朔夜のうさぎは夢を見る

まといしよろい

 しばらく嫌だいやだと無言で抵抗を示してから、結局ヒノエは諦めて肩を落としながら口を開く。
は蒼焔を使っていただろう? でも自身は、火気じゃなくて水気が強いんだ。そこに、白龍があの焔を“神でも抗えないもの”って称していたことから考えれば、なんとなくはね」
 ヒノエ自身が手がかりと判断したのだろう内容を羅列されても、望美にはまるで何の解説にもならない。よくわからないと首を傾げる視界の中には、しかし満足そうに笑う知盛と神妙な表情の白龍、はっと何かに気づいた様子の景時に弁慶、朔の驚愕が映る。
「アレは迦具土神の焔だね? そして、それを与えうる、水を司る神となればただ一柱」
 息を吸う気配さえ緊張に満ち満ちて、ヒノエはついに名を紡ぐ。
「高淤加美神――貴船の祭神。そうだろう?」
「さすがに、別当殿は詳しくてあらせられる」
 飄々と混ぜ返しながらも、知盛は決して否定の言葉を口にしない。ならばそれこそが肯定。冗談だろうと呻き、ヒノエはついに頭を抱えてしまう。


「てことは、なんだい。は高淤加美神に選ばれた神子姫様? 景時のかけた術封じなんかいつでも吹っ飛ばせるって言ってたのも、虚勢じゃなくて本気だったわけ?」
「……お前がアレといかな言葉を交わしたかなど、俺の知ったことではないが」
 嘆くというよりも八つ当たりの気配の強い述懐に、知盛はわずかに不機嫌そうに眉を顰めながらも律儀に応じる。
「ヒトの力での束縛は、無意味であろうな。アレの持つ焔は、アレが望むすべてを灰の一片さえ残さず焼き払い、アレが望まぬものには一切の熱も与えぬ……そういう代物だ」
 その言葉が齎す真実の重みは計り知れないが、その言葉が事実を述べていることだけは誰もが理解していた。何より、つい先ほどの翳す蒼焔の威力を目の当たりにしたばかりなのだ。疑う根拠はどこにもない。
「よくわかったよ。話してくれてありがとう、知盛」
「………信じたのか?」
「私だって、負けないぐらいたくさんの“知盛”に会ってるんだよ。あなたの性格の根っこの部分は、なんとなくわかってるつもり」
 疑わしげにと言うよりも、確認の意を篭めてかけられた問いに、望美は苦笑混じりに答える。こうして対峙している彼は、これまで出会ったどの“平知盛”とも少しばかりずれている。だが、それでも根底が変わらないだろうことを直観していた。知盛という存在はいつだって、恐ろしいまでに偽りがないのだ。


 明かされてしまえばそれはとんでもない真相だったが、同時にこれまでの疑問をすべて氷解させるに足る事実だった。見知っていればこそ運命を変えるために取れる行動があることは、他ならぬ望美こそがわかっている。
 数え切れない悲しい運命を踏破して、それでもなおと顔を上げその手に刀を握り、知盛もまた、運命に立ち向かうことを決意したのだろう。その帰結がこの和議であった。ようやく掴んだ望む未来がいっそう輝きを増すように感じて、望美は頬が緩むのを止められない。
 だが、喜びが深くなればこそ、胸の中でひときわ存在感を主張するのが悲しみなのである。
「では、先ほどの神との遣り取りはどういう意味なんです? 還すだの、対価だの。あまり平和なお話には聞こえませんでしたが」
 広がる理解と納得に、冷ややかに切り込んだのは弁慶の冷静な声だった。緩みかけた空気を一気に引き締め、冷徹な瞳がまだあやふやなまま残されていた真理を明かせと要求する。
 向けられる視線にゆるりと首を巡らせた知盛の表情が、瞬きひとつで削ぎ落とされる。
「――贖罪、だな」
 透明な、色も温度もない声で、知盛はそういらえた。


 はたりと、瞬きが重ねられるごとに、距離が広がり壁が築かれていくようだった。ヒノエをからかいながら説明の言葉を紡いでいた時とはまったく違う硬質な空気を纏いなおしながら、知盛は続ける。
「人の身にてはあまりに重き道行き。……それを神の理にて与えた対価に、願いを叶えようと、そう言われた」
「先ほどのお話のことですね?」
「世界を渡り、繰り返される時間をひたすらに送ることはな、軍師殿。いかな想像をも絶する絶望なのだとだけ、お教えしておこうよ」
 そして、その絶望の向こうでなお、お前達の未来を願った神子殿の慈愛の深さを思えばいいさ。はさまれた確認に凄絶に嗤い、裏腹のあまりにあたたかな瞳で望美を見やり、そして再びすべてを削ぎ落とした声が言葉を織り上げる。
「今さらこのような言、還内府殿にお聞かせするのは、まことに申し訳ないが……。俺はこの戦に、ゆかりなき者を巻き込むつもりは一切なかった」
 血が縛るならそれは宿命。名が縛るならそれは星宿。だから、自分達が戦乱の只中で狂い、果てるのは宿業。だが、そうでない、何の係わりもない人間を、ましてこの世界の生まれでもない月からのまろうどを俗世のしがらみに巻き込むことが、一体誰に赦されていようか。
 心底からの憤怒と自嘲が詰め込まれていると知れる声で吐き捨て、そして知盛は剣呑に眇められていた瞳に悲哀を刷く。
「巻き込むつもりはないと、そう思いながらも、その力を当て込み、そして利用したのだ。ならばせめて、無事な姿にて天に還すことこそが、最後の誠意であろう?」
 声は透明で、瞳は静かで、何よりも真摯だった。だから、望美は言葉にされなかった知盛の真情をその向こうに透かし見る。それが、今もって明かされなかった愁いの向こうで彼の至った、彼の帰結。その選択がいかな情動を齎そうとも譲らない、彼の恩愛。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。