かいなをのべて
麗しき舞に加えて奇跡の乱舞を見せつけられて、院はいたく気分が良いようだった。舞台から呼び戻した二人を自分の傍に招き、しきりに賛辞を送っては平家一門の今後の安泰を言祝ぐ。
「神子といい、月天将といい。此度の和議は、まこと、高きところにおわします方々からよくよく祝福を受けておる。ともども、そのことを心に留めおくよう」
深く、それはまさに為政者としても血脈としても、この国の頂に立つ者の声だった。宣された言葉に座に打ち揃う一同が一斉に頭を垂れ、その言葉への恭順の意を示す。
「神子よ、お主は異なる世界より参られたと聞く。また、月天将においても、元は女房に過ぎぬというではないか。女の身でありながら、よくぞ戦乱という辛苦に立ち向かわれ、かような和議への道を築いてくれた」
ふと続けられた声に、望美は慌てて首を振り、は静かに一礼を送る。
「その功績を、心より讃え、感謝しよう。どうぞ末永く、我らが新たに築く平和と栄光の世を、見守っていてくれ」
「……ありがとうございます」
穏やかな、あるいは子や孫を見守る視線に近かったのかもしれない。どれほど大狸と呼ばれようと、彼があらゆる策を巡らせていようと、結局のところ、人は皆同じ。それぞれに目指すもの、譲れないもの、守りたいものがあり、そのために死に物狂いで生きている。
すとんと胸に落ち着いた納得に、望美は一杯の感謝と敬意を篭めて頭を下げる。そして彼は、自分たちの目指し、譲らなかった道を認め、道を譲り、こうして言祝いでくれている。
最後に源平両家の末永い繁栄と、それによって支えられたこの国の安泰を祈念する言葉を残し、院は退席していった。続いて頼朝や清盛といった両家の棟梁とその周辺人物も席を外し、あとは残された者で遠慮なく大いに呑んで騒げ、という構図である。
「月天将殿、そのままでは何かと不自由がございましょう。控えにとお借りした間にてお休みさせていただくご許可は得ております。暫しお休みになられてから、どうぞまた舞なぞ披露してはいただけませんか?」
遠慮がちでありながらどうにも好奇心を抑えきれない視線がちらちらと投げかけられる中、ふとそんなことを言い出したのは重衡だった。自分と知盛の背後に控えるようにして座っているを振り返り、実に麗しい笑みを浮かべる。それに何を思ったのか、宣言どおり望美に酌をさせて九郎と散々酒を呑んでいた将臣が、からりと笑って声を張る。
「ああ、それがいい。知盛、お前もついでにちょっと酔い覚まししてこい。目がいい感じだぞ」
「………誰のせいだと、お思いやら」
「久々の舞に酔ったんだろ?」
言外に「お前達の仕業だろう」と訴える不機嫌そうな視線にもめげず、あっさりと切り返して将臣は引き抜いた扇で部屋の外を示す。
「いいから行ってこい。あと、粋な御仁に、さっきの桜の礼も言ってこい」
からかう色を載せながら、それは逆らうことを許さない強い声だった。ああ、これが将臣の“還内府”としての貌なのだと思いながら、望美は同時にざわりと揺らいだ気配に小さく感嘆の息を吐く。
有無を言わせず望んだ状況を作り出し、さらにはそれに乗じて周囲への牽制も忘れない。嫌でも鍛えられたのが一因なのだろうが、だからと言ってこうもあっさりとやってのけるあたり、将臣にはやはり、人の上に立つ資質があったのだろう。
溜め息ひとつで了承の意を伝え、知盛は周囲に対して小さく礼を送って暫く席を外す無礼を詫びてから、視線でを促して簀子へと出ていった。
「さすがに慣れてるね」
その後ろ姿を見送っていた望美は、口笛でも吹きそうな勢いの軽やかな声に振り返り、今回の策の発案者の労をねぎらう。
「ヒノエくん、お疲れさま」
「ああ、姫君こそ、お疲れさま。やっぱりお前の舞は素晴らしいね。院も、龍脈が喜んでいるのを感じて、感心していたよ」
「そうなの? 私、何も感じなかったけど」
「特に意識しないほどに身に馴染んでいるっていうのが、お前がいかに稀な存在であるかの証左だよ」
眩しそうに小さく笑い、ヒノエは九郎と将臣がそれぞれ少しずつ腰をずらして空けた席に収まると、持参した杯を軽く揺らしてみせる。慌ててずっと手に握ったままだった提子を持ち上げて杯を満たせば、あっという間にそれを奪われ、横に置いてあったはずの茶湯の入った提子が代わりに揺らされる。
返しの酌をしてくれる、という意味なのだろう。素直に受けて、望美は改めて四人で小さく乾杯を交わす。
「でも、慣れてるって何が?」
それぞれが杯から口を離すのを待って、望美はまず先ほどのヒノエの言葉を質すことからはじめる。彼ら、生まれた世界を異にする相手は、現代生まれの望美からすればよくわからない比喩表現やらが多い。暗黙の了解は省くという習慣もよくみられるため、なんとなく、で会話を続けていては、途中で置いていかれてしまうのだ。
「ああ、知盛とだよ。あの目配せを見せ付けられた瞬間の周りの奴らの反応、見てなかったのかい?」
「反応?」
「諦め半分、好奇心半分、ってヤツだな。明日には噂だらけだろ」
理解できない説明に首を傾げる望美とは対照的に、将臣は実に愉しげな、性質の悪い意地悪な笑みを浮かべている。
「にしても、重衡も意地悪いよなぁ。あれじゃあ、このまましけこむわけにはいかねぇじゃん」
「それを狙ってのことだろ? いいじゃん、今夜ぐらい。オレだって顛末は気にかかるし」
わかりあった様子でぽんぽんと言葉を交わす将臣とヒノエの横で、九郎だけはどうにも居心地の悪そうな表情を浮かべて口を噤んでいる。詳細までは把握し切れなかったが、要するに、先の二人のあまりにも馴染んだ暗黙の了解に裏付けられた行動が周囲のあらゆる憶測を呼んでいることと、それをヒノエが楽しんでいることは理解できた。それと、彼らがそれなりの決着をつけた後、この場に戻ってくるということも。
ならば待てばいい。白龍も言っていた。神々が寿いでいることも、もうわかった。だから、今の望美にできることは、祝いの言葉を色々考えながら、彼らを信じて待つことだ。
Fin.