朔夜のうさぎは夢を見る

はるかなまほろば

 それぞれが苦悶と思索に沈む奇妙な沈黙の中、すっと息を吸い込んでから声を張ったのは望美だった。
「和議の話を受けるには、もうひとつ条件があるけど」
「聞こうか」
 背筋を正し、凛と発される声に知盛が向き直る。
「龍脈を正して、応龍の復活に協力すること」
 源平という勢力を超えた唐突な要求に呆気に取られた面々だったが、対峙する知盛だけは興味深げに瞳を細めて望美を見返している。
「……なるほど、御身こそは白龍の神子。俗世のしがらみよりも、天地の理を重んじられるか」
「私のこと、知ってるの?」
「間者からの報告に、一致するお姿ゆえな」
 集う面子の中で初対面である知盛の紹介は将臣から簡単に受けているが、源氏勢の紹介は一切していない。きょとんと目を見開いて問う望美にあっさりと肩を竦めてから、知盛は将臣を流し見て、しかしすぐさま頷いた。
「良かろう。和議成立の暁には、還内府殿は神子殿の手にて浄化され、天の青龍が御許に戻られるやもしれんしな。その他に関しても、適う限りの協力は、確約いたそうか」
「知盛、お前、そんなことまで――」
「申し上げたはずだな、還内府殿。情報なぞ、集めようと思えばいくらでも集まるものだ」
 知られていないはずのことをあまりに知りすぎている知盛に将臣もまた目を剥くが、笑い混じりに応じる知盛はそうはぐらかすだけで、情報源を明かすつもりはないらしい。各々から突き刺さる疑念と不審の視線をあっさりと無視して、目笑したまま望美へと視線を転じる。


 しばしの瞑目の後、望美は静かな瞳で知盛を見つめ返し、座に集う各勢力の面々を見渡す。
「和議の話を、受けましょう」
 細く高く、けれど決してか弱くはない、それは神託を告げる巫女のごとき声。注がれるすべての視線を揺るぎなく受け止め、望美は一言ずつ単語を区切りながら、続ける。
「それが、龍脈を正す最善の道であり、白龍の神子である私がこの世界に導かれた意味だと、そう思います」
「うん。神子がそう定めるのなら、それが世界にとって選ぶべき道だね」
 遠く高みから響くような声には、望美を神子と定めた神の言葉が続く。
「九郎、弁慶、景時。訝らなくても大丈夫だよ。将臣も、知盛も、偽りは述べていない――真理を知る、美しい気だ」
 にっこりと笑って嘯くのは神の理なのだろうが、それこそ偽りなど口にするはずのない存在によって保証されては、疑う余地も残らない。思いがけない裏づけに、まず溜め息を落としたのは弁慶。
「ここまで根回しがされていては、遅れをとることこそが源氏にとっては不利益でしょう」
「まあ、そうだろうね。ちなみに、熊野はこの話に乗るよ。神子姫様が支持するんなら、なおのことだ」
 諦めとも達観ともとれる言葉に続けて、ようやく口を開いたヒノエがぱちりと器用に片目を瞑ってみせる。
「白龍も賛成するってことは、それこそが神意ってことになる。熊野は霊地だ。神を軽んじるような行動は取れないからね」
 二人の朱雀の補佐にくすぐったそうに頬を緩め、望美は黙り込んでいる九郎と景時に向き直る。


「九郎さんと景時さんは、どうですか?」
「……色々と、思うところがないとは言わん。だが、話の内容は信用できるし、和議が源氏にとって益となるのも、状況からして明らかだ」
 清盛の復活だの頼朝の持つ奥の手だの、知らなかった話を一気に突きつけられた混乱が残っているのだろうが、九郎の言葉に迷いはなかった。
「ならば、やはり兄上にこの話をお通しするべきだと思う。熊野がつかないことが確たれたのだから、なおのこと」
 言って強く真っ直ぐな瞳を持ち上げ、そして最後にいまだ血の気の戻りきらない景時に視線が集まる。
「そう、だね」
 ぎりりと眉根を引き絞り、景時はゆっくりと言葉を噛み締める。
「とにかく、頼朝様にご報告するのは、同意するよ。条件も、さっきの知盛殿の挙げられた話は、決して損にはならないし」
 けれど、と。どこか硬さを残した声音で、景時は期待を滲ませる望美を見やり、将臣に向き直る。
「それだけでは、きっと足りない。本当に和議を成らせたいなら、院宣は必須だ。……朝廷の説得まで請け負ってくれるなら、俺もこの話に協力する」
「請け負う」
 最後の条件付与にも微塵の躊躇いをみせず、将臣は力強く頷いた。
「そっちが動いてくれるんなら、院も無視はできないはずだ。絶対、説得してみせる」
「あー、それはいいよ、将臣」
 意気込んで身を乗り出す将臣に、しかしどこか苦笑を漂わせた声が上座からかかる。さっと向けられた一同の視線にさらりと笑い、若き熊野別当はしっかり頷いてみせた。
「そういうのは、第三勢力である俺の仕事だ。任せときな。神子姫様に熊野として協力してやれない分まで、ここで挽回してみせるからさ」
「ありがとう!」
 ぱっと華やいだ望美の満面の笑顔に虚を衝かれた表情を返してから、ヒノエは「参ったね」と笑って用意周到にも手元から牛王宝印の記された起請誓紙を取り出し、源平双方の重鎮に和議への尽力の言質を要請した。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。