朔夜のうさぎは夢を見る

彼らの関係性

 降り積む日々は、日常に軋み音を少しずつもたらしながらも淡々と進む。最後の兄は、南都の悪僧から受けた傷が元で、逝った。激怒する父と嘆き悲しむ母を残し、鎮圧に向かった先では、戦とも呼べない小競り合いの結果、実際に行なったのは火の始末である。そのままなし崩しに総領としての立場に押し込められ、目を回すうちに清盛は原因不明の熱病によってこの世を去り、しかしすぐさま怨霊となって蘇った。
 いびつに、強引に、どんなに取り繕おうとも世の理を冒した罪は世界に糾弾される。いかな形であろうとも。
 蘇った父の目には、生き残った息子のことよりも、拾い上げた子供の上に映る今は亡き息子の幻影こそが愛おしまれたらしい。重盛、と。狂気を孕むその存在のうち、懐かしい名を呼ぶ声だけは、往時と変わらぬひたむきな情愛に濡れていた。
 蔭りは明白なのに、目を向けようとしないのは、見えていないからか、見たくないからか。それとも本気で返り咲くことを信じているからか。理由は様々だろうが、いずれにせよ目も当てられないと、父の命もあって総領の立場を亡き兄の幻影に譲った知盛は、薄く冷笑する。
 姿形は変わろうとも、その気性が変わろうとも、つまるところ家族を本当の意味で見捨てることができなかった。世界の理を踏みにじって舞い戻る魂たちを憐れみ、蔑み、それでも共に軍場に立つ日々。誰よりも関係ないはずだった客人は、気づけば喪われた義兄の穴を埋めている。
 危惧し、自嘲し、けれど諦め認めた方向へと流れゆく世界を、留める術が見つからない。だから足掻き続けるのだ。どうにもならない世界の潮流を、しかしどうにかして、ほんのわずかにでも覆すために。


 花もなく色気もなく、濡れ縁に集まっては酒を酌み交わし、軍議くずれの会合を繰り返す。集うのは、同じ形の終焉を願う一門の中枢。将臣と知盛の二人からはじまり、重衡が加わり、経正がやってきた。かつてはただ気負いのない酒の席であったはずのそこは、倶利伽羅峠の一件から都落ちを経て、その色味をあからさまに変えたのだ。
 女房たちも心得たもので、彼らが集えば、既に言いつけなくとも自動的に人払いがなされるようになった。楽でいい、とも言えるし、それだけ隅々にまで現状への憂いが浸透している、とも言える。
 爪弾かれるのは経正の琵琶。物悲しく、物寂しく、幽玄な音は世の無常にいたく染みる。文字通り『変わって』しまうものばかりである中、こうも『変わらず』あれることに魂の高潔さを垣間見た気がして、その存在への侮蔑と哀切の裏側で、人となりへの評価を上げた知盛である。
「じゃあお前、あんだけ熱烈な文を山ほど貰っているくせに、結婚する気はないのかよ!」
「ええ、まあ今のところは」
 とはいえ、話題は二転、三転し、気づけばよもやま話。いつまでも気を張り詰めていても仕方がないと、面子の中ではとりわけ生真面目な還内府が肩から力を抜いてしまえば、否と唱える者など存在しない。


 ちびちびと手酌で酒を煽る知盛の視線の先で、今宵の肴となっているのは実弟の華々しい恋愛遍歴である。見かけは鏡映し、性情は真逆と称されることが多い二人だが、遣り口が異なるだけで、その派手な夜の噂は互いに勝るとも劣らない。下手に口出しをして火の粉がかかるよりも、薄っすら笑いながら傍観しているのが賢い選択というものだろう。
「重衡殿には、会えずとも思う御方がおいでなのですよ」
「ああ、そういや言ってたな。十六夜の君だっけ?」
 それに、会話は思ったとおりの展開で進んでいく。重衡がいかな女君にも本気で傾倒せず、また側女さえ据えない理由には、あまりにも有名な噂があるのだから。
「でもさ、だったらその一途さを発揮して、他への手出しもやめとけばいいじゃんか」
「美しい花を愛でるのは、男の甲斐性というものでございましょう?」
「その感覚がよくわかんねぇんだよなあ」
 まあ、これが時代の違いってヤツか、と。勝手に自己完結して納得した様子の将臣は、にたりと質の悪い笑みを浮かべ、重衡とよく似た義理の弟を振り返る。


 どんな言葉よりも雄弁な表情が彼の言いたいことを物語っていたが、知盛はあえて無視を決め込んで瓶子を傾ける。もっとも、そんな程度で引き下がるようならば“還内府”など務まろうはずもない。
「そんなところで知らん顔してんなよ。お前はどうなんだ?」
「……どう、とは?」
 素知らぬふりで問い返すも、このところは大きな騒ぎもなく、おまけに上等な酒が入った将臣は気にした風もない上機嫌ぶり。ばしばしと遠慮なく知盛の肩を叩き、そのままずいと身を寄せて問いを重ねる。
「だから、お前は結婚を考えるような相手とか、いないのか? この世界だと、お前らみたいな年齢で独身って、結構特殊なんじゃねぇの?」
「ならば、一門の総領たる“兄上”こそ……。一日も早く身を固め、世継ぎをなしていただきたいもの、ですが」
 わかっていての物言いには、わざとらしいほどの恭しさで切り返す。元より下にも置かぬ扱いではあったが、いやます存在感に、最近では知盛たち兄弟の母たる時子が結婚相手の斡旋めいた話を匂わせているのもまた、有名な噂なのだ。


 案の定、日々その誘いをやんわりと、しかし誤解されない程度にはきっぱり断ることに骨を折っている将臣は、途端に眉間に深い皺を寄せる。
「俺の話はいいっての! ったく、人が苦労してるのを逆手に取りやがって……」
「俺とて、この手の話には苦労しているのだが」
「お前はどうせ、ふらふら遊び歩くのをやめろ! って類の説教に苦労してるんだろ?」
「さて、いかがなものか」
 本人も八つ当たりだと自覚しているのだろう。苛立ちを隠しもせずに睨めつけ、唸るように繰り出される嫌味にも、知盛が堪えた様子が微塵もない。けろりとした表情で酒を煽り、過剰な反応を視界の隅で楽しむ。
 わかっていても苛立ちを抑えきれないことに葛藤しているらしいが、その表情が露骨に表れてしまうあたりが幼いと、やはり知盛はくつくつ笑う。しかし、その笑い声を遮って涼しい声を響かせたのは、やはり喰えない彼の片割れ。
「無駄ですよ、将臣殿。兄上には蓮華の君がおいでですからね」
「あ? なんだ、知盛。お前も夢の相手に片思い中かよ」
「おや、蓮華の君は夢のうちでも兄上のお傍においでなのですか?」
 穏やかな微笑みは女房たちに黄色い歓声を上げさせる類のものだが、将臣にしてみれば背筋が震え上がる類のそれ。あからさまな揶揄の言葉に惹かれつつ、しかし知盛の反応が予測できないためあからさまな発言は憚られ、中途半端な目つきで経正に助けを求める。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。