こおれるほむら
町が夜闇の中で静まり返るのを待ち構えるようにして、二人の珍客はそれぞれに梶原邸へと足を踏み入れた。将臣はあくまで“有川将臣”として正面からふらりと、知盛はなんと、警備の目をかいくぐって文字通りの侵入であったらしい。場として供された邸の北面の一間の裏手に当たる庭に降ってきた瞬間に遭遇したという弁慶は、氷点下の笑顔で無謀な策を弄した甥に皮肉と嫌味の嵐を浴びせかけていた。
会合に参加するのは、夏の熊野で密談の席に居合わせた面々から、朔とを除いた全員である。不調を理由に下がってを引きずり出すのは憚られたことと、後から聞かせてくれるならそれで構わないと言って、に付き添うために朔が辞退したためである。
欠席の理由としてはあまり歓迎できるものとは言いがたいが、今から自分が口にする話を公衆の面前で朔に聞かせることを躊躇っていた望美は、絶好の機を逃すような愚は犯さない。代わりに後で時間を取ってもらう約束を取り付け、待ち受ける八葉と己を神子と定めし神、そして、数多の道行きの中で一度も同じ道を歩むことのできなかった敵将を前に、毅然と顔を上げる。
何もないのでは口寂しいからと、酒と茶と、後は簡単な肴が用意されただけの密談の席。景時と白龍が手を尽くしてくれた結界は、邸に上がろうとした知盛がその足を止めるほどに見事で堅牢なものであるらしい。くつくつと笑って「周到なことだ」と告げる口調はどこか皮肉げだったが、隣で遠慮なく小突いた将臣によると、それは捻くれた知盛からの最大級の賛辞であるのとこと。
「将臣くん、知盛。来てくれてありがとう」
「あー、硬いことはなし。急で悪かったけど、今夜しか時間が取れなかったからな。前置きはいいから、本題に入ろうぜ」
自由に楽しんでくれと進めるや、早速慣れた手つきで杯に酒を満たした将臣が、どう切り出したものかと悩みながら言葉を選ぶ望美にひらひらと手を振ってみせる。
「熊野で仰っておいでだった、龍脈に関する事項……とのことだった、な?」
その言葉を引き継ぐようにして、同じく手酌で杯を満たしていた知盛が、瓶子を高坏に戻しながら視線を持ち上げる。
「院の説得には、神子殿のお言葉添えこそが功を奏したとうかがっている……。その返礼の意味も篭めて、我らにできる協力を惜しむつもりは、ない」
ゆったりとした調子ではあったが、だらけた気配はなく、むしろ厳かな気配に満ちた音調だった。底の見えない、本心の読めない深紫の双眸が、ひたと望美の碧眼に据えられる。
言ってみろと、無言で促す視線に応えて、望美は結論から述べる。
「清盛の持っている黒龍の逆鱗を、龍脈に還す必要があるの」
余計な前置きはいらない。この道をこのまま進むため、信を置けると判じた彼らにはすべてを告げようと決めた。だから、今必要なのは事実を過たず表す言葉だけ。
あまりに突飛な発言に目を剥く一同を見渡し、望美は続ける。
「いくら怨霊を封印して龍脈を正しても、応龍の半身である白龍と黒龍が力を取り戻さなければ、応龍として復活することはない。そして、白龍はここにいるけれど、黒龍は逆鱗の状態で清盛に呪詛で束縛されているの」
唖然と、言葉を失っている面々が発言内容を理解するのを待つ望みに、まずかけられたのは将臣の掠れた声。
「それは、本当か?」
「本当だよ」
「冗談、キツイぜ……」
地を這うように低められた声と鋭い眼光に怯むことなく望美が返せば、膝の上でぎりぎりと握り締められた拳が声と共に小刻みに震える。その呻きに促されるように、次々に感情の揺らぎを瞳に戻しはじめる一同の中で、しかし、変わらず動じない瞳が一対。
「なるほど。趣旨は、理解した」
瞳と同様に、声もまた微塵の変化もなく、最初のそれと同様にただ静かに凪いだ、ゆるりとした口調だった。疑っているのか信じているのか以前に、言葉が彼の心に届いているのかを確かめたくなるような、それは不自然なほどに落ち着き払った声。胸によぎった疑問を放置することができず、問い質そうと望美が口を開くよりも先に、しかし知盛は言葉を継ぐ。
「だが、その要請に協力するには、ぜひとも願い出たき儀があるのだが」
「願い出たいこと? ……何を?」
条件をつけられても呑めるかはわからないが、怨霊である清盛に対峙するのに力を貸せというのなら、否やはない。それに、こうして望美の言い分を受けて何か要求を衝きつけてくるというのなら、少なくとも告げられた内容を受け入れるつもりがあるということだろう。そんなことを考えながら小首を傾げた望美に対して、知盛は瞬きひとつで口の端を吊り上げ、双眸の奥に獰猛な光を宿す。
「明かせ――お前がそうして、すべてを知るその所以を。すべてを知ってなおこの先に描く、お前の欲望を」
ぶつけられた言葉に目を見開く望美など素知らぬ様子で、薄く、凄絶に笑う知盛は謡うように告げる。
「それを知った上でならば、俺はお前に応えるだろう。父上と敵対することと相成ろうとも。異国の神に、弓引くこととなろうとも……な」
軽やかに、冷ややかに。けれどこれ以上は何も言わないと、知盛は紡ぎ上げた言葉の向こうからただひたと望美を見据え、その要求が叶えられることを待っている。
Fin.