こおれるほむら
ただ、それだけではヒノエも弁慶も納得しないだろう。なので、明かしても構わない事実だけを付け加える。
「それに、わたしが術師であるという噂は存じ上げていますし、確かに真似事はいたします。ですが、陰陽術の類はさっぱりです。むしろ、知盛殿こそがそういう方面への造詣が深いとうかがっています」
色々と隠し事の多い発言だったが、同時に真実も多分に含んだ発言だった。は陰陽術と呼ばれるものはまったく扱えないし、知盛がその手の知識と術に意外に長けているのは、知るものぞ知る有名な話だ。
そのあたりの情報はヒノエも弁慶も把握しているのだろう。完全に疑惑が払拭されたわけではなさそうだったが、それ以上は何も言わずに引き下がる。
「知盛殿が何を示してそう申されたのかはわからないが、陰陽術の心得があるというのは事実だ」
の説明を補足するように口を開いた敦盛が淡々と言葉を紡ぐ。
ふと、口を閉ざして何かを悩む素振りをみせてから、しかし敦盛は決然とした表情でぐるりと座を見渡して凛と言い切る。
「私もまた、怨霊だ。そして、八尺瓊勾玉と共に私の怨霊としての本性を抑える呪具の効果が薄まることのないようにと、折に触れてはまじないを重ねてくださっていたのは知盛殿だと聞いている」
唐突な告白に動揺したのか、ざわりとどよめきが走る中、その事実を知っていたは黙って視線を伏せる。平家にいた時分には直接の接点がなかったため知盛からぽつぽつと話を聞いていただけだったのだが、どうやらあのわかりにくくも面倒見の良い主が封印具だのといった細かな事情を知っていたのは、そこに一枚噛んでいたからであるらしい。
いかにもらしいことだと思い、そしてどこまでも哀しいことだとも思う。が怨霊の存在を知ったのは、実は平家が都落ちをする直前のことなのだ。清盛の死後しばらくして、体調を崩したことを理由に貴船に放り込まれ、さらに謹慎とも称せるだろう「最低一月」との言いつけを律儀に守ってから邸へと戻った。さすがに精進潔斎の甲斐があったのか、整った体調ゆえに再び共に戦乱を駆け抜けていたというのに、いよいよ時流のきな臭さが露わになってきた倶利伽羅峠への出陣は見合わせるようにと言い渡された。
六波羅に残る戦力がろくにないということ、また、今回は規模が大きすぎて目が行き届かないからとの理由で留守居を言いつけられたはいいものの、圧倒的多数にて勝利するかと思われた戦はまさかの大敗。しかも、その責任を感じてか惟盛は熊野沖で入水してしまうし、経正は戦死したという。さらに追い討ちをかけるように義仲が京に向かっているとの報せを受け、その手から逃れるために遠からず京を出るだろうと聞かされた夜なのだ。
貴船での精進潔斎が実を結んで、力の器としての修練もだいぶ積めたとの自覚を持っていた分、知盛らが倶利伽羅峠から戻ってしばらくしてから久方ぶりに呪詛が原因とおぼしき体調不良に陥った際には、かなり落ち込んだものである。貴船に預けられる前よりも軽減されたとはいえ、こうも度々寝込んでいては知盛が出陣するその背に立つことは許されない。それに、何よりそれほどの頻度で人を殺めるほどの呪詛が平家に向けられているのかと思い、背筋が凍ったものだ。
せめて邸を留守にせずに何かできないかと模索した結果、日常的に禊を行なうという妥協案を持ち帰っていたのだが、それ以前に原因である呪詛を何とか防ぐなり弾くなりする方策を探るべきかと考えていたところに、与えられたのは"死反しの術"というとんでもない言葉だった。聞けば、貴船に放り込まれることになった際の昏倒も、死反しの術による気脈の乱れの余波を受けたのだろうとのこと。
すべての事実を淡々と、包み隠すことなく知る限りで説明していく瞳がただ硬質な光を弾くのみだったことを、は覚えている。そうしてあらゆる感情をすべて押し込めて表層を凪がせることが、知盛にとっての悲しみへの対処の仕方なのだということも、また。
告げる言葉に感情がはさまれることはなかったが、その静けさこそが思いの深さを雄弁に語っていることを、彼は気づいていないのか、それとも知っていて放置しているのか。
陰陽術に長け、知識に長じ、が自身ではどう扱えばいいのかさえよくわからずにいた蒼焔の制御についてさえ、わずかな手がかりからその方向性を見出した知盛が、怨霊という存在の矛盾に気づいていなかったはずがない。一門への思いゆえに苛まれたであろう葛藤を、は知らない。知らないが、その葛藤に何とか蹴りをつけ、そして受け入れる上でただ目を逸らすのではなく手を伸べた胸中には、一体どのような感慨が渦巻いていたのだろうと考える。
「そうしてまじないをかけられる折には、自我を失った状態だったから、私自身はまったく覚えていないのだが……」
ぽつりと、はさまれた前置きに含まれる意味の重さを正確に知る者がないことを、は惜しむ。敦盛が自我を失うことで発揮する力のとんでもなさは、身をもって知っている。しかし、が知っているのは封印具によって戒めを受けた上での自我の喪失なのだ。なればこそ、その封印具が不完全な状態であった折の敦盛に対峙するとは、一体どれほどの猛威に立ち向かうことであったことか。
「術師というだけでは対峙しきれず、武人というだけでは対処しきれぬ私に抗しえるのはご自身だけだからと仰って請け負ってくださったそうだが、理性を失った怨霊を滅さず、こうして自我を保てる状態へと引き戻せる知盛殿の術師としての実力は、相当なものだと思う」
「まあ、相当な実力者だってのは理解したよ」
言うべきことは言ったという風情で口を噤んだ敦盛を受け、どこか含みを持たせた口調のヒノエがちらとを流し見てから軽く頷く。
Fin.