朔夜のうさぎは夢を見る

きばをとげ

 餓えに耐えかねてよりにもよって清盛邸に盗みに入ったというその男は、何の因果か、邸の主によって食客として迎えられることになったらしい。出仕ついでにその新しい興味の対象を観察して帰るのを最近の日課とする知盛は、ぽつりぽつりと客人についての四方山話をに与える。
 同郷のよしみというか、同病相憐れむというか。せっかくなので会って話をしてみたいと思うだったが、その要望に気づいているだろう知盛があえて無視して歩いているのだから、きっと生半なことでは叶わない願いなのだと早々に諦めた。なんだかんだとの、常識外れとも言えるだろう自由を保障してくれる知盛は、この世界の他の人間に比べて過ぎるほどに柔軟な感性の持ち主だったが、生まれてこの方ずっと歩み続けているのだろう支配者階級としての威厳はさすがに箔が違う。
 知盛の庇護下で平家一門の邸に住まう以上、にとってその命令、その決定は絶対の拘束力を持つ。無論、理不尽と感じればそれなりに異議を申し立てる心積もりもあるが、今のところそういった局面に遭遇したことはない。そして今回もまた、無言のうちに示された方針に、あえて逆らうだけの理由をは持ち合わせていなかった。
 耳慣れない言葉やよくわからなかったらしい話を聞き覚えてはいちいちに裏づけを取るあたりから、どうやらまだその客人が全面的な信用を獲得できていないことは察せる。余計な手出し、口出しによってその客人の生活の場を危ぶませることは、とて本意ではない。


 それでも、かつて鷹揚に自分の話を受け入れてくれた姿からは遠い気のする態度を疑問に思っただったが、なんとなしに問い質してみれば、あっけらかんとした答が返る。
「お前の話を聞いていたのは、あくまで邸の外でのこと……。俺のことを何者とも知らぬ、武器のひとつも持たぬお前に、なぜ警戒を払う必要がある」
 確かにそれは正論だったが、あまりにも暴論に近い。そして問答無用で納得してしまう説得力はきっと発言者が知盛ゆえに。
「知っていたなら、警戒なさいましたか?」
「少なくとも、こうもあっさり邸に召すような真似をしなかったことだけは確か……だな」
 あるいは、あえて泳がせて監視下に置いたか。過去を仮定するのは馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い、しかしいずれにせよ、かくも簡単に手許に置くことはありえなかったと知盛は嗤う。
「信をおけるかを判じてもおらぬ内に、懐に招き入れるは愚の骨頂。お前のその、過ぎるほどに飾らぬ在り方は、時に愚かしさであり時に美点であるな」
「……お前の話はすべて御伽草子よりも突飛だが、虚言を弄しているようにも気がふれているようにも見えない。なればお前は、真に異なる世界より参ったのだな――でしたか」
 なぞり直すのはかつて山中で手向けられた言葉。初対面からふらりと寺を訪れてはに話を求めて愉しそうに聞き入り、珍獣扱いをしては観察を繰り返すばかりだったのに、ある日、ふと表情を改めてしみじみ語りかけられたそれ。
「話といい、所有物といい、振る舞いといい。お前の言を信じるに足る証左は至る所にあった。その上で、俺はお前という人間に偽りを感じず、興感を覚えた」
「ゆえに、召し上げてくださる気になった、と?」
「傍に置く気になった、だ」
 くつくつと喉を鳴らし、知盛は手にしていた書簡を無造作に文机に放り、衣に針を差し続けるの方へと膝を進める。


 会わせることはしないと無言で語るくせに、今日はこういうことがあったと知らせることに躊躇いはなく、自邸に連れ込んだその男とあくまで女房として対峙することには頓着しない。新たに仕立てるのには時間がかかるからと手持ちの衣を分けてやり、その分を仕立てろと言われて必死に手を動かすの局に入り浸っては、「そのままでいい」と自分も仕事を片手にこうして言葉を交わす。
 客人が現れてよりそろそろ三月。夏の日差しが強まるのにあわせるかのように、徐々に頻度の高まる反平家勢力追討の命に従って幾度か邸を空けるたびに同行を許され、命の懸かった場面を共有する時間が増えるごとに、互いに理解できる部分が増えていることを感じる。だからこそこうして気を許される局面が増えたのだろうと感じているし、その分、知盛の真意も少しは読めるようになってきたとは自負している。ゆえに思う。
「もしかして、お気遣いいただいています?」
 口をついた問いかけが、それまでの話の流れを無視した唐突なものであることはすぐに自覚したが、宙に放たれた言葉は取り返しがつかない。のさらに背後にあった脇息に用があったらしい知盛は、目的物を引き寄せながら「何を言っているのか」と巡らせた視線だけで雄弁に語る。
 共に過ごす時間が増えたこと、夜の外出が減ったこと、対面はさせないものの、知りたいと思う情報は小出しにして与えること。それらを総合して、もしや自分が同郷の存在を知った際に見せてしまった動揺を、こうして長々と慰められているのでは、という可能性を思いついたわけなのだが。
「……いえ、やっぱりいいです。戯言を申しました。どうぞ、お捨て置きください」
 据えられた静かな双眸を見返しても、しかし、には知盛の思惑は読めなかった。わかるようになったはずなのだが、それでもやはりわからないことは多い。


 もっとも、知らしめたければそう振舞うだろうから、今回は勝手に解釈して勝手に感謝して、それを日頃の勤めに反映させておこうと自己完結し、小さく会釈を送る。
 こうしてその言動の意味を自由に解釈できる余地を常に残しておくのは、説明が億劫だからというのもあるのだろうが、知盛の優しさの一面であるとも思う。それさえもなりの解釈なのだが、これまで二年近くの歳月をすぐ隣で過ごしてきて築き上げ、そして裏切られたことのない解釈なので、たとえ自己満足だとしても貫こうと決めている。
「捨て置けと、そう申されるならば、此度は聞き流すが」
 再び手許に視線を落とし、止まってしまった作業をさて再開させるかと思い直した頃、ようやく返された声は小さく笑みに揺れている。見上げ、思いのほか近くに置かれていた瞳もまた笑みに揺れていたが、にやりと口の端を吊り上げた瞬間、からかう色は獰猛な気配に取って代わられる。
「お前の思考が、そうして常に何かしらの形でアレに向いているのは……面白くない、な」
 告げられた内容と告げる表情との落差に思わず目を見開くの手から作業中だった衣をさっさと取り上げ、せっかく引き寄せた脇息共々、適当にどかして知盛はごろりとの膝を枕と定める。
「同病相憐れむ。ただそれだけです。見知らぬ世界に落とされた恐怖を思い返せばこそ、どうしたって気になります」
「俺も、気に喰わぬと、それだけさ」
 返される声には笑うような色が滲んでいたが、見上げる双眸には不機嫌さが見え隠れしていた。確かに、思索のきっかけにはかの客人の影がちらつくが、内容のほとんどは主に関連したことである。そう言い訳を紡ごうかと考え、しかしそれはなんだかとんでもない告白のようにも聞こえることに気づき、一人で照れくささに赤面しながらはゆっくりと口を開く。
「わたしの思考は、お客人のことより、常に知盛殿に割かれていますけれど?」
 言われた言葉になぞらえて言い返せばそうでもないかと思ったのに、いざ口にしてみれば想像以上に甘い物言いになってしまった。それを自覚してますます耳が熱くなることに混乱しているをひたと見上げ、不機嫌だった深紫の瞳がにぃっと笑う。
「ならば、よしとしようか」
 言って少し寝ると続けて瞼を落とし、満足げにひとつ息を吐いた主は一寝入りするまで決して膝からどいたりはしない。その昼寝への貪欲さを正しく把握していればこそ、なぜか先ほどから胸の底で疼き続ける罪悪感を昇華させる目的もあわせ、は大人しく枕として安眠を供すべく、襟に差していた扇を引き抜いてゆるゆると主に風を送るのだった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。