朔夜のうさぎは夢を見る

いらえのことば

 そのまま口を噤んだにしばらく何ごとかを考える素振りをみせてから、知盛は小さく首を傾げる。
「あらましはわかった。だが、それでは軍場に出れば戦う術を知る、というお前の言の葉とは矛盾するだろう? そも、お前の言う倫理観は、俺の傍らにあって軍場に出ようという言に反する……。わかっているのか?」
「わたしは、あなたの傍らで生きたいと、そう決めましたから」
 静かな問いだった。責めるでもなく、詰るでもなく、ただの心の内を確かめるべく投げかけられているのだろう、純然たる問いかけ。ゆえに、もまた静かな心持ちで応える。
「自分の身を守るために人を殺せる自分を知って、悩んで、そして決めました。そうまでして生きたがったのだから、必ず、己で定めた道を最後まで生き抜くのだと」
 だから、構いません。人を殺すことを許容したわけではありませんし、叶う限りこれまで培ってきた倫理観に従って生きたいと思います、ですが、それでもわたしがわたしとして存在を貫き、まっとうし、そして生きるのに避けえないなら、この手で人を殺すことも厭わないと決めました。私の道を阻むものがあるのなら、他ならぬこの手でそれを屠り、すべてを見ることでこの目にその罪を刻み、すべてを背負って踏破するのだと決めました。
「そして、わたしはあなたの“鞘”として在ることを望みました。あなたが戦場に出るというなら、わたしも戦場に赴きましょう。それは、わたしがあなたを見失うことを恐れるが故の、わたしの渇仰。わたしに生きる場と還る場を与えてくれたあなたを手の届かないところで知らぬうちに喪うことは、耐え難い恐怖。世界を喪うことにも等しい絶望の再来です」
 身勝手なことと、それは自覚しています。けれど、許される限りあなたの傍で、あなたを見失わずに、叶うならばあなたの拠り所のひとつとなって生きたいと思いました。それこそが、この世界におけるわたしの生きる道。貫く覚悟。わたしはそのわたしを貫いて生きるために、すべての選択から目を逸らさず、わたしの意地と矜持を譲らないと。そう、覚悟を決めました。


 それは、矛盾と我欲に満ちた覚悟。けれど、だからこそ譲らない。何があっても最後まで貫き、その過程で犯した罪ゆえに罰が下るというのならそれを受け入れる。その己を譲らない。それも含めた道を往くことこそが、魂を歪めない生き方だと思い至った。それこそが得体の知れない力を受け入れ、人の命を奪った己を飲み下し、この世界に還る場を得、生きることを知り、骨を埋めることを定めたの尊厳にして誇り。
「それと、件の焔とわたしの体を動かした“なにものかの意思”は、どうやら別物のようですから」
 別に矛盾はしないのだと、あっさり告げたに知盛はますます訝しげに眉間に皺を寄せる。
「どういうことだ?」
「焔については多少は扱い方がわかるのですが、あの“意思”はあれ以来まるで現れる様子がありません。ですから、きっとあれはわたしが真に追い詰められた際に現れる、いわば最後の盾なのだろうと判断しました」
「瀬戸際になってはじめて発揮される力、と?」
「恐らく。それに、そんなあやふやなものに頼らずとも、わたしは戦うことを選びました。ですから、今のように稽古をつけていただけばその中で、実戦に出ればその中で、必要な技術は身体が学びましょう」
 そういうものではありませんか、と。仄かな自嘲を潜めた冷笑を浮かべ、はついと知盛の瞳を見据える。そこに綻びは存在しない。


 己の生を紡ぐために、己の覚悟を貫くために、己の存在をまっとうするために。そうして歩むのだと、己の道を定めたものが持つ潔さと剄さとが、夜闇色の瞳の奥で静かに燃え盛っている。
「まあ、な」
「では、矛盾などありますまい」
 口の端がゆるりと吊り上がるのを感じながら肯定を返せば、得たりとばかりには追い討ちをかけ、満足そうに微笑む。
「それで、知盛殿。ご納得いただけましたら、わたしもぜひ、わたしに加護を与える神とやらについてお聞きしたいのですけれど」
 そして、そのまま身を乗り出さんばかりの勢いで瞳を覗き返してくる表情には、もはやあの仄暗い自嘲の色は見えなかった。興味と関心とで溢れんばかりの様子に、人ならぬ力を抱え、生きるためには血を啜ることも厭わないと断言した冷厳にして高潔な気配は微塵もうかがえない。なるほど、神をも降ろす器とは、かくも深きものなのかと。ひそやかな感心はおくびにも出さず、知盛はゆるりと双眸を細める。
「美しき、青灰の龍であられたぞ」
 思い返すのは荘厳にして圧倒的なあの存在感。神とは人の理解の範疇を超えた存在なのだと。そう、魂の奥底に問答無用の納得を叩き込むような、ひたすらに重い気配が全身に蘇り、小さく身を震わせる。
「狐と、そう呼ばれれば、確かに不快にも思われような」
「ですから、それは深い意味はなくて……」
「言い訳は、俺ではなくてかの神にすればいいさ」
 違うか、と。問う瞳は愉快げに揺れていて、どうやら自分のその呼称を、自分の知らない所で主と件の神とやらに笑われたらしいことを嫌でも悟らされる。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。