こおれるほむら
そもそも、八尺瓊勾玉が神器である所以は、その経緯と、モノとして神通力を持つことにある。勾玉として完成されてはじめて力を発揮するはずのソレが砕けてもなお神通力を保つのは、本来ならば矛盾する話なのだ。その矛盾が矛盾とならずに貫かれるのであれば、それは“勾玉として力を持つ”という理屈を凌駕する理屈が齎された場合のみ。そして、その“より力のある理屈”として持ち出されたのが、勾玉という形式を左右できるほどの力を持つ神の存在であるのだそうだ。
神職であることからもその手の話に最も通じているのだろうヒノエによる補足の説明を聞いてから、九郎は白龍を見やる。
「俺はまるでわからないのだが、そういうものなのか?」
「……景時やヒノエの言っていたことは難しかったけれど、八尺瓊勾玉は神の作りしモノ。だから、それを砕けるのは人の力ではなくて、人外の力だけだ」
ちょこんと首を傾けながらも、青年の姿に宿る神は言葉を紡ぐ。
「神子の剣は、私の力で作りしモノ。だから、ヒトの力では傷さえつけられない。もしも折れることがあるとすれば、それは怨霊の力か、神の力が働いた時だけ」
それと同じだよ。無邪気に笑う神の姿はあどけなかったが、告げられた内容は重かった。それこそ己の武器に文字通り命を預ける九郎達の絶句を横目に、その意味と重みを実感するには感覚の遠い譲が質問を重ねる。
「じゃあ、勾玉を砕いたのも神か怨霊の力で、しかも勾玉自体よりも上位の力っていうことだよな? ……平家には、そんなに強大な怨霊がいるんですか?」
そして、言いながら視線が流れついた先は当然ながら敦盛と。しかし、神をも凌駕する怨霊と言われても、にはピンとこない。
清盛は確かに、平家の中で最強にして最大の怨霊だろうが、その力の存在を神話でしか聞いたことのない神器と比べるには無理がある。そもそも、あまりにも大きすぎる力は、尺度を超えて“強大な力”としか認識ができない。
にとって、尺度の基準はあくまで自分と同じ陰陽の双方を宿す人間の気力であり、その最高値は将臣や知盛。同じ人間でも、望美ほどの器になってしまえば“あまりに強大な陽の気”としか認識できない。同様に、たとえ尺度を逆に伸ばしても、その限界値を突破している敦盛や経正、惟盛は“強大な陰の気”を持つ怨霊であり、さらにその上を行く清盛は“とてつもなく強大な陰の気”を持つ怨霊である。それだけなのだ。
「私は欠ける前の勾玉を知らないし、それを作られたという神の力などわからない。だが、上古の神をも凌駕する怨霊など、存在しないと思う」
「そうですね。天岩戸は古事記に記される、最古の神話のひとつです。神代の方々を凌駕する怨霊ともなれば、そもそもこのような戦にさえなりはしなかったでしょう」
皮肉なのか、ただ事実を推測しているのか、弁慶はひどく単調な声でそう紡いでから、へと目を向ける。
「僕としては、陰陽術の派生である可能性を推しますね。さんは強い力を持つ術師であると噂に聞いていましたし、清盛殿も呪術の類への造詣は深かったと聞きます」
「……わたしは何も、そういったことは存じ上げません」
何かしらの情報提供を求められると同時に自身が疑われていることはすぐに読み取ったが、あいにくには提供できるだけの情報は何もない。
「清盛公は、わたしにはあまりにも遠い御方です。噂以上のお話など、耳に入るはずもありません」
「ですが、あなたは知盛殿の腹心の部下でもあります」
鋭く食い下がる弁慶の指摘はもっともだったが、あいにく見当違いというものだ。淡く苦笑を浮かべ、はゆるりと首を振る。
確かに腹心として扱われた自負はあるし、誰よりも深く懐の内に迎え入れられる地位を確立していたとも思っている。だが、知盛が求めたのは彼自身の私生活を預ける対象であり、戦場で時に背を預けあい、共に駆け抜ける存在としての腹心であって、平家全体を見やるだけの情報はむしろほぼ遮断されていたともいえる。はあくまで、平家のためではなく、知盛のためという立場しか磨かなかったのだ。
「知盛殿は、それぞれの領分というものを重んじられます。たとえ乳兄弟である家長殿が相手でも、一門の中核に関わるお話を口外なさったりはいたしません」
「じゃあ、清盛以外はどうなんだい?」
きっぱりと否定を返したの言い分に納得したのか弁慶はそっと顎を引いたが、そのことに息をつく暇さえ与えずに今度はヒノエが畳み掛ける。
「さすがにそんな怨霊がいるなんて言われたらたまらないからね。陰陽頭が退席してからオレも口をはさませてもらったんだけど、知盛がそれこそ妙なことを言っていたんだよ」
と、そこで一旦言葉を切り、全員の意識が集中するのを見回してからヒノエはすいと唇を吊り上げる。
「神は、京を守護する龍神のみにあらず。神の“意”は、黒白の龍の神子が知るのみにあらず――ってね」
お前はこの言葉の意味を知っているんじゃないのかい。そう問いながらひたと合わされた瞳は、怜悧な光を湛えての内奥を探っている。
音を聞いただけでははっきりしないが、ヒノエの口にした“神の意”とは、あるいは“神の威”であろう。それならば心当たりがあるどころの話ではないが、八尺瓊勾玉には何の関係もない。
そもそも、も敦盛と同じで欠ける以前の勾玉を知らないし、それが平家の手中に存在したという事実さえ、経正が身につけている勾玉の欠片を知ってからはじめて説明してもらったのだ。にとって手の届くところに“存在しない”ものを、いったいどうやって砕けというのか。それに、自分が与えられたという力を使って砕いたのなら、逆にすべての神通力が失われたことだろう。その効力ゆえに、は力を隠すことを命ぜられ、それを承諾したのだから。
また、ヒノエがにあえてそう問いかける理由も、はきちんと察している。おそらく、熊野で口にした「景時による束縛術を力ずくで打ち砕くことも可能だ」という発言を根拠にしているのだろう。
さすがに八尺瓊勾玉が欠けた経緯との関係が考えられればそれなりに説明する義務があろうとも考えたが、そうでないのなら明かす義理はない。彼らのことは信頼できると考えているし、好きか嫌いかと問われれば好きだと言える。それでも、知盛と交わした誓いを破るだけの重さには、とてもではないが届かない。
「繰り返しになりますが、知盛殿がわたしにそういった一門の機密に関するお話をなさることはありません」
根拠としただろう発言をこの場で暴露されなかったことには素直に感謝するが、それこそが取り引きを支える信用というもの。向けられる視線を逸らさず受け止め、真っ向から見つめ返して断言し、は同時に無言で訴える。明かせることなど、何もないと。
Fin.