朔夜のうさぎは夢を見る

こおれるほむら

 素直に意外さを載せた視線でその珍しい表情を見やってから、望美はことの顛末を誰よりも面白おかしく語ってくれるだろうヒノエに向き直る。
「そんなに凄かったの?」
「まあね。さすがは切れ者と名高い新中納言殿。これでもかって毒舌の嵐で役人達の狸っぷりを撃破して、最後には院と直接やりあってたよ」
 くすくすと笑いながら、ヒノエはとんでもない遣り取りの内幕を暴露する。
「オレはアイツが出仕していたころの朝廷での様子は知らないけど、アレが普通だったんじゃないの? 院も楽しそうに、周りを黙らせて遠慮なくやらせてたし。それに、オレとしてはそれを見てやきもきしてる九郎や将臣の様子が楽しかったけどね」
 仮にも和議を仲立ちしてもらうという、どう考えても自分が下の立場でありながら、毒舌を交えた舌戦を展開したというのは信じがたいものがあったが、それでこそ知盛なのだろうという妙な納得があったのも事実である。むしろ、だからこそ治天の君のお気に入りなどという立場を獲得するに足りえたのかもしれない。
 そんなことをぼんやりと考えながら、は同じ京のどこかしらにいるのだろう将臣に内心で深く同情する。傍で見ていただけの九郎がこれならば、同じ勢力である将臣の神経がどれほどすり減らされたのかは、察して余りあるというもの。同席していたのだろう重衡はまあ、知盛に負けず劣らずな側面があるから置いておくとしても、忠度の胃もまたきりきりと締め付けられたことだろう。


 京にて朝廷に仕える人間は、院から示された候補の名簿を許に、一応各勢力での話し合いの後に正式決定となるらしい。それらの任官だの捕虜の交換だのを含めて年明けに和議の儀式が執り行われる旨を告げて、説明は締め括られた。
 長く話し続けて疲れたのか、譲が淹れた茶を啜って一息ついてから、ふと思い出した様子で九郎は望美を振り返った。
「鎌倉には先日の大筋合意の時点で遣いをやっているから、もうじき政子様も京に入られるだろう。それに際してだな、政子様が会ってみたいと仰っているんだ」
「政子様が、私に?」
「正確には、お前と殿だな」
 言われて視線を向けられ、てっきり他人事とばかり思っていたは椀から口を離してきょとと瞬く。
「………わたしは、捕虜の身ですよ?」
「それでも、和議が成るのだから構わんだろうと仰せでな。月天将の噂を聞いてからずっと気になっていて、これは良い機会だから、と」
 かろうじての反駁に困ったように眉根を寄せ、九郎は言葉を重ねる。
「これは推測だが、政子様は多分、女の身でありながら戦場に立っていたということに興を持っておいでなのだと思う。あくまで私的に、堅苦しくない席で少し話をしたいだけだから、とのことなんだが……。頼めないか?」
「私は別に、構いませんけど」
 心底困った様子で頭を下げられ、即答した望美が気遣うようにを振り返る。その視線を追うようにして上目遣いに九郎もまた目を向けてくるが、には気遣われる理由がない。
「どうぞ、頭など下げないでください。承知しました」
「そうか。それは助かる」
 下げてくれるなと言った傍からもう一度頭を下げて謝意を示し、そして九郎はからりと笑う。


 そもそものきっかけがきっかけだったということもあるためか、立場がいまいち確定しないままここまできてしまったため当人も忘れがちなようであるが、は虜囚である。その身を傍仕えとすることに決めたのは九郎であり、主従という意味でも捕虜という意味でも、に拒否権などはじめからないのだ。
 もちろん、そういう枠を超えて一人の人間として扱われることには素直に感謝の意を抱くし、そうやって分け隔てなく接することのできる九郎の器の大きさは尊敬に値すると感じている。だが、総大将がこれでは下への示しもつけにくかろう。ちらりと視線を走らせた先では、弁慶がやれやれといわんばかりの苦笑を浮かべているし、景時も困ったように、けれど愛しそうに微笑んでいる。
「装束はこちらで用立てるが、足りないものがあったらば遠慮なく言ってほしい」
「お言葉に甘えさせていただきたく存じます」
 源氏の棟梁である頼朝の正妻と面会するには、それなりの正装が必要であろう。小袖ではさすがにと思うものの、手持ちなどあるわけもない。望美は和議のためにと用意している衣装を基本にもう少し足すだけでいいかもしれないが、はそうはいかない。さて、いかにその旨を告げるかと考えていたのだが、どうやら既に九郎による手配が済んでいたようである。


 素直に厚意に縋ることに決め、ぺこりと頭を下げて礼を告げたが顔を上げるのを待ち構えたように、次いで上げられたのは望美の声。
「ヒノエくん。この前言っていた、和議が締結したらっていう話なんだけど――」
「ああ、将臣と知盛に話があるってやつだね?」
 もごもごと、言いにくそうに語尾を濁した望美ににこりと笑い、心得た様子でヒノエは頷きを返す。
「打診してはあるし、向こうの了承も取り付けたよ。でも、これから和議の締結を受けて、形式的な意味でも取り引きの場という意味でも宴席が増えるから、もう少しぎりぎりにならないと日を決められないってさ。それに、御台所との面会も、まだ日が決まってないんだろう?」
 さらりと説明しながら流された視線に、九郎がこくりと首肯する。
「なら、もう少し後だね。向こうも福原から平家の連中を迎える準備があるだろうし、御台所との面会の後ぐらいに場を持てるように話をつけておくよ。それでいいかい?」
「うん。お願いするね」
 手早く纏められた折衷案には、文句をつける隙がない。見事なものだと感心しながら、これからまだ用があるからと言って早々に梶原邸を辞するヒノエの背中を見送り、はしみじみ溜め息を吐き出していた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。