たゆとういのり
向かった先の部屋には、久々に見る将臣を除いた八葉の全員が勢ぞろいしていた。足音も高らかに、先導のヒノエを追い越して真っ先に部屋に飛び込んだ望美は、その全員が穏やかな表情をしているのを見回し、にっこりと笑って設けられていた席につく。次いで追いついてきた残る面々が腰を下ろすのを待って、まずはとばかりに望美が口を開く。
「お帰りなさい。九郎さんも、景時さんも、ヒノエくんも、お疲れ様でした」
「おい、俺はまだ何も言ってないし、いきなりそう言うのは早合点にすぎると――」
「まあまあ、九郎。いいじゃない。顔を見ればわかっちゃうよ。望美ちゃん、ありがとう」
「あんまり細かいことばっかり言ってると、姫君に愛想つかされるよ? こういう時は、素直に受け取るのが男の甲斐性ってもんだろ」
ぺこんと頭を下げた望美に早速小言を言いはじめた九郎は、並んで名を呼ばれた残る面々に言葉を遮られ、言いたいことも言い切れずに口を噤んでしまう。だが、その言い分には思うところがあったのだろう。深く溜め息をつき、けれど結局は仕方がないとばかりに笑って「そうだな」と呟いた。
そして、おもむろに咳払いをはさみ、ふと表情を引き締めて背筋を伸ばす。
「まあ、察しているようだがな。とりあえず、両家の間で和議に対して大筋での合意に至った」
厳かに言い放たれたのは、予想通りの、しかし改めて言葉にされることで更なる感慨を増した現実。
受け止めた言葉をそれぞれが胸に沈め、しみじみと息を吐き出す中で、九郎の目配せを受けて景時が説明を継ぐ。
「大枠に関しては、熊野で話していたとおりだね。両家は和議をもって完全な停戦となし、平家は三種の神器を朝廷に返還する。同時に安徳帝には正式に退位して院号を名乗っていただき、その身柄を京に移し奉る」
平家の面々の官位については、今後のさらなる協議にて人員を絞り込み、一部においては復位して朝廷のために尽くすこと。また、源氏方に関しては頼朝を筆頭に、これまで官位を持っていた者に関しては昇進を、そうでない者にも一部、官位を与える方向で協議が進められるという。
「まあ、ここまでが両家の間での取り決めの大意だよ。基本的に、源氏は鎌倉、平家は福原を本拠として、京には一部の人間を派遣する形で落ち着きそうだね」
「さすがに院は侮れなかったよ。急に顔を出して協議の成り行きを聞いたと思ったら、その京に留め置く人員については自分が指示するからそれに従うようにって、釘を差すのを忘れないんだからね」
ふうと息をついた景時の言葉尻を掬うように、今度はヒノエが口を開く。第三者として協議の成り行きを見守り、その逐一を院に報告する役を担っていた別当は実に楽しげにけろりと言い放ってくれたが、それを出された途端に九郎と景時の顔が引き攣ったのは明白だった。
交渉の場が院御所でもある法住寺だからこそありえたことなのだろうが、本来ならば参内も許されない立場である面々の集う場に院に自ら足労させるなど、ありえてはならないことなのだ。その胸を襲った衝撃はいかほどのものかと、面々はそれぞれに慰めの色濃い苦笑を浮かべる。
「今後のこととか、所領の分配とか、まだまだ話し合うべきことは山積みだけど、和議は成るよ。三種の神器と安徳帝の身柄の返還は、後白河院にとって最重要事項だからね。その上でなら、新しい形での国づくりさえ容認すると仰せだ」
飄々と、しかし確かな畏敬に塗られた声で紡ぎ、ヒノエは笑う。
「和議の儀式自体は、年明けを待って、嘉日を選んでから執り行われる。けれど、実質的な締結自体は年内に終わらせたいって朝廷が急かしているから、それさえ終われば将臣とも会えるようになるよ」
言って望美と譲を順に見やるヒノエと共に安堵の空気を洩らす異世界からの客人達を見やった九郎が、そのまま発言権を引き取る。
「それまでに両家から和議の儀式に出席する人間が入京することになる。恐らく、鎌倉からは兄上に先んじて政子様が入京なさるだろうから、俺はそちらの対応でまたしばらく顔を出せない状態が続くが」
「大丈夫です。その辺りはちゃんとわかっているから、心配しないでお仕事を頑張ってください」
「そうか。そう言ってもらえると助かる」
心底申し訳なさそうに頭を下げる九郎ににこりと笑って望美が応じれば、あからさまにほっとした様子で再び頭を下げる。
真面目で実直な九郎ならではの態度ににこにこと微笑を浮かべていた面々は、ふと視線を巡らせた望美の仕草にそっと意識を集中させた。
「ヒノエくん。さっきもうすぐ将臣くんに会えるようになるって言ってたけど、それって知盛も含まれる?」
「まあ、両家の間で完全な和議の合意さえ成ってしまえば、何とかなるよ。けれど、一体どうしたって言うんだい?」
「熊野で話していたことの続きを、話さなきゃと思って」
あの時は和議のために動くという合意を取り付けるだけで別れてしまったが、望美は決してその際に提示した条件を忘れてはいない。
「言ったよね。龍脈を正すのに協力してほしいって。そのためには、将臣くんとか知盛とか、清盛に近い人に事情を全部知ってもらわないといけないの」
「……我らが神子姫様は、一体何を知っているんだろうね」
凛と言い放たれた言葉に軽く目を見開き、そのままくつりと口の端を歪めたヒノエはどことなく皮肉げな声で応じてから頷いた。
「いいよ。そういう事情なら、オレが協力しないわけがない。折を見て、なるべく早めに場を用立ててやるよ」
「うん。ありがとう」
無論、その請け負いの前にはちらと流した視線で源氏勢の同意を取り付けているのだが、そういった場を用立てるのであれば、やはり両者の間に立つ熊野の人間であるヒノエこそが適任であろう。話の流れゆえにヒノエに声をかけたのか、そこまで見越してのことなのかは判じられなかったが、見る目のあることだとヒノエは瞳の奥で愉悦の色を濃くする。そして、同時にその眼光で訴えるのだ。黙って見逃すのは、そろそろ限界だと。
Fin.