朔夜のうさぎは夢を見る

はるかなまほろば

 四神は己が加護を与える際の基準に、その気性もかんがみるのだろうか。それとも、人の上に立つ素質とは、そういうものなのだろうか。
「知って、なんとします」
「源氏にとって、最も望ましい道を探る。その選択の幅が広がる」
「……選ぶのは、あなたではなく鎌倉殿でしょう?」
「だが、兄上に進言申し上げることはできる」
 盲信、あるいは崇拝か。鋭く先を見据える眼差しは同じなのに、九郎は同時に、兵達が還内府を仰ぐのと同じ眼もする。だからはわからなくなる。九郎という人間が、何を信じて何を信念として生きているのかが。
「あなた自身は、和議を望まれるのですか?」
「成るものならばな。争いのない世になるのなら、一日も早い方がいい」
 それでも、差し向けた問いに反される声には偽りの気配などどこにもなく、嘯く表情は穏やかで、優しかった。
「皆が無事に故郷に帰れるなら、それに越したことはないだろう?」
「……そうですね」
 その中には、が平家に帰るという選択さえ含まれているのだろう。手向けられた、宥めるような微笑にいたたまれなくなり、視線を伏せては頷く。
「還内府殿は、誰よりも平穏を願っておいでです。そのために戦うのだと、常々申されています」
 そのままそっと、眼裏に帰りたい場所を、還りたい人々を思い起こしながら、はひそやかに声をこぼす。


 黙していることはできなかった。情を切り捨てて接するにはあまりにも未熟。感情を理性でねじ伏せていられる場面など、己を鬼と化させねばならない戦場のみ。駄目だと、思いながらももう遅い。やわらかな思いを寄せるほどには、彼らは優しく、そしてあまりにもありふれた群像だった。
「そして、その還内府殿を誰よりもお近くでお支え申し上げているのが、新中納言殿です」
「そうか」
 だから、明かされた真情に対しては、精一杯の譲歩を示す。そして、九郎は静かに、真摯に頷いた。
「お会いいただければと、思います。そうすればきっと、わかりあうことができましょうに」
「……そうだな。わかりあえたら、一番なんだがな」
 仄かに苦笑を交わしあい、それからは深く頭を下げる。
「わたしに申し上げられることは、以上になります」
「ああ、わかった。あとは自分達で考える。――呼び留めて、悪かったな」
 もう戻って構わないと頷く九郎を見やり、は改めて了承の意を込めた礼を残して腰を上げた。


 あてがわれた部屋に戻ってみれば、そこには気を揉んだ様子で待ち構える黒白の龍の神子の姿があった。
「何事か、ございましたか?」
 あまりに余裕のない様子をいぶかしんだが警戒もあらわな声を発せば、呆れたと雄弁に語る二対の視線が注がれる。
「何事って、さんが呼び出されたから、あんまり遅いようだったら助けにいかなきゃって思って」
「――と、主張する望美を、どうなだめたものかと思って」
 息巻く勢いでまくしたてた望美の言葉を引き取り、対する朔はやわらかな溜め息をひとつ。それでも、向けられる微笑が、朔もまたのことを深く気遣っていたのだと物語る。
 天地の四神の類似性に対して、黒白の神子は対称性に特化しているのか。停滞を司る、物静かな朔に対し、変化を司る望美はどこまでもその活発さが際立つ。いずれにせよ、対と謡われるにふさわしい相対性だと思わず微笑みながら、は小さく目礼を送る。
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。ですが、何事もありませんゆえ、ご安心くださいますよう」
「本当? 九郎さんに怒鳴られたり、弁慶さんにいじめられたりしていない?」
 当たらずとも遠からぬ望美の指摘に、さすがは慣れているとは苦笑を深めるしかない。
「駆け引きの類ですので、ある程度は致し方ありません」
「でも、九郎さんは思い込み激しいし、弁慶さんはなんていうか、時々怖いし?」
「……ああ」
 ちょこんと傾げられた小首に、はうっかり失笑をこぼしてしまう。曖昧な表現ながらも、望美の言わんとすることは正確に伝わってきたのだ。


 気を取り直し、は改めて口元をゆるりと弧の形に吊り上げて言葉を綴る。
「ご心配なさりませんよう。本当に、ごく普通のお話でした」
「やっぱり、さっきのヒノエくんの話について?」
「平家側の見解を明かせ、と」
 すっと真顔をなった望美に応えて、もまた表情を改める。
「………九郎さん、何だって?」
 そして続けられた問いに、しかしは答えるよりも先に目をしばたかせていた。てっきり先の問答をここでも繰り返すのかと身構えたというのに、望美はにこそ問うべきだろう平家の動向より、九郎をはじめとする源氏の意見を、よりにもよって敵将でもあり捕虜でもある相手に問うている。
 何か思惑あってのことなのか、手近にいたという理由による純粋な問答なのか。いぶかしみ、しかしは素直に答えることでその本意を探ることしかできない。
「特に、具体的なお話は何も。ただ、信用していいものかとおっしゃっておいででした」
「望美や殿には申し訳ないけれど、私も同じ感想だわ」
 端的に事実のみを告げたに、朔が悩ましげな表情で、しかし深く頷く。
「和議が成れば素晴らしいとは思うわ。でも、こんなあやふやな情報では、何とも言えないもの」
 それは、将でもなければ兵でもない、この世界を構成する大多数を占める人心に深く浸透している感覚でもあるのだろう。あまりに当たり前の音調でこぼされた言葉に、はそっと視線を伏せる。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。