朔夜のうさぎは夢を見る

こおれるほむら

の様子からしても、お前が箍を外した本性っていうのは、相当なんだろうね」
「……ヒノエは、私が怨霊だということには驚かないのか?」
「オレは仮にも神職だよ? なんとなく察しはついていたし、熊野本宮の結界に弾かれた時点で確信していた」
「あ……」
 あっけらかんと肩を竦めるヒノエは、目元と口元だけでやれやれと笑う。指摘を受けるまでも失念していたが、そういえば熊野別当であるヒノエが本宮の周囲に張り巡らされている結界の意味を知らないはずがない。第一、抑えていても強大な気の塊であることは事実であり、さらにその調和が著しく陰の気に偏っていることも察せないはずがない。ならば、同じ理由でこの手の知識やら感覚やらに秀でている面々は皆、敦盛の正体を察していたということだろう。
 そう考え直して視線を巡らせれば、なるほど目をしばたかせているのは九郎のみである。その九郎も、気づいていなかったのが己だけだと知ったのだろう。深く溜め息を落とし、「俺もまだまだだな」とごちている。


 それでも、敦盛が八葉であることは揺るぎない現実であり、その在り方がこれまでと変わることはない。怨霊であるか人間であるかを周囲に明かすことは、敦盛という意思を左右するものではないと、固い絆で結ばれた面々はわかっている。
「でも、だったらちょうど良かったのかな。実は、平家の怨霊についての沙汰も決まってね」
 大切な情報があれこれ提示されたとはいえ、これまでの話は本筋から逸れたものである。一区切りついたことを目線で確認しあってから、気を取り直した様子で景時は話題を元に戻す。
「自我のない怨霊兵に関しては、望美ちゃんにお願いして封印してもらうことになったんだけど、そうじゃない、自我を持っていて、しかもとんでもなく大きな力を持つ清盛殿なんかは、とりあえず様子見ということで落ち着いてね」
 そして、言葉を選ぶような素振りをみせてから、けれど結局諦めて景時は申し訳なさそうな表情で続ける。
「細かい駆け引きとか、理由とかはおいておくけど。それでも、表向きには死んだことになっている方々だから、存在を公にはできない。この先どうするかは陰陽頭殿とか、その道の方々とさらに協議をするらしいけど、とにかく、二度と表舞台に上がってもらわないことだけは決定したよ」
 あれほど京に、朝廷に返り咲くことを望んでいた清盛にとってそれは許しがたい決定かもしれないが、はむしろ得がたい温情だと思う。問答無用での封印を言い渡されても仕方のない存在だが、一方ではその存在を日常として受け止める平家の面々にとって、彼らを一度に喪うのは精神的に相当な痛手となるだろう。その上で、筋違いであることは承知しているが、屈折した怨嗟の情を抱くものがないとも言い切れない。
 せめて、一門の者の心がもう少し落ち着いて穏やかになり、彼らの喪失という現実を今度こそ真っ直ぐに受け止められるようになるまでの時間は、何としても稼ぎたかったところだ。


 同じことを考えていたのだろう。ごく静かな声で「いや、それは当然だ」と応じ、敦盛が伏せていた視線を持ち上げる。
「我らは死した身。生ける一門を導き、担うのは、生きた方であるべきだ。留まることが和議の決定ならば従うが、我らの存在は、何よりも秘されるべきなのだ」
「……ごめんね」
「景時殿が悲しまれることではない……これが、因果というものなのだろう」
 怨霊とはいえ、彼らには心がある。笑いもすれば悲しみもし、喜びもすれば怒りもする。なのに、彼らはないものとして扱われ、けれどこの世界に留め置かれる。彼ら自身の罪とは言い切れない、世界に歯向かった罪業ゆえに。
 まんじりとしない葛藤からか、ぽつりと紡がれた謝罪の声は本当に悲しげだった。対して敦盛はあくまで穏やかに首を振り、沈んでしまった空気を振り払うように話の続きを求める。
「その他については、何か?」
「ん? ああ、えっと。あとは、そうだね。今後、基本的に源氏も平家も、それぞれの拠点を中心に熊野や平泉みたいに自治を敷き、その上に朝廷を仰ぐ形でお仕えすることになったよ。京に一部の人間を置くのは、朝廷に直接お仕えするためと、物騒な言い方だけど、各勢力に対する人質という意味だよ」
 それぞれの拠点には棟梁を置き、総領やそれに準ずる人間を京に置くことで後白河院はこの新しい政治体制を許容したという。いざ蜂起したとなれば、人質の命が奪われることは当然ながら、同時に残る勢力が結託してその反乱分子を取り潰しにかかるという形式である。
「その代わり、各拠点に対する所有権が朝廷から認められて、ある程度の縛りはあるけれど、その中でなら自由裁量での統治ができる。租税とか、細かい取り決めはもっとあるんだけど、とにかく基本はお互いに不干渉で、朝廷を間にはさんで対等な関係になるってことだね」
「怨霊云々やら神器の件もそうだったが、ここが一番揉めてな」
 景時の解説の終わりを待ち、げんなりした表情を隠しもせずに九郎が大きく息を吐き出す。


 それを受けて思わず失笑した景時といい、意味ありげににんまりと笑ったヒノエといい、議論が白熱し、相当際どい駆け引きが行なわれたのは確かなのだろう。そういう遣り取りをこそ楽しむきらいのあるヒノエや弁慶とは対照的に、真っ直ぐな性情ゆえに何事も正面から取り組むことをよしとする九郎にとって、それはとんでもない苦行であったことだろう。苦難を察し、場にはいかにも慰撫の色味の強い空気が満ちる。
「所領の分割だの権限の割り振りだのはまあ、互いに話すだけだから良かったんだが、それがまとまった後での、朝廷の役人との遣り取りが凄まじかった」
「確かに、アレは九郎には刺激が強かったかもしれないけど、いざ出仕するとなると、あのぐらいは必要になるんだぜ?」
「……勘弁してくれ」
 遠くを見つめる瞳で呻く九郎の姿は珍しいことこの上ない。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。