朔夜のうさぎは夢を見る

いらえのことば

 言い分はもっともであるのだが、力を宿している自覚の有無はともかく、一度もそれらしき接触のなかった相手である。何をどうすれば申し開きができるのかなど、には見当もつかない。
「お前に渡した龍の鱗があったろう? あれを砕かれてしまってな。仕方がないから、役を終えた後、お前が望むならばお前の元の世界とやらに帰していただけるよう、契りを結んでおいた」
「えっ!?」
 くつくつと喉の奥で笑いを転がしながら告げられた内容に、短く断りの文句を入れてからは慌てて部屋の隅に置いてある唐櫃へと小走りに寄り、蓋を開ける。普段使わないものから貴重品まで、実質的には便利箱と化していたそれを漁り、取り出した螺鈿の箱を開けても、中には包むのに使った絹の端布が折ったそのままの形で鎮座しているだけである。
「言っておくが、俺はあれをお前に渡した後、お前がどこにしまったかなど、知らんぞ?」
「知っています」
 驚愕を殺しきれないまま唐櫃の蓋を戻し、のろのろと膝を折るは、どうやら見た目以上の衝撃に打ちひしがれているらしい。張りを失った声音にその内心を正しく推し量り、にたりと口元を歪ませたまま知盛は続ける。
「さすがは神産み神話にも語られる尊き御方。二つ返事での了承であられたな」
「……戻れるとしても戻るつもりはありませんと、そう申し上げたと思いますが」
「俺も、選び続けろと、そう言ったな」
 ゆえ、選択肢を残しただけだ。嫌ならば望まなければ良いし、当分、役を終えることはなかろうよ。さらりと嘯いて目尻を和ませ、知盛は視線を庭へと放る。
「高淤加美神――貴船の社が祭る、水を司る龍神だ」
「たかおかみの、かみ?」
「お前の世界とやらでは、耳に馴染みのない神なのか?」
「そもそも、神も仏も溢れるほどに存在していて、詳しく知ろうと思わなければ、ろくに知ることもありません。この国に古来からおわす神でも、天岩戸やヤマタノオロチの神話を知っているぐらいです」
「スサノオノミコトを知っているなら、その祖であると言われる高淤加美神も知っていそうなものだがな」
 異なことだ、と。呆れやら驚きやらを織り交ぜられても、としては不本意である。ある程度日本神話に通じているというだけでも、きっと現代日本人の常識から照らし合わせれば、十分にこの世界で生きる上での助けとなる特技であったというのに。


 もっとも、反論するにはやはり絶対的な知識量が足りない。知盛は己のことを「武にしか関心のない無粋者」などと表しては皮肉な笑みを浮かべているが、からすればとんでもない知識の宝庫である。暇な時間を見つけて、今度は絵巻物ではなく神話や伝承の類を読んでおこうと心の隅で決意を固め、今はとにかくと話を進めることにする。
「では、その貴船の龍神がわたしの宿す力の本来の持ち主だということでしょうか?」
「そうなろう」
「ですが、水神ですよね? なのに、焔を?」
「………神話は、後ほど自分で紐解けよ」
 矛盾する話ではなかろうかと首を傾げたに、知盛は溜め息混じりに口を開く。
「かの神が生まれた経緯に、火を司る神が関与している。その神の力だろうな」
「だろう、ということは、知盛殿も説明を受けられたわけではないのですね」
 端的な説明と推測に頷き、はそっと視線を伏せた。己の抱える力の正体が明らかになるかと思いきや、決定打は与えられない。そのもどかしさを感じているのだろう。諦めの色濃い声に、責められたわけではないものの知盛はむっと眉間に力が篭もるのを感じる。
「その焔を貸し与えたとは言っておられたが、俺はお前がその焔を行使するのを見たこともない。ゆえ、断言はできん」
 いささか険の混じる声で言葉を足せば、弾かれたように見開いた瞳を持ち上げ、それからはさっと真顔に戻ってその場で深く頭を下げる。
「申し訳ございません。八つ当たりなど、見苦しいまねを」
 素直な謝罪にいつまでもへそを曲げているほど知盛も子供ではない。それに、自身が触れずに放置しているため知盛もあえてその話題に触れないだけで、八つ当たりをしたくなる気持ちもわからんではないのだ。


 だからこそ、すぐさま己の非を認め、纏う空気を引き締めなおしたのことをそれ以上責めるようなまねはしない。からすれば、こんな途方もない超常現象に巻き込み、身に覚えのない、理解の及ばない力を与えた当事者に繋がるのは、現時点では知盛のみ。そのことに思い至ってしまえば、むしろ神と呼ばれる存在の気ままさにこそ苛立ちを覚えるのであり、いささかの同情さえ篭めて「構わん」と呟き、顔を上げるのを促してから知盛は知る限りの説明を継ぐ。
「あとは、特に言及していなかったな。加護を与えたとも言っておられたゆえ、水気の加護は確かにあろう。元よりか、加護ゆえかは知らぬが、お前は水気に偏った気を纏っているしな」
 力の使い方も、それに必要な代償も、すべて可能性はお前の内にあるとのこと。自分で見出せとの仰せだ。締め括って肩を竦め、知盛は視線だけでに感想を問う。
「……随分と、簡単に言ってくださいましたね」
「同感だが、それが天命であり宿命というもの……だ、そうだ」
 恨んでもいいそうだが、諦めて受け入れろ。苦渋の滲む声に小さく笑い、知盛は己が与えられた言葉をにも分けてやる。
「一度、貴船に詣でて挨拶をした方が良いだろうな」
「安芸殿に、お時間をいただけるかうかがってみます」
「俺が許可する。別に構わん。遠乗りにもちょうど良い距離だ。近く時間を作るゆえ、そのつもりでいろ」

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。