朔夜のうさぎは夢を見る

きばをとげ

 の初陣となった宇治川での一戦で反平家勢力の挙兵の大義とされた平家追討の令旨は、各国に燻っていた勢力を煽る要因となったらしい。夏から幾度となく挙兵を繰り返してはそういった小競り合いを叩き伏せて歩く知盛の才が足りないわけではない。しかし、蜂起の数が増えれば、必然、追討軍を複数整備しなくてはならなくなる。
 命令の大半が知盛に回されるという状況に変化はなかったが、重衡が起ち、教経が起ち。福原に戻れば栄華に霞んで見えにくくなるものの、軍場に立てば嫌でも時流のきな臭さを感じる。高倉院が病に倒れ、京へ都を戻すよう求める声が町民の間からも高らかに聞こえるようになり、次第に緊迫感と哀愁を帯びていく知盛の横顔を見ながら、はひたすらに軍場を駆け抜ける。
 戦上手の呼び声高い知盛は、周囲の期待を微塵も裏切ることなく順調に勝利を重ねていた。その評価が高まるごとに、知盛の隣に騎馬を並べて刃を振るうの名も兵の間に浸透していく。いつだったか、流れ矢を捌ききれず結い上げていた髪が流れた姿を見られた頃から、ついた二つ名は月天将。焔を髣髴とさせる鎧を纏う知盛の背後に控え、夜闇を髣髴とさせる鎧と髪を持つことから名づけられたらしい、とは家長の得てきた噂だったが、神がかり的存在であると大仰に言ってのけた知盛の意図がそこかしこに潜んでいる気がしたのは、決して思い込みだけではないとは思っている。


 そんな慌しさときな臭さに満ちた情勢に何か思うところでもあったのか、挙兵の命がしばらく下らないことを見越したところで身辺の仕事を片付け、知盛はある日唐突に「西へ行く」と言い出した。
「西と申されますと、厳島ですか?」
「いや、長門国に」
 どうやら公務としてではなく個人的な用向きで出かけたいらしく、正装はいらないとの前置きの上、旅支度を命じられたが衣を選んでは畳む様子を見ながら、知盛は言葉を継ぐ。
「この調子で挙兵が続くなら、兵糧をしかと固めておかねばならん……。西国の諸豪族方への念押しを兼ねて、様子を見てまいろうかと、な」
「国司様が、直々に?」
「伝え聞くのみでは、わからぬことが多い」
 そう嘯くものの、手にしているのはその知行国から届いている報告書類だ。任官されても形ばかりの仕事さえせず、適当に地方の有力な豪族にすべてを任せている貴族が多い中、こうして書簡を用いてとはいえ、様子見を欠かさない知盛の姿勢は稀有なものと聞く。任官当初はわざわざ現地まで赴き、滞在しながら管轄の仕組みをきちんと整えていたというのだから、鷹揚に見えて律儀な性格なのだ。
 その律儀さが良い方向に作用した結果なのか、毎年秋口になれば名産という牡蠣が送られてもくる。同じく、かつて武蔵国の国司を務めていた折には馬が届けられたというのだから、政治家としての才腕も相当なものなのだろう。先を見通す視野の広さといい、本当に大したものだと、はひたすらに感心するばかりである。


 もっとも、が邸に召されてからも、時間が作れればふらりとこうして各地の様子を見に邸を空けていた。かつてはただ命じられるままに荷物の準備を請け負うだけだったが、こうしてその目的を明かされるようになった己をは嬉しく思う。それだけ距離が縮まったのだと、この主に心を許されているのだと実感でき、そして反面、見送るだけの己を悔しく思う。
「替えの御衣装は、これでよろしいでしょうか」
 溜め息は内心に留め、代わりには畳み終えた直衣やら単やらを大判の布の上に並べて知盛へと示してみせた。旅の足を妨げるほどの大荷物ではいけないし、有力豪族に顔を通すのに、見下されるような装いでもいけない。日頃の移動に使うそれと、ある程度形式にのっとった場面でも通用する衣装を、と、色の組み合わせまで考えて揃え、そしてそんなことを考えられるほどにこの世界の常識に染まったことを、しみじみ胸の片隅で思い知る。
「……白の狩衣を加えろ」
 しばしじっとの用立てた衣の色味やらを検分する様子をみせていた知盛が、おもむろにそう要求を突きつけた。
「白、ですか?」
 はたと我に返り、は首を傾げて応じる。対面用にと用立てたのは夏の直衣。移動と、もう少し砕けた場面でも使えるようにと思い、あとは狩衣を揃えていた。確かにこれから発てば戻るのは冬になろうが、長の旅路であるからと多少の汚れも目立たない濃色を選んでいたのだが。
「承知いたしました」
 考えは読めなかったが、知盛は基本的に、何事においてもとかく無駄を嫌う。何かしらの意味があるのだろうと自己完結し、片付けたばかりの唐櫃に向き直るの背中に、思い出したように声がかかる。
「それと、終えたならお前も適当に揃えておけよ」
 五衣はいらんが、それなりに型にのっとったものだ。そう付け加えて、驚きに振り向いたに、知盛はにたりとおかしげに笑ってみせた。


 同伴する理由も目的ものらりくらりとかわしたまま、ほんの数名の手勢とを伴って、知盛はいたく気楽な様子で福原を後にした。仮にも女房として仕えている自分が堂々と馬に乗っていいのだろうかとか、そうしているとまるで白拍子のようだと笑っていた出発間際の家長だとか、思うところは様々にあったのだが、誰にも答は与えてもらえない。
 まるで気にした風のない知盛によって、福原を少し離れるまでは被衣を被せられた上で同じ馬に乗せられていたのだが、もう人目に付かないと判断できるほどの距離をとってからは、荷物を載せているだけだった白馬へと移された。そこからは顔も隠さず、被衣に隠していた気楽な水干姿でひたすらに馬を走らせ続けている。
 馬が引き出された時点で目の色を変えていた随伴の知盛の部下達は、が白馬に跨るなり感嘆とも納得ともつかない声をこぼしていた。目印となる仮面がないとはいえ、少数での道行だからと護身用の帯刀を許されているし、白馬は見た目の優美さを裏切らずひどく気位が高い。今でこそ唯一無二の主といわんばかりの厚遇を受けるも、知盛に与えられた当初は、まずこの気難しい姫君の機嫌を損なわずにお近づきになるためにいたく苦労した。その白馬が大人しく背を明け渡しているという段階で、その正体は無言のうちに宣言したようなものだ。
 先行する知盛に半馬身ほど遅れて白馬を駆りながら、馬上で思わずこぼれた溜め息は、どうやら主の興を引いたらしい。ちらと視線を流され、おもむろに手綱から外された左手が前方をすいと指差す。
「あの堂のあたりで、一息入れるとしようか」
「では、様子を見てまいります」
 御前失礼、と、知盛の独り言のような指示に、随伴するうちの一騎が先へと飛び出す。言われてみれば、確かに前方にぽつりと小さな祠のようなものが見える。よく見つけたものだと感心するに、わずか後方を駆けていたはずの男がそっと馬を進め、宥めるような笑みを向ける。
「お疲れにございましょうが、いま少しご辛抱を。家長様より、干し桃を預かっております。着きましたらば、少しばかり荷を解きましょう」
 加えて与えられた言葉は、意外な驚愕とわずかな納得に通ずるものだった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。