彼らの関係性
無言で睨みあう兄弟は、一見すればこの上なく剣呑で仲が悪そうだが、実のところその腹の探りあいのような遣り取りさえ楽しんでいるだけである。憮然とした面持ちから一変し、ついと口の端を吊り上げ、弟へ凄艶な流し目を送った兄は一言。
「あれは、胡蝶。なれば、夢にも舞ってこそ……だろう?」
「それで兄上が現と夢とを取り違えてくだされば、代わりに私がお慰めいたしますのに」
「あいにくと、夢でも現でも……、あの胡蝶は、俺のものだ」
大仰な溜め息には、余裕の笑み。対して返される笑みは、今度は「仕方ない」と物語り、同時に「微笑ましい」とも物語る。
「おーい。俺を放り出してわかりあってんじゃねぇよ」
「失礼を」
ようやく口を挟んでも大丈夫だと判断した将臣が苦笑交じりに文句を言えば、笑みはそのまま、今度は芯までやわらかな調子で重衡が軽く会釈を送る。
「で? その蓮華の君ってのは、結局どこの姫さんなんだ? 知盛の相手が務まるなんざ、只者ってわけじゃないんだろ?」
「いいえ、日頃はいたって普通の御方ですよ。それこそ、なぜ知盛兄上のお相手が務まるのか、誰もが疑問に思うほどに」
好奇心を剥き出しにした将臣がわくわくと身を乗り出せば、便乗した重衡も、体を屈めていたずらげに囁き返す。それを聞き、傍から見ていて面白いほどに目を見開いた将臣に、知盛と重衡は同じ種類の笑みを浮かべ、経正は困ったように苦笑している。
「蓮華の君を、ご存じないのですか?」
「おう、初耳。てか、良く考えてみれば、知盛って自分のこと滅多に話さねぇし」
改めて問いかける経正の穏やかな眼差しに、大きく頷いて将臣は素知らぬ顔の当人を横目に見やる。ついでに瓶子も奪ってやったというのに、それでも知盛は気にした様子もない。
「……わざわざ、語って聞かせねばならぬようなことでもないからな」
「そりゃまあ、そうなんだけどさ」
しれっと与えられた言葉はまさに正論そのものなのだが、将臣の表情はすっきりしない。仲間はずれにされたような、まだ彼らとの間に距離があるような、一方的な寂寥感が胸をじわじわと埋めていくのだ。
言葉にされなかった心情は、表情と纏う空気が過ぎるほどに語る。視線が外れているのをいいことに目を見合わせて三人でくすりと笑い、それから宥め役としてもっとも適任である経正がやおら咳払いをして注意を引く。
「知盛殿に悪気があるわけではございませんよ。むしろ、意図的に隠していらっしゃったのならば、それはそれでお気遣いの結果にございましょう」
いかがです、と問われれば、常ならば曖昧にはぐらかしてばかりの知盛が、ゆるりとやけに素直でやわらかな微笑みを返す。
「胡蝶殿もまた、将臣殿と同じく、遠く異国より参られたと聞いております。兄上は、胡蝶殿に里心がつき、お寂しくお辛い思いをさせるような事態を避けたかったのでしょう?」
「……還すつもりは元よりないが。恋しいと泣かれれば、それはそれで面倒だろう?」
笑みは深遠。常とは違う奥深さを湛えた瞳は、滅多には見られないわかりやすさで、言葉とは裏腹の慈愛に凪いでいる。
もっとも、それに気づくだけのゆとりが今の将臣にあろうはずもなかった。しきりに瞬きを繰り返し、並ぶ三人の顔を視線で何往復もしてから、一番まともな説明を期待できそうな経正に詰め寄る。
「俺と同じって、どういうことだよ? そんなの、聞いたことねぇぞ」
「言わなかったのだから、当然だな」
「何でだよ」
肩に手を置いて半ば詰るように問いかければ、横合いからさらりと知盛が答をさらう。手はそのまま、首から上だけを振り向かせた将臣に、今度は不機嫌を滲ませて知盛は応じる。
「言えば、お前は会わせろと言っただろう?」
「そりゃあ、まあ……。でも、別に深い意味はねぇぞ?」
「知っているさ」
声音の意味を察して先回りして釘を刺した将臣だったが、それにはあっさりとした肯定が返る。そして、眉間の皺は変わらない。
「だが、不愉快だ……。あれは、お前と同じで情が深い。話に聞くだけで過ぎるほどに気にかけているというに、いざそのような名目で引き合わせなどしたら、絆されて揺らぎかねん」
溜め息交じりに吐き出されたのは、毒のように甘やかな嫉妬。
「そんなことになったら、お前を殺したくなってしまうだろう……?」
瞬きひとつで塗り替えられた凄絶な笑みも、気だるげな眼差しも、すべてがその口の端に浮かぶ真情の色を深める要素にしかならない。
知ってはいたが、その事実は緩衝材にさえならない。それぞれに息を呑み、呼吸を殺すことで押し寄せる気迫をやり過ごしていた重衡と経正だったが、続けて耳に飛び込んできた声の間抜けさに、思わず笑いに肩が揺れることはやり過ごせなかった。
「性質悪ぃ男に引っかかったなぁ、その人」
思ったことを素直に綴った、という事実が明白な声は、実にしみじみと夜闇に溶け込む。笑みに取って代わられたことで将臣はうっかり失念していたようだが、あっという間に戻ってきた眉間の皺に、重衡と経正は知盛の反応を横目でそっとうかがって口を噤んでいる。
「でも、その言い方からすると奥さんか? お前みたいなのと、よく結婚してくれたな」
「……婚儀は、挙げていない」
「あ? てことは側室ってやつか」
「お前、あれの目の前でそのようなことを言ったなら、すぐさま刀の錆にしてやるからな」
今度こそ正しく憮然と切り返した知盛に、はたと瞬いて将臣は呼吸を二つ。それから、誰も破ってくれない沈黙に耐えかねておずおずと声を絞り出す。
「もしかして、夜遊びの延長とかじゃなくて、本気の相手なのか?」
心底からの驚愕が凝り固まったかのようなその声と表情に、ついに耐え切れなくなった重衡と経正は、身を捩り、声を上げて笑い出していた。
Fin.