彼らの関係性
どうやら入手においてさほど無理をさせたわけではないらしいが、知盛が苦い顔をするだけの何がしかはあったらしい。自分のせいでこの、わずかな時間を過ごしただけでも知れる気心の知れた主従の中をこじらせてしまったのかと、不安に思って残る二人を振り返った将臣は、楽しそうに弧を描く二つの唇に、黙って成り行きを見守ればいいのだろうと判じる。
「事前にとはいえ、無理をお願いしていたのですから、直接お礼を申し上げませんと」
「そういうことではない。無闇に出歩くなと、あれほど言い含めただろうが」
「無闇ではありません。必要があったればこそ、出向いたのです。それに、ちゃんと刀も持っていきました」
くすくすと、笑い混じりの声は譲らない。屁理屈を屁理屈とわかってこねているのだろう。対する知盛も本気で咎めるというよりは、釘を刺しているという色味の強い空気を纏っている。
「里の方々が我々をどのように捉えているのか、日々の些細な変化を見逃すわけには参りません」
「だから、そういう仕事は他の連中にやらせればよかろう」
「知盛殿や他の将兵の方々が出向かれれば、警戒されてしまいます。その点、女の身空とは便利なものですよ? ですが、他の女房殿にお任せするわけにもいきませんし」
「あー、ちょっといいか?」
ぽんぽん交わされる応酬は、軽やかで平穏極まりない声音に反して、実に物騒な内容だった。片頬を引きつらせながら発言権を求めた将臣に、知盛は視線を、は笑みを向ける。
「ええっと、アンタ。呼び方は……」
「胡蝶でもでも、どちらでも」
「胡蝶だ」
言葉を継ごうとして肝心な呼び方がわからないことに気づいた将臣だったが、当人の許可に被せるようにして雇い主たる男が不機嫌そうに断言する。
とはいえ、将臣の感覚の土台は現代のものである。主従関係だの身分の差異だのにもいい加減慣れてはきたが、相手が現代出身ということを思い出し、確認の視線はへと向かう。
「では、胡蝶と」
しかし、その当人は実にあっさりとしたもので、主の言葉に否やはない。さすがに過ごしている年数が違うと色々と違うのかと感心する思考の隅で、落とせていないという割に脈がないわけではなさそうだと、義弟の恋路に少しだけ思いを馳せてもみる。
「ん。じゃあ、胡蝶さん。アンタ、もしかして刀が扱えるのか?」
「それなりに」
「で、間諜もどきの真似事もする、と?」
「それなりに、ですけれど」
もっとも、本題を見失ったりはしない。聞いていて引っかかった単語について、ひとつひとつ順に問いただしてみれば、けろりとした肯定が返される。何より、知盛はともかく、重衡も経正もまるで違和感をみせないことにこそ、将臣は違和感を覚える。
「女房さんって、そんなアグレッシブな職業だったか?」
「わたしは例外です。本来ならば眉を顰められてしかるべきですが、あいにく、この身は“普通の女房”ではありえないものですから」
しみじみした述懐には、カタカナ語の翻訳が必要ないによる穏やかな解説が返る。それによって意味の取れなかった単語の示す方向性を察したのだろう。労わるような苦笑を刷くのは重衡、痛ましげに溜め息を落とすのは経正、そして知盛は楽しげで満足げな微笑を浮かべている。
「月天将という名を、聞いたことがありましょう?」
「ああ、あるな……って、まさかッ!?」
からかうような問いかけに、思い当たる可能性はひとつ。目を見開いて身を引けば、悠然とした笑みがその動線を追いかける。
月天将とは、知盛麾下の中でも、その下に一切の兵を置かない遊撃専門の将の通称である。乳兄弟である家長とは種を異にする、しかし知盛の腹心の部下の一人。時に指揮官として隊を率いる家長とは対照的に、出陣すれば必ず常に知盛と同じ軍場を駆けることで知られる、仮面をつけた姫将軍。還内府たる将臣にとって、その名は知盛の戦績と共に耳にするものの、一度としてまみえたことのなかった幻の相手。
「それが、わたしです」
「……信じられねぇ」
喉の奥から絞り出した声が苦りきっていたことを、決して責められたくはないと将臣は思う。血のにおいの充満した軍場と、衣に清楚な香を仄かに焚き染めた娘の姿は決して一致しない。そして、同時に妙な納得が胸を満たしていくのを感じる。
「…………あー、けど。なんつーか、さすが?」
さすがは知盛専属が務まる女房というか、さすがは知盛が惚れた相手というか。言葉にならない感慨はすべてしみじみと吐き出される吐息に篭め、将臣はわけがわからないといった表情で己を見つめる蒼黒の双眸を見返す。
「それなりどころの腕じゃねぇじゃんか」
「それなり、ですよ。知盛殿にはいまだに勝てませんし、体力が足りないからと、置いていかれることも多いですし」
「いやいや、十分だろ」
初陣に連れて行かれてからこちら、還内府などという大層な肩書きを背負ってしまったこともあいまってか、将臣はたとえ出陣を許されても陣中でさえ警護の者を置かれるぐらいだ。それに比べれば、時に知盛が背を預けて戦うというの実力は過ぎるほどに十分である。それでも、自分の力の足りなさに歯噛みする表情を瞳の奥に殺し、嘆くように返された言葉に、将臣は苦笑を浮かべる。
Fin.