こおれるほむら
痛ましさを堪えるような沈黙が降った後、ふっと吐息で微笑んだのが望美であることを、は暗い視界でもはっきりと把握していた。見つめる瞳は、慈愛に満ちているのだろう。あの苛烈な瞳の裏にある、何もかもを受け入れるような、まるでそれは聖母の微笑み。
「それが、私がここにいる意味だから」
大丈夫だよ、そう笑って、望美はの肩を抱いて身体を起こさせる。
「封印が必要なら、そうするよ。でも、それだけが全部だなんて、思わないで。確かに怨霊は龍脈を乱す原因のひとつだけど、一番大きな問題が解決できれば、他の道が見えるかもしれない」
「一番の、問題?」
「うん。それを解決するために、私は将臣くんや知盛と話がしたいんだしね」
そう強く言い切り、声の強さのままの鋭く透明な瞳で、望美はじっとを見つめる。
「怨霊として死んだ人を呼び返すことは、確かにいけないことだよ。許されない罪だと思う。でもね、私にも、そうやって呼び返したいっていう気持ちはわかるから、責めたりはしないよ」
「……自我を持たない怨霊はともかく、惟盛殿や経正殿は、随分と生前に近いご様子に見えたわ。そういう方々に関しては、一概に封じることだけが道だとは思えないの」
望美の言葉に沿うように、朔もまたそっと口を開く。
「黒龍の神子としての意見を聞きたいとおっしゃられて、先日、九郎殿方とお話をしたのだけれども。あれだけ強大な陰の気をいちどきに龍脈に還すのは、かえって不安定な状態を呼び起こすかもしれないの。そういう意味でも、ただ封印を、と求められる可能性はそう高くないと思うわ」
その言葉は、実に静かな、そして高く遠い観点から紡がれたものだった。だが、指摘はもっともである。
清盛をはじめとした一門の中枢にいる怨霊の気の強大さは、も知っている。自然発生したものを含め、望美が徹底的に封印に勤しんだ結果として実に見事な調和を取り戻しつつある現状の龍脈にあれほどの陰気を還すのは、確かに荒業に過ぎるかもしれない。
「その辺はきっと、将臣くんが頑張ってくれるよ。だって将臣くんは、怨霊として還った人達も含めて、平家を守りたかったんでしょう?」
にっこりと、掛け値なしの信頼を丸ごと預けて笑う望美は、あらゆる意味で本当に神々しかった。その曇りない心に打たれ、絆の深さに呑まれ、懐の広さに感服し。はようやくの思いで笑みを返す。
「そうですね。将臣殿は、だから“還内府”殿であらせられるのですから」
「うん。信じて待っていよう」
なんと美しい魂の持ち主なのだろう、と。眩さに細めた双眸の向こうで、は龍神を介して結ばれた神子とその関係者の絆の深さに得心する。この光は、求めずにはいられない。たとえ灼かれるのだとしても、指を伸ばしたくなる。その光が、決して伸ばした指を灼くことはなくあたためてくれるのだから、なおのこと。
しなやかに強く、眩く、揺るぎない。つらつらと脳裏をよぎる形容の果てで重ね見た幻影には、けれど目を据えていられず、そっと瞼を下ろす。八葉の面々が望美をそうと知ったようにの知った光は、今は遠い。その距離を直視するには、まだ覚悟が足りないとわかっていたのだ。
もっとも、何がどうなろうともには手出しはおろか口をはさむことなどできようはずもないし、何より協議がどのように進められているのかを知る術もない。日が近くなってきたことを意識して作業の手を急がせながら、託された直衣の仕立てに精を出すのみである。
寒さにかじかむ手指を火桶で温めながら、これまでと同じく、おしゃべりに興じつつ針を差していく。そんな日常を繰り返しながら年の瀬まであと半月を切った頃、疲弊しきりながらも晴れやかな表情の九郎達が梶原邸へとやってきて、和議が締結したことを知らせてくれた。
先日と同様に邸内の一室に将臣以外の龍神の神子一行が打ち揃い、詳細の説明はやはり景時である。
「昇殿に関する許可だとか、そういうことは置いておいて。とりあえず、みんなに関係がありそうなところと、みんなの関心がありそうなところだけね」
聞きたかったら、あとで個人的に聞いてね、と。いつもの柔和な笑みを浮かべてそう前置いてから、景時はてきぱきと説明を紡ぎあげる。
「安徳帝には落飾していただくことで落ち着いたよ。三種の神器はかしこきあたりに還される、それでおしまい」
「あの、それでは、八尺瓊勾玉は……?」
「それはまあ、揉めたんだがな。砕けてしまったものはどうしようもないし、神通力が失われていないことは保証すると言われた。実際に持参してもらった欠片を陰陽頭に回したが、偽りはないとのことだったから、それで折り合いをつけることとなった」
おずおずと口をはさんだ敦盛にきっぱりと答え、そして九郎は逆に訝しげな視線を返す。
「だが、その際に妙なことを言われてな」
「妙なこと?」
首を傾げつつの疑問をなぞりなおした望美に、九郎は浅く頷く。
「勾玉を砕いたのは、さらに上代の力であろうとのことだ。さもなければ、宿る神通力があれほど綺麗に欠片に分散するわけがない、と」
「……どういうことですか?」
九郎の言葉は実に端的だったが、わかりやすいかと言われれば否だろう。はっとしたように目を見開く朔や敦盛、リズヴァーンとは対照的に、望美と譲、の、現代を出自とする人間は首を捻ることしかできない。素直にわからないことを認め、そのまま望美が説明を求めて首を巡らせた相手は、陰陽師でもある景時である。
「うーん、詳しく話せば長くなるんだけど……八尺瓊勾玉はね、天照大神の岩戸隠れの際に作られたと言われている神璽なんだ。それで、その勾玉が作られるよりも先の時代の神々の力で砕かれたならば筋が通るって、陰陽頭殿は考えたらしいよ」
「つまり、勾玉を作った神よりも上位、あるいは古くからいる神の力で砕いたから、欠片になっても力が失われないままだっていう理屈ですか?」
「うん、そうそう! 望美ちゃん、譲くんのまとめてくれたとおりなんだけど、わかってくれた?」
「はい」
要点を押さえた譲の解説で理解が追いついたのか、望美は大きく頷き、もそのわかりやすいまとめのみを頭に叩き込んで話の続きを待つ。
Fin.