おわりのおわり
そろそろ日が傾く頃になって顔を見せた将臣と知盛は、先日と同様に人目を憚ってか正面からの訪問ではなく、裏口からこっそりとやってきたらしい。そのまま他愛のないおしゃべりに興じていた望美とが朔に呼ばれて会場に踏み入れた時には、既に残る面子が勢揃いした後だった。
「おっせーぞ」
「ごめんね。さんとおしゃべりしてたら、夢中になっちゃって」
遠慮なく文句をぶつけてくる将臣に苦笑を返し、望美はと共に、空いていた席へと腰を下ろす。白龍は、やはり先日同様、人払いと声を漏らさないための結界を張るという景時を手伝っていたため、一足先に席についている。
「じゃ、まずは例の件からだな」
全員が腰を落ち着けたのを確認し、ひとつ呼吸を入れてから将臣は懐を探る。
「これで、間違いないか?」
す、と。床に置かれたのは、掌にすっぽりと納まってしまうような大きさの、艶やかな光沢を放つ黒い鱗。しかし、見掛けは小さくとも存在感は桁違いである。仄かに燐光を放つそれは、まるで生きているかのように穏やかな明滅を繰り返す。
誰もが無言でその静かな力の渦を見つめる中で、動くことを許されたのは朔だけだった。そっと膝を進めて腕を伸ばし、両手に掬い取ってはらはらと涙を零す。
「ええ、間違いないわ。あの人の気配がする」
そのまま胸元に抱き込むようにして俯く朔は、震える声ではきと断言する。その鱗こそが、彼女を神子と定めた神の存在そのものであると。
「やっと、やっと逢えたわ」
喜びと、そして今度こそ再会のない別れを予感しての悲しみに濡れた声が、短くその感動を綴る。それ以上の言葉は何もなかったが、神子たればこそ、逆鱗しか残らなかった神と思いを交わすことができたのだろう。しばらくの沈黙を置いてから、朔は隣に寄った望美に支えられて席に戻り、涙の痕の残る顔を将臣に向ける。
「連れてきてくださって、ありがとうございます」
「いや、責められるんならともかく、礼はいらねぇよ。……謝ってすむことじゃないけど。悪かったな」
罰が悪そうに頭をかいてから、将臣は真顔になって頭を下げる。そして、その隣で同じように小さく黙礼を送った知盛を指し示しながら言葉を継いだ。
「あと、功労賞はコイツ。平家の人間よりも八葉の方が、連れ歩かれるのに黒龍もマシだろっつーから俺が持ってきたけど、清盛からそれを取り上げたのは、俺じゃない」
「そうなのですか? ありがとうございます」
「……御身から神を奪った我らを、神子殿は責めてしかるべき。それを、頭など下げては、黒き龍神も業腹であられよう」
「お前、こういう時ぐらいもっと素直でわかりやすい言葉を使えよ」
淡々と、実に遠まわしに礼など言うなと告げた知盛に呆れた溜め息をつき、将臣は「悪気はねぇんだ。許してやってくれ」と苦笑を向ける。だが、対する朔は穏やかに微笑むのみ。
「それでも、この人を解放して、連れてきてくださったのはあなた方ですから」
礼を言うのは当然なのだと、静穏な声は告げる。それから、朔は何かに驚いたように目をしばたかせてから隣に座す望美を振り返った。
「この人が龍脈に還れば、逆鱗を用いて生み出された怨霊は、自然に龍脈に還るのですって。だから、平家の怨霊兵をあなたが封印する必要はないそうよ」
「え? そうなの?」
どうやら、逆鱗を通じて黒龍が朔にそう明かしたらしい。朔以外の面々には声など微塵も聞こえないためその発言はあまりにも突飛なものと聞こえるが、仮にも神が偽りを述べるはずがない。
「神子、私も聞こえた。黒いのは、自分の力で生まれた怨霊が苦しんでいるのを悲しんでいる。だから、還る時に一緒に還すと言っているよ」
足りない言葉を補うように黒龍の対である白龍が微笑み、朔がそれに頷いているのだからそれが事実なのだろう。矜持と慈愛によってもたらされたのだろう神の決定に、望美はぺこりと頭を下げる。
封印自体は天地に満ちる力を借り受けての奇跡であるため、望美の体力を奪うことはない。だが、黒龍の神子である朔ほどではないといえ、望美もまた怨霊達の嘆きを魂で聞き取るのだ。その上で、どうか安らかにと祈りながら封印を施すのは、それなり以上に精神を疲弊させる。
具体的にどれほどの怨霊が存在するのかはわからなかった分、平家の擁する怨霊を封印するという責務について、少なからず気分が塞いでいたのは確かなのだ。神としての矜持と共に、恐らく気遣ってもらったのだろうと察してしまえば、その慈愛にはいくら感謝しても足りるとは思えない。黒龍は、望美を守護する神ではないのに。
「白龍、この人を龍脈に還すには、どうすればいいのかしら?」
万感の思いを篭めての礼から望美が顔を上げるのを待ち、朔は再び小刻みに震えはじめた声で、しかし凛と問いを紡いだ。逡巡するように伏せられた瞳が、薄く涙の膜に光りながら白龍を見据える。
「逆鱗を、砕いて。そうすれば、逆鱗に凝縮されている力が天地に溶けて、黒いのは龍脈に還る」
「そして、新たに黒龍が生じて、応龍が復活するのね?」
「うん」
確かめるように問いを重ね、朔は唇を噛んでから小さく望美を呼んだ。
「ねえ、お願い。あなたの力を、貸してほしいの」
澄んだ瞳は穏やかで、優しくて、けれど限りなく強かった。詳しいことを何も知らないにも、朔にとって黒龍が単に自分を神子と定めた神であるだけではないことが察せられる。きっと、もっとずっと深い想いと絆で、彼女とかの神は結ばれていた。そして、彼女は世界の理のために、その絆を自らの手で過去にしようとしているのだ。
Fin.