はるかなまほろば
暗殺をしたいなら、という部分は、からかいが交えられていることが明白。平家でも随一の武将である彼らを殺すには、それこそ生半な人間では太刀打ちできない。毒を盛りたくとも盛れない宿を選び、どこでいつの間に調達しているのか、毒味役を必ず間に挟んでいる隙のなさは付け入りようがない。
留守への不安のなさに関しては純粋に残す面子の腕を信頼しての発言でもあるのだろうが、そのそつのなさがまた恐ろしい。それは、裏を返せば攻められたところで護り抜き、あるいは返り討ちにする自信があるということ。
彼我の戦力を、人材を、状況を、余すことなく把握した上で、まるで天上から俯瞰するかのように張られた伏線の数々。それらを少しずつ明かされるごとに、ヒノエは知盛の策謀の深さを思い知る。
堅実に、確実に。あらゆる道を封じて、彼は望む未来を掴み取るために慎重に糸を張り巡らせている。きっと、下準備を終えて、今はそれらを結末に向けて一気に引き絞る時期なのだろう。見せ付けられる新しい時代への移ろいに、彼が破滅ではなく未来を望んでくれて良かったと思う。これほどの周到さで破滅への道行きを整えられては、逃れる術はなかっただろう。
「あちらさんは、席についてる間は武器の一切をオレに預けるって言質を出してる。不意討ちはない。その辺は、あの二人の性格からしても嘘はないって保証するよ」
取り留めのない思索を振り切ってからヒノエは改めて提示された条件を追加しなおし、そして反応を待つ。
重苦しい沈黙が蟠る中、ふと口を開いたのは望美だった。
「話し合うだけ、話し合ってはみられませんか?」
ついと、流された視線は弁慶から景時を辿り、九郎を見つめる。
「和議が成るんなら、それが一番良いと思います。三種の神器とか帝とかに関する問題もそうだけど、平和になることを嫌う人はいないと思うんです」
「それは、そうだろうが」
ひとまず頷き、そして九郎は視線を一同の中では最も頼朝の意思を把握しているだろう景時へと向ける。
「俺としては、とにかく話を聞いて、信用できるようならば兄上にその旨を含めてご報告申し上げるのが良いと思う」
「……ヒノエくん。昨日言ってた、三山の協議っていうのはどうなったの?」
どう思うかと、問う視線からぎこちなく顔を背け、景時は薄く笑んでいる熊野別当を振り仰いだ。
「どうしても、源氏についてもらうわけにはいかない?」
「還内府直々の訪問に、付き添いが新中納言だからな。奴らが本物だと知れると同時に、源氏への肩入れだけはできないって口を揃えてる」
それだけ、相手の人選が上を行っていたということだ。はきと聞いたわけではないが、あの顔触れでの熊野訪問を言い出したのは還内府だろう。自覚の有無までは量れないものの、あれはもはや天賦の才としかいえまい。改めて、ヒノエは確信する。彼は、生まれもっての人の上に立つ将なのだ。
実際のところ、協議など行なっていないし、行なう必要もなかった。平家につくことだけはありえない。これが、熊野別当の出した最低限の主張。源氏につくことは決して望ましくない。それが、九郎の熊野訪問を挿んでなお変わらない、新中納言その人をあえて使者に立ててきた平家を見ての、慎重派たる三山の重鎮達の結論。変わらない意見がただ平行線を辿るなら、取れる道は中立というこれまでどおりの立場を貫くことのみ。
肩を竦めたヒノエに、景時は苦渋の表情を隠そうともしなかった。苦りきった表情で膝の上で握り締めた拳を睨んでから、わずかに蒼褪めた貌を持ち上げる。
「熊野の助力を得られないのは、はっきり言って相当まずいんだ」
「そうだろうね。熊野が動かなければ、今のところ立場を決めかねている水軍も動かない。そして、西海の水軍は、平家のものだ」
景時の嘆願をあっさりと受け流し、ヒノエは目を細める。
「だからこそ、昨日オレが言った話を考えなくちゃならなくなるだろ?」
「……既に懐柔済みと、そういうことですか」
「合意済みって言ってほしいね」
いたずらげに嘯く声に弁慶が溜め息混じりに皮肉を返すも、ヒノエはまるで気にする素振りもない。
「和議が成らないんなら、それでもいい。そしたら熊野は戦の終わりまで傍観を決め込んで、勝った方と並び立てるようそれまでじっくり準備をする。同じことを考えて傍観を決め込んでる平泉あたりと手を組めば、そう荒唐無稽な話でもないしね」
「それで、還内府殿が納得するんですか?」
「言ってるだろ? 合意済みなんだって」
畳み掛ける弁慶の追及の言葉をさらりとかわし、ふと巡らされた視線は、その立場から少し離れた場所で控えている、平家に最も縁の深い二つの人影に向かう。
「還内府は、オレが熊野を守ることを第一義に掲げるのを否定するような、そういうヤツかい?」
仄かな笑みさえ漂わせた穏やかな声に、唐突に問いかけられたことに驚いたのだろう見開いた瞳を和ませ、二人はそれぞれの仕草で否定を返す。
「いや、あの方はそういう無茶をおっしゃる方ではない」
「むしろ、その意思をこそ尊重なさると、そう思います」
敦盛がくすぐったげに口元を綻ばせれば、は切なげに双眸を細める。しかし、そこには寸分のずれもない信頼が貫かれている。偽りの色のない透明な声に、毒気を抜かれたように弁慶は視線を伏せ、ヒノエは笑う。
「まあ、そのとおりだったってことだ」
「景時さん。頼朝さんからの命令は確かに熊野水軍の協力を得るように、っていうことかもしれませんけど、それはだって、戦を終わらせるためですよね?」
そして、弁慶は再び何かを言おうと口を開くよりも先に、じっとそれまで何事かを考えていたらしい望美がどこか切迫した様子で景時を見据える。
「だったら、熊野に味方してもらえないなら、和議の話を進める方が、源氏にとっても良いことなんじゃないんですか?」
「望美ちゃんの言いたいことはわかるよ、でも――」
「僕も望美さんの意見に同意します。熊野を得られない以上、海戦で源氏は平家に勝てる見込みが薄い。ならば、一度でも負ける前に、令旨の効力を使って少しでも有利な条件での和議に持ち込む方が、被害が少なくてすみます」
「景時、お前は何をそんなに渋っているんだ?」
首を傾げ、心底不思議そうに問うのは九郎。
「確かに兄上のご命令にそぐうことは難しそうだが、和議の密約、しかも三種の神器の奉還を取り付けられれば、きっとご理解いただけると思うぞ?」
「……そうかもしれないね」
Fin.