こおれるほむら
沈黙を保つ望美を庇うつもりだったのか、純粋に知盛の放った意味深げな言葉の意味をただすつもりだったのか、息を吸い込んで口を開きかけた弁慶を横目に捉え、望美はようやく声を振り絞る。
「わかった」
「望美さん……」
声は震えていたが、気遣わしげにかけられた弁慶からの呼びかけに「大丈夫です」と笑い返す声は、既にいつものものだった。そして、もう一度息を吸いなおし、改めて座に居合わせる一堂をぐるりと見回す。
元より明かすつもりではあったし、そう約束もしていた。ただ、どういった機会にどういう風に切り出すべきかがわからずに惑い、足踏みをしていたのだ。だから、いささか乱暴ではあったものの、知盛による要求はある種の渡りに舟であったことも事実。
きっと、今この時こそが語るべき機会なのだろう。胸に響いた直観に従い、望美は凛と声を放つ。
「お願いです。これから私の言うことを、まずは最後まで聞いてください」
揺るぎない覚悟を灯した瞳に応じて堅牢な沈黙に浸された空間で、数え切れないほどの運命を辿った神子は、己が目で見、己が耳で聞いたすべてを、静かに明かしはじめる。
幾重にも、辿ることで見知ったこの戦の裏側にある真実を紡ぎ上げ、そして最後に望美は知盛を見据える。
「これが、私が知っていることのすべてで、私がどうして知っているか、だよ」
明かされた時間の積み重ねはあまりにも膨大で、あまりにも壮絶で、あまりにも悲壮。ゆえにこそ呆然と言葉を失う一同の中で、けれど知盛の瞳だけは仄かな満足と愉悦に煌めいている。
「その上で、もう一度お願いするね。清盛が持っている黒龍の逆鱗を龍脈に還すのに、協力して欲しいの」
「……承知した」
しんと、停滞した沈黙を引き裂いて、知盛はいらえる。
「神子殿の目指す先と、我らの目指す先は、幸いにして同じき道と思われる。なれば、なおのこと、神子殿の要請にお応えすべきというものだろう」
「私の言ったこと、信じてるの? 知盛は、驚かないの?」
「神子殿は、虚言を弄したのか? それとも、承諾の言葉より、驚愕の言葉をお求めと?」
拍子抜けしたように問い返す望美に、知盛は穏やかな苦笑を浮かべて、悲しくなるほどやわらかな声を返す。
「陰気を司る龍神を縛しているそれが罪ではないと思い込めるほど、俺は愚かではないつもりだ……。一門の罪なれば、叶う限り、我らの手にて幕を引くべきであろう?」
言って小さく息をつき、ほんのわずかな瞑目の後、鋭さを取り戻した視線が次に射抜くのはようやく我に返りつつある八葉の中の、地の青龍。
逃げることを許さず、偽ることを許さない強い瞳。その奥に確かに憐憫と同情を篭め、知盛は問う。
「だが、御台殿はいかがするおつもりだ?」
びくりと、跳ねた肩に双眸を眇め、けれど語調は揺るがない。
「何もせぬというのなら、下手に手出しのできぬ相手ではあるが。……いざ、その身の内に宿すという邪神が牙を剥いた折、お前達は、御台殿に刃を向ける覚悟はできているのか?」
問いは全員に向けられているようでいて、知盛の視線はひたすらに九郎に据えられていた。血族ではないといえ、仮にも義理の姉に刀を向けられるのか、と。言外に篭められた真意は、あまりにもあからさま。
次々に自我を取り戻した視線が向けられるものの、苦悶の表情を浮かべる九郎は唇を引き結び、眉間に皺を寄せて拳を震わせている。そして、その九郎から視線を引き剥がし、望美はこの運命を辿ることで初めて思ったことを舌に載せる。
「何もしないなら、何もしないよ。政子さんの中で静かにしていてくれるなら、それでいいから。それにね、今回は大丈夫な気がするんだ」
「……ほぉ?」
ようやく望美へと返された深紫の視線が、何ゆえだと問いを重ねる。
「あのね、今日のお昼にさんと政子さんに会いに行ったんだけど、その時、さんに言ってたの。辛い目にあったろうけど、もう大丈夫。もう全部終わりますよ、って」
だから、きっと和議を邪魔されることはないと思う。そう言い切って笑う望美をじっと見据えてから、知盛は小さく息を吐いて「そうか」と呟く。
瞼の向こうに艶やかな色の虹彩が閉ざされると、途端に知盛の存在から鋭さが拭い去られる。ひたと静まり返ってしまった空気にたたらを踏み、けれど望美は怯まない。
「大丈夫。何かあるようなら、私も全力で対処するよ。だから、まずは清盛の持っている逆鱗を、何とか穏便な方法で取り返して欲しいんだけど」
「承知したと、そう、申し上げたな? 一度与えた言質を易々と撤回するほど、安い矜持を持った覚えはない」
あっさりと言い放ち、知盛はゆるりと瞼を押し開ける。
「穏便に、と。そのお心遣いを無駄にせぬよう、微力を尽くさせていただくとしよう」
「あー、その辺は俺も頑張るからさ。とりあえず、心配はしなくていいぜ?」
やっと言語中枢に血が通いはじめたらしく、知盛の承諾を追うようにして将臣も笑う。
「それよりさ」
そして、ほんのわずかに目配せを交わしあい、呆れとからかいを存分に含む知盛の瞳に軽く咎めるような視線を送ってから、将臣はくいと促す目線に背中を押されるようにして望美の目の前にいざりよると、ぽん、と軽く頭に手を置く。
「お前こそ、すっげー頑張ったのな。……ありがとな」
高校の渡り廊下ではぐれてから、三年という月日の隔たりができて、生活環境の違いができて。すっかり大きく、節くれ立ってしまった手で、将臣はわしわしと望美の小さな頭をかき混ぜる。かき混ぜられ、なされるがままに揺れる頭が徐々に俯いてついに嗚咽がこぼれはじめる頃には、それぞれに距離を縮めた八葉が代わる代わる頭を、肩を、背中を撫でさすってやっている。そうしてかけられるそれぞれからの言葉に埋もれるようにして、望美はずっと堪え続けていた思いを洗い流すように、わっと声を上げて泣き出していた。
Fin.