朔夜のうさぎは夢を見る

まといしよろい

 あれほど思い悩み、どう言えばいいのかと考え続けても答が出なかったのに、いざ動きはじめた舌は澱みなく声を宙に送る。
「何が、って言われても困るけど、でも、あなたは知りすぎている」
 真っ直ぐに見据える視線に応えるように、深紫の双眸が持ち上げられ、望美の瞳にひたと据えられる。深く、底も色も何も見えない、透明な瞳。神を引き合いに出すのは不謹慎かもしれないが、それは時々白龍が見せる表情に似ていると、望美は思う。
 感情を超越した瞳は、人としての枠を超えてしまった証のようで、とても恐くてかなしい。
「あなたがそこまでたくさんのことを知っている理由を、教えて」
 けれど声に感情は載せない。凛と言い放ち、望美は声に篭めた力を瞳に循環させる。
「私がみんなにすべてを明かしたのは、信じてくれるって信じたから。そうしないと、一緒に未来を掴めないと思ったから」
 時には隠すことこそが思いやりになるのだということも、望美は知っている。景時が周囲の誰にも荼吉尼天のことを明かさなかったのは、明かさないよう脅されていたということもあるだろうが、同時に周囲を護るためでもあった。知らないということは、時に何よりも強く身を護る盾になるのだ。
「このままだと、私達はあなたを信じられなくなる。ようやく掴んだ平和な未来を破綻させる要素になりかねないの」
 訴える声にほんのわずか場の空気がざわめくのを感じ、望美は胸の奥で小さく苦笑をこぼす。言葉は言霊。こうして声に出してその燻りかける胸の内を指摘しただけで気配が揺らぐのだから、積もりかけている猜疑は相当なものだ。そして、望美はそれを放置することを認めない。
「私達に、あなたを信じさせて」
 きっと、誰もがそれを願っている。だから、こんな非常識な時間になっても誰も解散することを言い出さず、望美の言葉を受けていっそう真摯に知盛に視線を送っているのだ。


 訴えを聞く間、知盛は一度も望美から視線を逸らさなかった。まるで言葉の奥に潜む本心を余さず暴き立てるかのような、容赦のない絶対的な眼力。彼の存在が常に鮮やかに周囲から浮かび上がっているのは、きっとこの瞳の力強さこそが主要因なのだろう。だからこそ、ふいと視線を伏せられると、源平双方に遍くその智謀と勇猛さを轟かせる僥将が、途端にひどく儚い風情を纏う青年に思えてしまう。
 伏せた視線が落ちる先は床板だったが、きっと彼は、そこに何か違うものを見つめているのだ。返答を待つ沈黙がぎりぎりと張り詰め、今にも弾けそうなほどに引き絞られてから、ようやく知盛は小さく溜め息を落とす。
「その顛末の結果だけでは、納得なさらないのだろうな」
「納得できるようにまとめてくれるなら、それでいいよ」
「それは、無理な相談というものだ」
 疲れきった声が小さく笑い、再び持ち上げられた瞳はひたすらに深く、遠い。無表情と呼ぶには穏やかな貌は、これまで見たどんな表情よりも優しげなのに、その気配にこそ望美は戦慄を覚える。
 小さく息を呑む音が聞こえた。だが、それが誰のものなのかはわからない。視線を引き剥がすことのできない不可思議な引力が、知盛という存在に望美達の意識を繋ぎ止めているようだった。
「短くは、終えられないが」
「いいよ」
 恐ろしいわけではないのに、怖い。いつか、どこかの時空で確かに遭遇したのに委細を思い出せない感覚にわずかに眉根を寄せ、けれど望美は知盛の紡ぐ言葉を一言も聞き漏らすまいと意識を研ぎ澄ませる。
「聞かせて、あなたの話を」
 覚悟を一杯に詰め込んだ言葉に目笑する瞳は、なぜだかあたたかな郷愁を思わせた。


 元々つまらない嘘をつく人間ではないと知っていたが、予告どおり、知盛の話は長く、そして誰もの予想以上に重かった。ゆったりとした口調も、淡々とした音調もそのまま。感情による主観を極力排除した、ただ、平家の将が一人として彼の見知った数多の歴史が語られる。
「お前は、逆鱗を俺に与えたあの神子殿に並ぶほどに、印象深かったぜ?」
 最後に覚えている海上戦を語り終え、そこでようやく知盛は声を笑わせた。
「単なる呼称としてではなく、正しく意味を篭めて“神子殿”とお呼びするのは、あの時のお前だけだと思っていたのだが」
 そうではなかったようだな。そう、独り言のように呟いて、知盛はきつく包帯の巻かれた右のわき腹を軽く撫でさする。だが、軽やかな口調に即座に切り返すには、望美は与えられた情報の重さと深さに溺れすぎていた。
 言葉にまとまらない感慨が、頼りない喘鳴になって唇をすり抜けていく。そして、知盛はそんな望美をはじめとした周囲の反応など、微塵も気には留めない。
「俺に数多の世界を見せたのは、先ほどおいでだった神の思し召しとのことだ」
「……その神は、どちらの御方だい?」
 ようやく絞り出されたヒノエの問いに、話の間中ずっと床に落とされていた知盛の視線が巡り、からかうように細められる。
「神職ともあろう別当殿のご質問とは、思えんな」
 手がかりはあるはずだと言外に告げられ、ヒノエは嫌そうに顔を顰めて呻く。
「ヒノエくんは、わかるの?」
「まあ、想像はつくけど」
 短かったものの、遣り取りに用いられた声と表情があまりにもいつもどおりで、それに背を押されるようにして声を取り戻した望美に、ヒノエは渋面を隠しもしない。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。