朔夜のうさぎは夢を見る

たゆとういのり

 それぞれに物言いたげな、けれどそのすべてを内に飲み込んだ視線が望美に突き刺さる。それを俯瞰しながら、はゆるりと巡らされた望美の透明な瞳にそっと息を呑む。
「その時には、みんなにもちゃんと、私が何を知っているのかを話すから」
 熊野での源平の密談の席で納得を得て以来、ずっと鳴りを潜めていた恐怖心がふと首をもたげる。すべてを知っているのだろうと直観し、その所以がわからないがゆえに警戒を完全には解けず、しかしすべてを知っているのならと和議を求める姿勢を信じた。だが、すべてとは、いったい何を示すのだろうか。
 清盛が怨霊として蘇っていることも、恐らくは敦盛が怨霊であることも彼女は知っている。知盛の人となりをそれなりに知っていて、将臣が還内府であることに微塵の驚愕も示さなかった。景時の過剰な恐怖心と、知盛の過剰な警戒心の所以を知っている風だった。
 思い返しながら、は哀しくなる。その眼が恐い。その瞳が恐い。そして何より、そんな眼に至ってしまうほどのすべてを押し殺し、その細い身体に封じ込めていたその勁さが、悲しい。


 たおやかな見かけにはそぐわない圧倒的な存在感に呑まれて言葉を失っていた面々だったが、ふぅと、誰かが小さく息を吐き出した音に呪縛を解かれ、はたと瞬きやら身じろぎやらをする。
「望美さん、そのために、僕達にできることはありませんか?」
 そして続けられた声に、はようやく吐息の主が弁慶だったことを知る。九郎達の報告を聞く間中、どこか張り詰めた空気を崩さなかった瞳がやわらかく和み、声音は陽だまりを思わせるぬくもりに満ちている。
「その時になれば話していただけると、そうおっしゃるのなら、待ちましょう。でも、それ以外に、僕達にも何か、手を貸せることはありませんか?」
「弁慶さん……」
「何も、すべてをひとりで背負い込む必要はないんですよ」
 きょとと目を見開いて告げられる言葉を聞いていた望美は、付け加えられた言葉に眉根を寄せる。ぎゅうっと、目尻に力が入り、唇が引き結ばれる。
「ここまで、あなたにずっと任せきりだった僕達に言えたことではないかも知れませんが……。僕達は、あなたの力になることをそれぞれに約束しましたね」
 だから、そろそろその背に負っているものを、分けてはいただけませんか。
 穏やかで、やさしくて、やわらかな声だった。慈愛を音にするのなら、きっとこういう響きなのだろう。その裏に潜んでいると感じるものが刹那さと身を切るような痛ましさであったことも、もしかしたら、そのやさしさに拍車をかけていたのかもしれない。ただ、は弁慶が持てる限りの優しさを望美に明け渡そうとしていることを悟る。


 静かな蜜色の瞳が、そっと細められる。その先で、望美の唇が小刻みにわなないている。
「………いいえ。大丈夫です」
「望美さん」
「大丈夫、本当です。無理はしていません。ただ、今は大丈夫なんです」
 ようやく絞り出された声も震えていたが、宥めるように呼ぶ弁慶に応える声は、すっかり落ち着き払っていた。ぎゅっと膝の上で握り締められていた拳から力を抜き、床を睨んでいた望みは鮮やかに笑う。
「だって、みんなが和議に向けて頑張ってくれているから。だから、今は大丈夫です」
 明るく差し伸べられた信頼と感謝は、龍神を介した絆の特別さを感じさせるようで、はそっと双眸を細める。弁慶が彼女に示したように八葉が神子を思うなら、神子もまた同じように八葉を想うのだろう。その絆は龍神によってきっかけを作られたものかもしれないが、その深さは神子が望美であり、そこに集う面々が彼らであればこそ築かれたもの。
 あれ程の瞳に至るすべての裏にあるのがこの深い絆と情愛だからこそ、きっと彼女はが無意識に畏れてしまうほど勁いのだ。
「ただ、私が話すことは凄く酷いことで、その上でお願いするのは、人によってはもっと酷いことかもしれません」
 告げる瞳は強い光を宿し、その表情は幼さを残す少女のものではなく、俗世のしがらみを超えた巫女のもの。
「でも、それは平和な未来を得るために必要なことなんです。だから、改めてお願いします。どうか、力を貸してください」
 言って深く頭を下げ、望美は願った。


 真摯な懇願に、真っ先に口を開いたのは九郎だった。呆れを色濃く滲ませた息を吐き出し、小さく「馬鹿か」と呟いてから口を開く。
「顔を上げろ。お前が頭を下げる必要がどこにある」
 つっけんどんでそっけなくて、聞きようによっては怯えを覚えかねない口調だったが、それが九郎の精一杯なのだと居合わせる面々は知っている。いつもとあまりにも調子の違う望美を前にどこまでもいつもどおりの対応を返す九郎に毒気を抜かれたのか、張り詰めていた空気がふっと解ける。
「思えば、俺は誰よりも真剣に和議の可能性を探らねばならなかったが、こうしてお前の八葉として自分以外の勢力の人間と接するまで、その可能性を示されてもそれを真の意味で考えることはなかったと思う」
 促されて顔を上げた望美を真っ直ぐに見つめながら、九郎は生真面目な常の口調で淡々と言葉を綴る。
「だが、今は逆だ。俺は俺の意思で、この和議を成したいと思っている。だから、そのためにお前が力を貸してくれるというのに、当事者である俺がなぜ逃げ出すというんだ」
「そうだよ、望美ちゃん。一番頑張るべきだった俺達が望美ちゃんの助けを一杯借りたんだから、その恩返しをする機会を残しておいてもらわないとね」
 言い切って憮然と唇を引き結んだ九郎の厳しい物言いを緩和するように景時が笑う。それを受けてゆるゆると視線を巡らせる望美は、視界に映るあらゆる微笑みに、ついにくしゃりと目元を歪ませる。
「あ、おい! 泣くな、まるで俺が泣かせたみたいだろう!?」
「え? 九郎の言い方がきつかったせいだろ? ほら、姫君。オレが慰めてやるよ。こっちにおいで」
「ヒノエ、またそのようにからかうようなことを――」
 小さく嗚咽を上げて両手に顔を埋めてしまった望美を取り囲み、あっという間に常のにぎやかさを取り戻した遣り取りが積み上げられていく。その情景を座したまま見つめ、は胸の奥で疼いていた小さな棘が溶けていくのを感じる。きっと、彼女はこのぬくもりの尊さを知っているから、あれほどに勁い。そう思えば、勁さは悲しみと同時に、等量かそれ以上のあたたかな感情を齎してくれる気がしたのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。