朔夜のうさぎは夢を見る

いらえのことば

 腕に纏った焔で男を焼き殺した。その男の刀を奪い、別の男を斬り伏せた。挟み撃ちをしようとする男達を、片方は焔で、片方は刀で殺した。襲いくる男達を片端から殺し続け、体の端々に負った細かな傷など気にも留まらず、逃げようとした男達を追った。村の方へ向かった男達には焔をぶつけ、寺の方へ向かった男は背中から胸を貫いた。
 拒絶することもできず、受け入れることなどもっとできるはずもなく。はただ自分以外のなにものかによって動かされる体を見つめ、手から腕へと奔る、柔らかく硬いものを斬る感触を知り続けた。
「全員が息絶えたと、そう確信を持ったところでわたしは自分の体が自分の思い通りに動くことに気づきました。けれど、動くことはできませんでした」
 血脂と汗に濡れる柄が滑り、刀を取り落とした。自分の作り上げた惨状を見渡して、胃液に血が混じるまで嘔吐を繰り返した。ついに吐くものがなくなり、生理的な涙さえ涸れて蹲っていたを、住職が迎えに来た。立つことさえできずにいるをそっと支え、寺に連れ帰って寝かしつけた。
 そのまま熱を出して寝込んだものの、休めば体は回復する。夢と現を行き来したのは丸一日で、件の惨劇から二日後の朝には、はいつもの時間に目を覚ました。
「何があったのかわからなくて、わたしは住職様に覚えていることを必死に訴えました。あんなことはしたくなかった。けれど許せなかった。わたしは、気が狂っているのでしょうか、と」
 しばらく考えてから、住職は「心を鍛えなさい」と告げた。
「わたしの中には、わたしではない力がある。けれど、禍々しい気配はないから、きっとそれはわたしを守るために、わたしの恐怖や怒りに反応して力を発揮したのだろう。だから、まずは心を強く持ち、力を抑えることを覚えなさいと」
 そして、祈りなさい、とも。


 人を殺すこと、人が殺されること。それは、にとってはあまりにも遠い、現実離れしすぎた現象だった。だがその件によって、は自分にとって関わりがないと思っていた世界こそが自分を取り巻く世界であることを思い知ったのだ。
「……いっそ、死んでしまうべきかとも思いました。私の倫理観に、人を殺すことを許容する余地などありえなかったんです。でも、自分を殺すこともまた“人を殺すこと”だと住職様に諭されて」
 罪悪感を抱くなとは言わない。命を奪うことは確かに罪業。だが、お前はそれによってお前の守りたいものを守ったのだろう。自分の身を守るため、自分を襲うものに牙を剥くのは、命あるものとしては当然の行い。村が、寺が、焼かれることによって奪われる命を思い、惜しみ、そのことに怒りを覚えたのはお前の慈しみ。
 一方的な悪はなく、一方的な善はない。人は皆、そういう存在だ。だから、忘れるなとは言わないが、そのすべてを受け入れて、天に与えられた命をまっとうしなさい。あるいはそれこそがお前の天命なのかもしれない。仏罰が下るのなら、下る時がある。だから、自分の命を捨てるなどと、そんなことだけはしてはいけない。奪った命を惜しむなら、その分も生きなさい。生きて、けれど苦しいなら、祈りなさい。
「わたしは聖人君子ではありません。人の命を奪ったことは苦しかったけれども、彼らに同情する思いはありませんでした。わたしにとっては、わたしや寺や村を襲おうとしたあの人たちよりも、わたし自身やわたしを取り巻く人の命の方が重かったから」


 だから、奪ったことへの苦しさを抱えて、失われた命にはけれど弔いを送って、自分の力を制御する術を身につけることに心血を注ぎました。
「不謹慎かもしれませんけれど、わたしは嬉しくもあったんです。この世界はあまりにも物騒で、わたしはあまりにも脆弱。だから、わたしはわたし自身の身を守ることのできる力を持てたことを喜ばしく思いました」
 そうして、よくわからないながらも力を持っていることを自覚してみれば、世界には人間以外の多くの生き物が息づいていることがわかるようになった。それらは精霊やら妖やら神やら、あらゆる呼称を持つ存在。
 住職に仏の教えを授かる一方、そういったものに触れることでは身を鍛え、視野を広げ、心を深めることを知った。彼らは決して多くを語りはしなかったが、それぞれに存在を貫くということを教えてくれた。そうあれば、魂を歪めることはないのだと、知らしめてくれた。
「この力についての詳しいことは、結局わかりませんでした。狐憑きと、そう言ってみたのは蒼い焔がわたしの中では狐火しか思いつかなかったからです。その上で、身を守るという目的では極力この力を使うまいと、そう決めました」
「……なぜ?」
 きっぱりと言い切り、ようやく視線を正面の知盛に戻した娘に、それまでひたすら、俯くの前頭部を見つめていた知盛は問い返す。
「何度か試してみてわかったのですが、あの焔はただの火ではありません。焼くならば灰燼さえ残さず、けれど焼け焦げひとつつけないこともある、そういう代物です」
 それはおおよそ、人の世のものではない力。使うたびに、周囲に息づくあらゆる気配がそれを畏れた。ならばそれは、軽々しく揮ってはならない力。
「何か大きな理由があるならともかく、決して頻繁に使ってはならないと感じました。身を守るためと、そんな些細なことのために乱用していい力ではないんです」
「ゆえに、武芸を学ぶのか?」
「それもありますし、精神修養という目的もあります」
 実のところ、初対面の折のあまりにも堂々とした知盛の振る舞いと迷いのない瞳に魅せられ、その根本をなす一部がそれだと察した、というのが大きなきっかけであるのだが、それは伏せたままにしておく。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。