朔夜のうさぎは夢を見る

おわりのおわり

 荼吉尼天がその標的を自分から背後にいる朔とに移したことを察した望美は、自分を庇って倒れた知盛を弁慶の手に託して慌てて腰を上げる。朔の力は知っているし、が平家でも指折りの武将であることも知っている。だが、相手が神とあっては分が悪すぎる。
「将臣くん、九郎さん!」
「わかってるッ!」
 邪神と相克にあたる八葉に声をかければ、疲弊しきっているだろう体をおして二人はすぐさま望美に追いつき、邸に向かって地を蹴る。だが、ここからでは剣の間合いには遠すぎる。息が上がっているところにさらに負担をかけて術を放ってもらっても、しかしこの後かの邪神を祓うまでにどれだけの力が必要かがわからない。視野を広く持って冷静に事態を俯瞰することは戦場に立つ上で必要不可欠な技術だったが、その冷静さこそが望美に判断をためらわせる。
「望美、術はいけるかッ!?」
 だが、九郎は迷わなかった。凛とかけられた声は迷いなど微塵も持ち合わせておらず、その強さに背を押されて、望美は信じることを選び取る。
「大技だと巻き込んじゃうかもしれないから、衝天雷光を使いましょう!」
「わかった」
 言うが早いかあっという間に集中力を高めていく九郎に、望美はありったけの木の気をかき集めて渡す。
「そのまま突っ込む。援護を頼むぜ!」
 返事など必要としていなかったのだろう。術を放つために足を止めた九郎を追い越し、大太刀を掲げて将臣は荼吉尼天の背中へと迫る。


 まさに天地を引き裂かん勢いで放たれた雷が視界を染め上げるが、その向こうで響く咆哮は苦悶に満ちていた。直撃したことを悟り、機を逃さないよう再び足を踏み出しかけて、しかし望美は正面から叩きつけられる突風に巻き込まれて背後に吹き飛ばされる。
「うわッ!?」
「神子!」
 同様に前線から離脱を余儀なくされたらしい将臣と九郎を視野の隅に納めながら、咄嗟に受け止めてくれた白龍に礼を言って望美は姿勢を整える。
「朔、さん!!」
 今のは初めて受ける攻撃だったが、その委細を考えるよりも、あれを誰よりも至近距離で受け止めただろう二人の安否が気がかりだった。悲鳴混じりに呼びかけて目を凝らし、何とか隙を見て救いにいかねばと必死に活路を模索する視界に、次いで飛び込んできたのは信じがたい光景。
 土煙と先の九郎の術による閃光の名残りが退いた先には、睨みあう二つの人影があった。長い爪を突きつけ、ぎりぎりと押しているのは異国の邪神。その爪をすべて一振りの小刀で絡めとり、真っ向から対峙しているのは月天将。朔を背後に庇い、あちこちが裂けてぼろぼろになった水干を纏い、ひたと敵を見据える双眸は、凍てついているかのように一切の表情がみられない。
 ざり、と。何か重いものが擦れる音が、その硬直の中で低く響いた。ざり、ざり、と、短く、しかし徐々に間隔を狭めていく音は、あろうことか押し負けて地を抉る荼吉尼天の足が立てているらしい。
 思わぬ伏兵の存在に呆気に取られて攻撃を忘れていた望美は、その音に我に返り、身構えていた天地の青龍を改めて呼ぶ。


 絶好の機会を前に、望美が選んだのは降三世明王呪。天地の青龍の力を最大限に発揮する、木属性最強の一撃。
「将臣くん、九郎さん、いくよッ!!」
 これを最後の一撃にするつもりで木気を練りはじめた望美は、しかし、その気合を思わぬ声によって挫かれる。
「神子、待って! 気を乱してはいけない!!」
「えっ?」
 あまりにも必死で切実な訴えは、世界が滅びるその瞬間でさえも望美にとって害となることを選ばない龍神によるもの。ならばその忠告には何をおいても従うべきなのだと、理解するよりも深い部分で納得している望美の神子としての感性が、その身を中心に渦を巻きはじめていた木気を散らす。
「白龍? でも、木気がダメなら、何なら――」
 しかし、だからといって戦闘を放棄することはできない。木気が駄目だと、それはわかった。だが、ならば何が許されるのか。恐らくはこの場の誰よりも気の流れに敏い龍神に指針を問いかけた望美は、次の瞬間、背筋を駆けた底抜けの恐怖に慌てて首を巡らせる。


 恐怖の源は、どう見ても邪神に対峙しているだった。硬質な光を弾くだけの瞳の奥に揺らめくのは、怒りと憎悪の焔。小刀の刀身がゆるりと蒼白く燐光を放ちはじめ、それを受けるようにしての全身から薄い青銀色の靄のようなものが立ち上る。
「……、さん?」
 見れば恐怖が煽られるのに、あまりに恐くて目を離せない。矛盾した己の心理に全身が強張り、身じろぎさえ取れない中で望美は何とか声を発して遠のきそうな意識を保つ。
「何なの、アレ?」
 光が増し、靄が厚くなるにつれて恐怖が深まっていく。あるいは、それは畏怖と呼ぶべきものかもしれない。魂が震えて、逃げ出したいと、逃げ出せないと叫ぶのをどこかで知覚する。
 アレは、この世ならざるもの。人の世に在っていいものではない。あんな、世界そのものに対して独立した存在を謡うような、善も悪もない純然たる力の姿など。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。