朔夜のうさぎは夢を見る

おわりのおわり

 承諾の返事を残して立ち去ったまま、やはり諸般の忙しさに紛れて連絡などひとつも寄越さなかった将臣から「持っていく」との文が舞い込んだのは、大晦日を目前に控えた昼下がりのことだった。あの翌日、改めて時間を取ってもらった朔とにそれぞれ同じ説明を繰り返していた望美は、ようやく齎された吉報にほっと胸を撫で下ろす。
 自分を神子と定め、そしてそれ以上の絆で結ばれた唯一無二の存在の行く末を聞いた朔は涙に濡れたが、再びの落ち着きを取り戻すだけのしなやかな強さをも持ち合わせていた。おずおずと将臣からの来訪予告を告げた望美に、はんなりと微笑んでくれたその瞳は、いつもよりも深い慈愛に満ちてひたすらに美しかった。
 に事情を語って聞かせたのは、ここまで関わったのだからという思いの半面、実のところあまりにも物事を知りすぎている知盛の、情報源を知っておきたいという警戒心があったからだった。
 今のところ、彼は望美の願う未来を同じように願ってくれているように見える。だが、その思うところがずれた時、あれほどにあらゆることに対して深い知識を持っている知盛がどれほどの強敵となるのかは、考えたくもない。このまま無事に和議が成るならそれでいい。しかし、安直に物事を楽観するには、望美はあまりにも色々な局面を目の当たりにしすぎている。
「まあ、何とかなりそうだから、いいって言えばいいんだけど」
「何がですか?」
 はあ、と。大きく溜め息をこぼしながら呟いた、少しばかり声の大きすぎた独り言には、きょとんと返される声がある。しまったと思いつつ振り返り、望美はへらりとあいまいな笑みをひとつ。
「うーん、全部、かな?」
 納得などしていないだろうに、声をかけてきたははたりと瞬きをひとつはさんで、それ以上の追及は口にしない。


 結論から言えば、は何も知らなかった。何も語れることはないと言い、自分もそれは不思議に思っているのだと言っていた。だから、望美に残されたのは知盛を信じるという選択のみである。
「あ、そういえば、さんに聞きたいことがあったんだ」
「何ですか?」
 いよいよ今日は大晦日。さすがにこの日からの貴族達は宮中での行事に忙しいらしく、逆に時間ができたからという理由で将臣達から約束を取り付けられている。指定された時間まではまだ少しあるが、ついでに内々で小さな宴会を開こうとヒノエが言い出し、仕事を抱える人間はその追い込みに、それ以外の人間は宴席のための準備に駆け回っている。のんびりと時間を持て余しているのは、望美と白龍、の三名だけなのだ。
 ぽかぽかと心地良い日差しに誘われ、簀子縁での日向ぼっこを決め込んでいた望美と白龍に、どうやらは茶湯を運んでくれたらしい。差し出された椀を受け取って礼を述べてから、望美はが隣に腰を下ろすのを待って口を開く。
「あのね、黒龍の逆鱗が龍脈に還れば、白龍は応龍として復活することができるんだって」
 ね、と振り返った先で、新しい年を迎えようと脈打つあらゆる気配に双眸を細めていた白龍が、にっこりと笑う。
「うん。神子が頑張ってくれたお蔭で、私の内に満ちる五行は十分に高まった。黒いのが戻れば、私はいつでも応龍になれる」
「それは、素晴らしいことと存じます」
 神の理はいまだもってよくわからないが、あるべき姿に戻れるというなら、それはめでたいことだろう。素直に言祝ぎを送れば、くすぐったそうに頬を緩めて神は己の神子を見つめる。
「それでね、応龍に戻れたら、時空を繋ぐ道を開けることができるらしいんだけど、さん、元の世界に帰る?」
 ひとしきり見詰め合って笑いあい、絆を確かめあったらしい白龍の神子は、そしておもむろに振り返り、あまりにもあっけらかんとした声でそう問いを投げかけた。


 唐突に衝きつけられた選択肢に目を見開き、言葉を音ではなく意味として理解するための時間をおいてから、はようやく詰めていた息を吐き出す。気負わないようにと気遣ってくれたのか、望美は問いを投げかけてから視線を庭に戻し、のんびりと日向ぼっこの続きを楽しむ風情である。
「いいえ」
 だから、も望美が変にいろいろなことを考えてしまわないように、軽い口調であっけらかんと答えた。
「和議が成った後は、平家に戻り、これまでと同じ生活を送ります」
 周囲の多大な協力のお蔭で、男性恐怖症は克服済み。手近なところに同性の存在がなくとも、体が強張ることもなくなった。これならば、もう夏の熊野のような事態には陥るまい。改めて知盛に非礼を詫びて、これまでどおり、傍で仕えさせてくれるように頼むつもりだった。
 もしかしたら、もういらないと、そう言われてしまうかもしれない。だが、その場合には重衡をはじめとした、一門の他の公達に雇ってもらえるよう願い出ればいい。そして、また距離を詰められるように努力すればいい。
 彼の力になりたいのだと、その願いは変わらない。だから、その願いを成就できない世界へと渡るつもりは、には微塵もない。
「そっか」
「ええ、そうです」
 返された相槌がどこか安堵の空気を孕んでいたのは、気のせいではないだろう。もう間近に迫った平和な未来に頬を緩め、二人は顔を見合わせて小さく笑いあう。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。