朔夜のうさぎは夢を見る

まといしよろい

 時間を考えるならば、そのまま解散してそろそろ休むのが妥当だろう。望美や朔には夜が明けて年が明けても特にこなさねばならない用向きはないが、九郎や景時、将臣、知盛らは別である。宮中の行事への参加はないが、それらが落ち着いた頃にはまた京中の貴族から新年の宴に招かれることは必至。その前に、それぞれの陣営にて新年を祝う議を執り行うため準備を重ねていたことを、望美は弁慶やヒノエから聞き及んでいる。
 だが、このまま解散とするには、あまりにも大きすぎる問題が残っていた。
「そういや、お前、荼吉尼天のこと知ってたんだな」
 口裏あわせのための打ち合わせも一通り終わり、渇ききった喉を潤すためそれぞれが椀に口を付ける静寂の中で、口火を切ったのは将臣。先ほどまでの駆け引きの場面ともまた少し違う鋭さを宿した瞳が、隣に座す無表情に向き直る。
「やったら鎌倉を警戒してるのは知ってたけど、もしかして、ずっと荼吉尼天のことを警戒してたのか?」
 ゆったりとした所作は、何気ないものひとつとってもひどく洗練されている。乱暴なわけではないのだが、優雅という表現からは程遠い将臣が隣で似たような動きをする分、その流れるような挙動の美しさがいっそう際立つのだろう。音もなく椀を高坏に戻すのを、どこかに切り離された思考回路で綺麗だと思いながら、望美は全員の意識が知盛に集中しているのを感じ取る。


 焦らしているのか、単にこれが知盛という人間のペースなのか。ひと呼吸と呼ぶには長すぎる間を挟み、返されたのはそっけない肯定。
「まぁな」
「ですが、それをどうやって知ったんです?」
 そして、返答を待ちかねていたように即座に問いを返すのは弁慶だ。真っ直ぐに見据える瞳には、戦場におけるそれに勝るとも劣らない警戒が見え隠れしている。
「源氏の総大将であり、政子様の義弟でもある九郎が知らなかったことを、あなたはどこで知りえたと?」
「まあ、それを景時が知ってたってところも気にはなるけど、アンタが知ってたってことが何より引っかかるね」
 畳み掛ける弁慶の言葉にヒノエがさらに疑問を上乗せし、指摘を受けて表情を歪めた景時ににやりと笑ってみせる。
 望美は景時が荼吉尼天の存在を知っていることを『知って』いたが、それが半ば反則によるものであることも知っている。だから、どうしてヒノエがそのことを知っているのかと考え、やがて熊野本宮での一連の遣り取りに思い至る。
 何のことはない。望美がどうやって切り出そうかと考えあぐねているうちに将臣が切り出してくれたため思考が少し逸れていたが、彼女の疑問がしこりとなって胸に沈んだのも、あの夏なのだ。


 ちょうどいい具合に話題は望美が求めるそれへと歩みを進めている。対する知盛に何を思う様子もないことは気にかかるが、今を逃しては二度と機会が廻ってこないだろうことも直感していた。ゆっくり、慎重に。違えるわけにはいかない最初の一言を吟味する望美の耳朶を、しかし次に打つのは景時の声。
「俺は特殊例だよ」
 溜め息混じりの声は諦めの色が濃かったが、同時に安堵の色もとても濃かった。ずっと脅威に感じていた相手が倒された、そのことで覚えるだろう解放感は、望美には推察することしかできないが。
「俺が頼朝様に仕えることになったきっかけは、石橋山での件なんだ」
「ああ、それは有名だからな。知っているよ。平家に追われていた頼朝を助けて、それを機に取り立ててもらったってヤツだろ?」
 何かを吹っ切った様子で説明をはじめた景時に、ヒノエがまずあまりにも有名な噂を諳んじて確認を取る。元は平家に仕えていた景時が、誰もが認める頼朝の懐刀として重用されているその原点ともなる逸話は、武士の鑑としても日和見主義者の裏切りとしても語られる、広く人口に膾炙したものなのだ。
 いつの時空でも源氏の兵達が景時の噂をする際には引き合いに出すものだから、歴史に明るくない望美もとっくに暗記してしまっている。その美談に隠された真実の姿さえも。
「それは逆だよ。俺が頼朝様に取り立てられたのは、あそこで見せ付けられた荼吉尼天の力を誰よりも“正しく”恐れた能力を買われたからなんだ」
 語る声が微かに震えたのは、そうして植え付けられた恐怖心がいまだに拭いきれないからなのだろう。陰陽師としての才にも恵まれた身を人は羨ましいと口々に褒め称えるが、その裏にある苦痛を誰にも理解されない孤独は、いつだって闇に葬られるのだ。


 初めて聞き知る景時の真実に、付き合いの長い九郎や弁慶、そして誰よりも近くにいたはずの朔でさえもが驚愕に目を見開いている。だが、知盛はまるで動じていない。そうして淡々と話を聞く姿がリズヴァーンのそれとよく似ていることにようやく気づき、望美は背筋を駆け抜ける悪寒に両の拳を握り締める。
「でも、俺も固く口止めされていたし、荼吉尼天の存在そのものが徹底的に伏せられていたんだ。九郎が知らなかったのは当然だし、だからこそ、外部に漏れる可能性は考えられない」
 誰にも恐怖を悟らせず、孤独に邪神の脅威と戦い続けた景時の言だからこそ、その言葉は重く深い。言い切る口調の強さに促されるようにして再び視線は知盛に集中するが、それでもなお彼は何も明かそうとしない。
「……それだけじゃないよ」
 きっと今こそが自分の出番なのだと。思うよりも先に、言葉が望美の口をついていた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。