朔夜のうさぎは夢を見る

はるかなまほろば

 端然と座した姿勢のまま、無表情加減もろくに変えずに、口を割ったのは知盛だった。
「お前達は、何のために戦っているんだ?」
 伏せて床に落としていた視線を言葉尻に合わせて持ち上げ、知盛は厳しい表情を浮かべている景時を見やってさらに言い募る。
「我らが目指すのは、一門の安寧。そのために軍場に赴き、そのために戦の終焉を願う……だが、お前達は、どうなんだ?」
 見やる視線は透明で、その問いかけが何を意図してのものなのかは察せない。ただ、裏が見えないからこそ、問いかけの純粋さが際立つ。
「熊野別当殿は、熊野の安寧を。平泉総領殿は、平泉の安寧を。院は己が身の安全と、権力の持続をお望みだ。ゆえ、我らはそれに応じ、その目的に沿った益を挙げよう。だが、お前達が何を目指しているかは、まるで見えてこない」
「そんなもの、決まっている。三種の神器と帝を朝廷にお返しし、お前達に怨霊の使役を止めさせ、戦のない平和な世を創ることだ」
 ゆるりとした口上に答えたのは、景時ではなく九郎だった。迷いなく言い切ったその瞳は厳しくも清々しい。だが、視線を巡らせた知盛は、逆に瞳の奥に胡乱さを降り積もらせる。
「和議が成るならお返しすると確約したし、怨霊も、使役を止めると確約できる。だが、それだけでは鎌倉殿は動かれぬと……。では、どうすれば動くのだ?」
 返された問いに、九郎は一旦目を見開き、そして苦りきった表情で唇を噛んで俯いてしまった。


 これ以上は答を得られないと判じたのか、再び視線を景時に据えなおし、知盛は続ける。
「……東国統治の保障、ならびに領土所有の永年化。鎌倉殿と周辺の方々への官位授与。その程度までならば、現況の彼我の勢力を保った上での和議が成れば、まぁ、朝廷に認めさせられようが」
 やはり真意の読めない表情のまま、淡々と紡ぎ上げられるのは先ほど知盛自身がわからなければ挙げようがないと言った、源氏にとっての利益の可能性。
「また、これまで主に西方でばかり甘い蜜を啜っていた交易品の流通も、融通しよう。唐渡りの品のみならず、人材も含めば……いかがか?」
「それはだって、絵に描いた餅でしかない」
「神器と帝を除く益を示せと、そう申されたのは軍奉行殿ではなかったか」
 薄く揶揄の色を刷いた声で混ぜ返し、知盛はようやく唇を歪めて表情らしきものを浮かべる。
「鎌倉殿は、何をお望みだ? 我らを滅ぼすことか? 朝廷にその地位を認められることか? それとも……尊きあたりをも凌駕して、この国をその手中に収めんとでも、なさっておいでか?」
 くつくつと喉の奥で笑いを転がし、眇められた双眸は剣呑に景時に注がれる。
「そうやって言葉を弄し、結論をはぐらかすなら、お前達に結託は求めまいよ」
「知盛ッ!?」
「奥の手を隠したままの相手は信用ならぬと? なるほど、軍師殿は良いことをおっしゃる」
 せっかくの席を根底から否定するような発言をした知盛を、隣に座っていた将臣が慌てた様子で呼ぶ。だが、知盛は気にした風もない。ますます引き絞られた瞳孔が、あまりに物騒な気配を浮かべる。
「……その言、そのままお返ししよう。鎌倉殿の奥の手こそ、俺が源氏方を信用せぬ一番の根拠である、と」
 謡うように、しかし地を這うように。解き放たれた言葉に、景時の顔面から血の気が引いていく。


 背面に座すから見ても明らかだった景時の様子の変化は、無論、源氏勢にも将臣にも、ヒノエにも明らかだった。それぞれが気遣いと訝しむ視線やら言葉やらをそっと送る中、知盛だけが眼光の鋭さを失せさせずに言葉を重ねていく。
「アレさえおらぬなら、戦にて雌雄を決するもやぶさかではないがな。あんな得体の知れぬモノを見逃せるほど、俺は暗愚ではないつもりだ」
「………知盛。あなた、何を知っているの?」
 あまりにも飛躍しすぎた話の焦点が掴めない面々に代わり、望美が呻くように問い返す。震えた、どこか怯えた声での疑問は、しかしどことない確信に裏打たれているようでもある。
「何を、というほどではないさ……。ただ、核心を衝いているとは自負しているが、な」
 初対面である相手、しかも名前すら知らない少女に呼び捨てられたことなど気にした風もなく、ちらとだけ視線を流して飄々と応じ、知盛は蒼褪めたままの景時に向き直る。
「彼我の兵力は互角。熊野が中立である以上、海戦は平家有利。その上、背にあんな得体の知れぬモノを負って、それでもなお戦い続ける益があるのか?」
 そして、その視線はするりと滑って弁慶を捉える。
「そんな奥の手を持っている鎌倉殿が、我らという邪魔者を排除したお前達を、いつまでも抱えているとでも思うのか?」
「何が、言いたいんです?」
「我らを滅ぼすことが、まこと、お前達の目指すものに繋がるのかと……そう、問うているだけさ」
 凍てつきそうな声音で切り返した弁慶にさらりと応じ、最後に知盛は先よりも苦悩の度合いを深くしている九郎に焦点を結ぶ。


 そっと、瞳の奥で労わるような色が滲む。だが、それはほんの一瞬のこと。知盛の起伏の乏しい表情の変化を見慣れたさえ見間違いかと思うほどの。すぐさま元の無表情に戻り、知盛ははたりと睫を上下させる。
「所詮、平家の人間でしかあれぬ俺には、平家の益こそが一番だ。ゆえ、和議がお前達にとって真に益となるか否かは判じ切れぬ」
 だが、と。そこで言葉を切り、硬い表情のまま九郎が視線を持ち上げるのを待ち、知盛は静かに宣する。
「決して、源氏にとって害にならぬとは、思うのだがな」
 声量があるわけでもなく、あえて張り上げられたわけでもないのに、その声はひどくよく徹った。場を支配する力を持つ言葉に気圧されたのか、再び俯いて九郎は眉間の皺をいっそう深くする。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。