを託される将臣は、正確かつ大量の情報を仕入れておく必要がある。間諜からの報告や周辺の諸豪族との書簡の遣り取り、はては郎党の意見収集まで、決して暇な身空ではないのだ。
一方の自室を譲っていた知盛は、案の定というべきか、の局で脇息にもたれてのんびりと潮騒に耳を傾けていた。
「終わったか」
振り返りもせずに放たれた問いには短く「はい」とだけ答え、はそっと、知盛の背後に膝をつく。
「で? お前はどの道を往く?」
言ってゆるりと身を起こし、億劫そうに振り返る知盛の言葉は問いかけの形を装っていたが、瞳は確信に満ちてただ静かだった。将臣の言ではないが、本当に敵わない相手だと、しみじみ思いながらはそっと口を開く。
「還内府殿のご下命、まして知盛殿が諾と請けられたものを、一介の女房たるわたしにお断りできようはずがありません」
「俺のせいだと?」
「そろそろ言い出される頃とは、思っていましたので」
混ぜ返す声には応じず本音を切り返せば、くつりと低く笑う声が響く。
「お申し出をお請けすることにいたしました。軍場にて、時にお傍を離れることとなりましょう。その旨、お許しを願いたく」
「そも、俺が許可したことと……そう言っていたではないか」
「それとこれとは、意味合いが異なります」
額づく頭から声が降り、指が頬を辿って顎を掬い上げられる。素直に顔を上げれば、声は笑いながらも目の奥に宥める色を浮かべた知盛が、そっと双眸を眇めている。
「名を高める方向を、誤ったか」
ぽつりと呟き、知盛は小さく息をつく。
「たとえ還内府殿とは言え、渡すのは惜しいが」
「渡さぬ道理がありますまい。月天将の名は、あまりに高くなりました」
「俺のものだぞ?」
「それも含めて」
言葉に実感を篭めて惜しまれたことで、渦巻いていた、もはや用済みなのではという心配がすっと拭われる。深く胸を満たす安堵に細く細く息をつき、テンポの良い言葉遊びに互いの距離が決して広がっていないことを確認する。
指が外される代わりに膝に頭が降りてくるのは、もはやいつものこと。見上げてくる深紫の瞳を覗き込み、変わらぬ己の立ち位置に余裕を取り戻したは、そっと微笑みを向ける。
「軍場でほんの少し、距離のできる可能性ができたと、それだけのことにございます。たとえ離れることがありましても、それはすべて、知盛殿の背をお守りするための陣となしましょう。ゆえ、どうかご寛恕いただきたく」
「……お前は、随分と物分りの良いことだな」
今度こそ深々と溜め息をつき、瞼を下ろしてごろりと寝返りを打つ。に背を向け、視線を庭に。そして、そのまま小さく呟いた。
「極力、そのようなことのないようにはしたいものだが」
言って言葉を切り、知盛は声を深める。
「」
「はい」
「往くとしても、必ず戻れ」
「……はい。必ず、ここに」
背を預かれる場所に。眠りを預かれる場所に。万感の思いを篭めてのいらえには、穏やかに笑う気配が返された。
Fin.