かいなをのべて
満たされた杯を望美が両手で支えるところに、九郎と将臣がそれぞれ自分の杯を軽く触れ合わせる。
「和議の成立と、今後の我らの栄光を祝して」
「戦乱の終焉と、両家の友誼の永久を祝して」
そして向けられた二対の瞳に、望美はすまして応えてみせる。
「龍神と数多の神の祝福によって齎された、この平和に感謝して」
三人で交し合うにしては大きかった声には、あちこちで応えて掲げられる杯が返された。上座にいる頼朝や清盛の表情は決して友好的なものではなかったが、諦めたような苦笑を浮かべて杯を掲げあっている。
「はははっ、まこと、龍神の神子とは大した女傑であることよ! 九郎も還内府も、神子の前には子供と同じか」
「寄る辺の違いを超えて我らが仰ぎ見た神子姫ですからね。神をも魅了するその存在を前に、我々が集うのは道理というもの」
両家の総大将と総領が歩み寄っている姿に絆されたのか、少しずつ言葉を交わす下座の面々を俯瞰して、院は笑い、その脇に控えていたヒノエはけろりとのろけてみせる。どうやら、九郎と将臣による画策は院のお気に召したらしい。上機嫌に笑い続けるその脇から送られたさりげない目配せに、望美はほっと息を吐きながら、ようやく和みはじめた席の空気に頬を緩める。
「そういえば、神子よ。夏に熊野で見た舞は実に見事であったが、どうじゃ。この和議を祝して、ここで一指し舞ってはもらえんか?」
そのまま歓談を見守るのかと思いきや、ちょうど舞台に上がっていた白拍子の舞が終わるのを見計らったように、院は望美に向かって声をかけてきた。ぴくりと肩を跳ねさせ、いよいよ来たと思いながら望美はにこりと微笑み返す。
「わかりました。では、和議の成立とこの平和を祝して」
言って腰を上げ、裾を踏まないよう気をつけながら舞台へと向かう道すがら、この舞を受けたもうひとつの目的に関わる面々へと望美は密かに視線を流す。ヒノエは相変わらず楽しそうに笑っているし、九郎はどこか心配そうな目をしていて、それを将臣に慰められていた。
穏やかに微笑む重衡はいつもどおりだが、視線が合った瞬間に小さく頷いてくれた。恐らく、この場に姿の見えないについては、彼が一切を取り仕切ってくれているのだろう。そしてその隣に座している知盛は、興味のなさそうな視線で望美の歩みをぼんやりと見やっている。
舞台に上がり広げるのは、望美の感覚からすれば随分と昔に朔からもらった舞扇。駆け巡る時間の総計を語るかのように色褪せてしまったそれは、でも大切に使い続けた、望美にとって舞う自分の相棒だ。
ぽーんと、鼓が拍子を打ち、それに続いて楽士達が音色を奏ではじめる。
舞は祈りだ。望美はこれまで何度となく、舞を通じて白龍と心を通わせ、神の視点を垣間見てきた。龍神の神子として、確かに封印の力は得た。だが、それ以外に神通力を自分が宿しているのかと問われれば、それはわからない。ただ、それでも自分の舞が神々に意を伝える媒介となるのなら、どうか聞いて欲しいと、願いと祈りを載せて望美は一心に舞いはじめる。
すっと舞扇を降ろして畳んだところで、一拍の静寂を置いてから、集う面々からは盛大な拍手が送られた。勢力の垣根や思惑を取り払った賞賛にぺこりと一礼した望美は、からからと笑いながら声をかけてきた最上座の翁に視線を流す。
「見事、見事! 相変わらず佳きものじゃ」
「ありがとうございます」
その立場だのなんだのにはあまりありがたみを感じないが、褒められて嫌な思いはしない。手放しの賞賛は決して軽薄な声で告げられたものではなく、素直に頬を緩めながら、望美はきちんと礼を返す。
「そうじゃな、せっかく神子が舞ったのだから、次の舞手はやはり、平家からとするべきであろうな」
そう言葉を区切り、院は涼しい顔で控えている知盛へと視線を流し、次いでその隣の重衡を見やる。
「どうじゃ?」
ここが自分の出番かと、緊張に身を固めながら息を吸い込んだ望美は、しかし、笑みを湛えて流された淡紫の視線に「大丈夫」と告げられ、声を飲み込む。そして、その優美な笑みをそのまま音にしたような声で、重衡は恭しく頭を垂れて口を開いた。
「畏れながら、院。でしたらば、月天将と我が兄との番い舞をご覧いただければと思います」
隣に座す知盛は嫌な顔をしたようだったが、それをこの場であからさまにするような愚は犯さない。策が、成った瞬間だった。
Fin.