朔夜のうさぎは夢を見る

こおれるほむら

 ヒノエや九郎の予告にあったとおり、その後のさらに細かな協議は、かなりの速度で進められたらしい。なぜかくも急ぐのかと不思議そうに首を傾げていた望美に、年が明けるまでにとそれぞれが伝えていたが、その「年が明けるまで」である必要性が彼女にはわかっていなかったのだろう。ますます首を傾げるしかない様子に苦笑を交わし、朔と並んで説明をしてやっただったが、ことここに至ってはじめて両者間で紐解かれた疑問がある。
「年越しの祓は、あらゆる意味で特殊なの。この一年に溜まったありとあらゆる悪しきモノをすべて祓って、まっさらな状態で新しい一年を迎えるのよ」
「宮中での儀式も多く、また年明けも同じく相当に浮き足立ちます。そういう意味でも、戦乱というまがごとを年を越してまで引きずらないという意味でも、年内に和議を締結させ、新たな年を迎えて儀式を行うというのは、非常に重要です」
 そのあたりのハレとケの感覚は、現代で生きている上ではあまり意識するものではないし、これまで主に戦場とそれにまつわる場所にしかいなかった望美がよくわかっていないのは責められることでもない。丁寧に言葉を噛み砕き、目を丸くして聞いている素直な様子に微笑ましさを覚えながら、は続ける。
「夏越の祓の名残りはもうほとんどないでしょうが、節分は、年越しの祓が継承された儀式のひとつです。陰暦から陽暦に変わったので、日がずれてしまっていますけれど」
「そうなの? さん、物知りだなぁ」
 ついでだからと知盛から聞いた宮中での追儺の儀式について簡単に説明した後、わかりやすかろうと付け加えた引き合いに、しかし今度は朔が首を傾げる。


 通じ合っている望美とを交互に見やり、困惑に柳眉を潜めて遠慮がちに疑問がはさまれる。
「暦がずれるとは、どういうことかしら? 節分は、だって、季節の変わりのことよね?」
「え? あれ?」
 望美にはわかりやすい喩えでも、朔にとっては見知らぬ未来の事実だ。説明不足だったかと苦笑を浮かべるとは反対に、望美は再び混乱の渦に突き落とされたらしい。
 不用意な発言で無用な混乱を招いたことを小さく詫びて、は言葉を探す。だが、衝撃が小さくてすむ言い回しなど思いつかない。望美や譲、将臣といった前例を受け入れているのだから大丈夫だろうと、そんな曖昧な根拠で迷いを振り払い、紡ぐのは端的な事実のみ。
「申し上げていませんでしたが、わたしも望美殿と同じように、ここではない世界からこの世界へと迷い込んだ身ですので」
 その世界では、こことは違う暦を使っているのです、と。付け加えた説明が朔の耳に届いていたかどうかは、不明である。


 大きく見開かれた瞳がまじまじとを見つめ、そして放たれたのは望美の驚愕の叫びだった。
「ええっ!? ほ、本当に? さん、現代の人?」
「ええ」
「だって、すごく自然だし、違和感ないよ?」
「年季が入っていますので」
 抽象的ながらも言いたいことを汲んでやんわりと返せば、朔が「まぁ」と言いながら頬に手を当てている。
「望美と同じ世界からいらしたということ?」
「同じかどうかはわかりませんが、同じような世界であることは確かでしょう。将臣殿のお話も通じましたし」
「では、きっと随分ご苦労をなさったのね」
「幸い、親切な方とのえにしに恵まれました。そのお蔭で、今のわたしがあります」
 穏やかに微笑むその表情には、無理はおろか、郷愁さえ滲んでいなかった。それだけがこの世界に馴染んでいることの証であり、この世界で生きてきた時間の優しさが伝わってくるようで、望美も朔もそっと目を瞠る。


さんに親切にしてくれた人って、平家の人だよね」
 しばらくの沈黙をはさみ、しみじみと呟いたのは望美だった。視線を持ち上げて同意を語ったに、望美はそのまま続ける。
「清盛とか惟盛も、優しかったの?」
「……わたしは女房仕えの身ですので、さほどの親交はございませんが。知盛殿を通じて見知っている限りでは、大変に情け深い方々でいらっしゃいました」
 過去形で語らねばならない現状が悲しく、けれどはだからこそ知ってくれと願って言葉を重ねる。
「相国様は、懐の大変深いお方です。珍しき甘味が手に入ったとおっしゃってはわたし達にも分けてくださり、一門に連なるすべてを、慈しんでくださいました。惟盛殿は本当にお優しい方です。叔父にあたる知盛殿の所縁なのだからと、顔も知らぬわたしに、臥せった折には見舞いの品を贈ってくださいました」
 あの人達が底抜けに優しかったことを知っているから、こうして在り方が変わり、その性情が変じてしまったことがあまりにも悲しい。それでもなおと傍にあることを望んだことが罪であることは知っている。だが、だから責められるべくは彼らだけではないとは思う。


 還ったことが罪なのではない。変じたことが罪なのではない。悲しみに耐え切れなかった各々の弱さだけが、哀しい原罪なのだ。
「此度の和議にて、平家の擁するすべての怨霊を封じよと、そのように皆々様が判じられるのであれば、望美殿には多大なご負担をおかけしてしまいますが」
 言ってそっと額づき、は願った。その断罪を押し付けるには優しすぎる、けれどその後悔さえ受け止めてくれるだろう強さを持った神の愛し子に。
「あの方々を狂わせたのは、わたし達、生きている者の罪です。いかようにも、叶う限りの償いをいたします。ですので、どうか、」
 その時には、安らかな眠りへのいざないを。

Fin.

next

back to 遥かなる時空の中で index
http://crescent.mistymoon.michikusa.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。