朔夜のうさぎは夢を見る

はるかなまほろば

 図らずも同じ願いを抱くこととなった九郎と望美という一行のふたつの御旗印を知ってのことではないのだろうが。翌日の夕方に相変わらずふらりと宿までやってきたヒノエは、譲の手料理に舌鼓を打ってから、そわそわとその様子を見やっている面々に仄かな苦笑を返した。
「そんなあからさまに期待の目を向けられると、なんだかくすぐったいね」
「……どうせ何事か話があったのでしょう?」
 焦らさずさっさと明かせと、身内であればこその気安さとあけすけさで要求した弁慶にさえからかうような視線を向け、しかしヒノエは昨晩以上に厳しい表情を浮かべる。
「とりあえず、まずは他言無用を願うよ。その辺、大丈夫?」
「ああ、わかっている」
 確認口調での念押しに頷く九郎を筆頭に、それぞれが神妙な表情を浮かべる中、ふいに口の端を吊り上げてヒノエは早速、今宵持ち込む話の核心を曝す。
「還内府から、アンタ達と内々に話をしたいって打診がきてるけど、どうする?」
 ヒノエに返されたのは、驚愕など軽く凌駕した絶句のみだった。


 常は何を言われても超然とした無表情を保っているリズヴァーンさえ、過ぎるほどわかりやすく目を見開いている。唯一の例外は、人の世のしがらみのことをろくに理解していないだろう白き龍神のみ。熊野の霊気にあてられたのか、これまでの神子の努力が実ったのか、見かけばかりは立派な体躯の青年が、ひどくあどけない表情で首を傾げている。
「ヒノエ、皆はどうしたの? 還内府が話をするのは、そんなに不思議なこと?」
「不思議じゃないけど、意外なんだよ。なにせ、平家総大将直々の申し出だからな」
 よくわからないといった空気を纏いながらも、とりあえずは納得したのだろう。ふぅん、と相槌を打って振り返る先は、その愛し子たる神子。
「神子は、嬉しくないの? 昨夜、神子はヒノエの話に還内府の存在を見ていたね」
「嬉しいとか以前に、その、あんまりにも突然すぎてびっくりしちゃって」
「白龍、平家と源氏は相争う仲だ。その状況下におけるこの申し出は、意外に過ぎる。神子の驚きは、当然のものだ」
「そうなの?」
 呆然と言葉を綴った望美の足りていなかった説明を補うように口を開いたのは、さすがというかなんと言うか、いち早く平静を取り戻したリズヴァーンだった。簡潔ながらも要点をしっかり押さえた言葉に、平家の総大将が、源氏の総大将と知っていて名指しで面会を申し込むという構図までは理解できたのかもしれない。きょとんと首を傾げてから、しかし疑問の色を消して白龍は口を噤む。


 その、どこか幼い遣り取りに心のゆとりを取り戻したのだろう。次々に忘我の境地から戻ってくる面々を見やってから、ヒノエは視線を九郎に絞る。
「さすがにオレの手引きの席で暗殺とかされると面倒だし、純粋に、話をするだけっていう確約を取り付けられない限り、この話はオレの一存で流させてもらう。どうする?」
 それは、昼から夕刻にかけての還内府との面談の席で交わした取り決めでもあった。やりたいなら刃傷沙汰でも何でも、勝手にしていてくれというのがヒノエの本音でもあるのだが、そこに熊野別当の名が絡むとなれば別である。それこそ、余計な言いがかりをつけられてはたまったものではない。
 還内府当人はあっさりと笑っていたが、さすがにその辺りは隣に控える新中納言の補佐が絶妙であった。駆け引きのための要員だと、そう断言されて呆気にとられたものだが、その言に偽りは微塵もなかった。
 大雑把な方針やら進路についての発想は還内府によるものだが、それを受けて実際の戦略や根回しを整えるのは新中納言。あまりにも自然に役割分担が為されていた様子からして、これまでの平家の中においてもそうして二人で采配を分け合ってきたのだろうことは想像に難くない。
 そうなるに至るまでの経緯やらその関係性の絶妙さと奇妙さに関心を覚え、しかしヒノエは本質を見失わない。為すべきは源平の総大将が秘密裏に話し合う席を整えること。口を挟む気はないらしく、全権を委ねて黙っている還内府に変わって要件をすり合わせる新中納言との駆け引きを経て、ヒノエはこうして九郎へ提案を持ち込むに至ったのだ。


 眉間に皺を寄せて考える素振りをみせていた九郎は、気遣わしげに向けられる景時と弁慶の視線を振り払うようにきつく目を閉ざし、そして強い眼光をヒノエに投げ返す。
「それは、昨夜の話の続きか?」
「そうだね。あちらさんも、和議の可能性について話し合いたいってさ」
「こちらの面子は割れているんだな? 相手は、還内府だけか?」
「割れているのはオレのせいじゃないよ? そこらへんは、会えばわかるってとこだな。相手は還内府と、新中納言」
 さらりと告げられた名に再び絶句した九郎に代わり、呻くように声を絞り出したのは弁慶。
「平家の双頭が、揃って福原を空けているんですか」
「交渉のための使者としては、この上ない顔触れだな。むしろ、アンタ達より重さは上だぜ?」
「……それ、俺達に明かしちゃっていいの?」
 政治的な双頭であると同時に、軍事的にも双頭である二人の留守を敵方にこうもあっさり告げていいものなのかと景時がそっと指摘するも、ヒノエはひょいと肩を竦めるのみ。
「暗殺をしたいなら、返り討ちにするから大歓迎。福原の守りは重衡と忠度が指揮を執っているし、教経も残してあるから、神子と九郎を欠いた状態で攻めたいんなら勝手にしろだってさ」
 むしろ、この隙を衝いて京を攻めないことをありがたく思えって言ってたぜ。そうさらりと続けたのは紛れもなく知盛の発言をそのままなぞっての言葉だったのだが、途端に真っ青になった源氏勢の三人に、ヒノエもまたつくづく発言者への畏怖を新たにする。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。